讃岐 歩き遍路:六十六番札所 雲辺寺から六十七番札所 大興寺へ ①雲辺寺から山道を里に

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平成30年(2018)の5月、愛媛県四国中央市にある六十五番札所から香川県と徳島県の境を画する阿讃山脈の山中、標高910mの高所にある六十六番札所雲辺寺まで歩いた。平成29年(2017)の冬、予土国境からはじめた伊予の歩き遍路の締めくくりとして、三角寺から雲辺寺への三つの遍路道()を辿り伊予の遍路道繋ぎの旅の大団円としたわけである。

これをもって当初予定していた愛媛の遍路道、それも道標を目安にできるだけ旧遍路道を辿る散歩を終え、それでよし、と思っていたのだが、今となって雲辺寺から先、讃岐の遍路道を辿ってみたくなった。
ほぼ半年ぶりに歩き遍路を再開する。今回のルートは雲辺寺から阿讃山脈を下り四国遍路の「涅槃の里」、讃岐平野にある六十七番札所 大興寺大興寺まで、おおよそ10キロ弱の遍路道である。


本日のルート;六十六番札所 雲辺寺>雲辺寺山無線基地局>下山口>萩原寺分岐>「みき邊路道」標石>遍路墓(阿讃縦走路分岐点)>六十六部供養塔>二丁石>六丁石>七丁石>九丁石>丁石(拾丁目)>十一丁石>十二丁石>十三丁石>十五丁石>十六丁石>十九丁石>「四国のみち」木標(大興寺まで6.4km)>「一升水」案内>「四国のみち」木標(大興寺まで5.7km)>林道交差>広域幹線林道・五郷財田線と交差>旧遍路道

雲辺寺ロープウエイ
先回歩き終えた雲辺寺へと向かう。阿讃山脈の山中、標高910m地点に位置する雲辺寺までは観音寺市の大野原から雲辺寺まで上るロープウエイを利用する。高松道を大野原インターで下り、途中、香川用水散歩の時に出合った萩原寺を経てナビのガイドで雲辺寺ロープウエイ乗り場に。
常の如く単独車行。雲辺寺から山道を下った後は、この車デポ地まで一度戻ることになる。4キロほど車回収に歩くことになるが、仕方なし。

ロープウエイ片道チケットを購入。ゴンドラにはスキーやスノボー姿の人が。雲辺寺山にスノーパーク雲辺寺が地図に載っていた。昭和64年(1989)開業、全長2594m、標高差652mを上るゴンドラは山稜遥か高所を進む。高所恐怖症には少々辛い。

六十六番札所 雲辺寺
ロープウエイを下り雲辺寺へ向かう。道はすぐに香川県境を越え徳島県に入る。香川県最初の札所雲辺寺の本堂は徳島県にある。その理由ははっきりしないが、江戸の頃には阿波藩領にある雲辺寺が既に讃岐の関所寺とみなされていたようである。あれこれの顛末は、先回散歩のメモをご覧いただくこととして先に進む




五百羅漢
本堂への道の両側に幾多の五百羅漢像が並ぶ。仏陀に寄り添った500人の弟子・最高の修行者とも称されるとすれば、五百の石造があるのだろう。中国の福建省で造られたとか、空海が修行した福建省の五百羅漢院の羅漢像を模したものとか言われる。先代住職の発願により、平成10年(1998)より七年の歳月をかけ造られた、とのことである。
そのためだろうか、涅槃像傍には、いかにも中国風の石塔も立つ。

山門脇の茂兵衛道標
本堂にお参りし、先回見落とした山門傍の茂兵衛道標を確認。道標とともに「旅うれし只ひとすじ尓法の道(たびうれし ただひとすじに ほうのみち)との添歌が刻まれる。
山門は本堂傍、愛媛からの遍路道に続く参道にあったものを建て替えたようで、結構新しい。山門前から雲に覆われた徳島側、吉野川の谷筋を覆う雲を眺める。香川県側は雲ひとつなかったのだが、阿讃山脈を境に全く異なった景観を呈していた。
大師乳銀杏
「四国のみち」の案内と思しき「大興寺 9.2粁(キロ)」の標石に従い大興寺への下山道に向かうとすぐ、大師乳銀杏の案内。「巨大な木を乳銀杏と言う。乳のでない人のため弘法大師が銀杏の苗を植え、乳がでるように念じた。と、木の幹を削り煎じて飲むと乳がでるようになった」とある。
推定樹齢1200年の古木。初代は株だけ。子孫の三本の銀杏がそれを囲む。幹から垂れる気根が乳に似ている故の命名とも。

雲辺寺山無線基地局:9時49分
ロープウエイ山頂駅からお寺さまへのアプローチ道だけでなく、下山口に向かう道の両側にも幾多の五百羅漢。通常五百羅漢は山域の広い範囲に建つことがおおいのだが、ここには途方もない数の羅漢像が集中している。どうも山崩れを避け、引っ越ししたようである。
それはともあれ、道を進むと雲辺寺山無線基地局。NTT、KDDなどの無線中継基地のようである。里から見える雲辺寺のパラボラアンテナなどがこれであろう。雲辺寺本堂からおおよそ10分のところにある。

下山口;9時53分
無線基地局から4分程進むと四国の道の木標、石柱などが立つ。歩き遍路道左の案内がある分岐箇所の左側に石の道標。「小松尾寺へ七十二丁」と刻まれる。明治44年(1911)に立てられたもの。小松尾寺は67番・大興寺のこと。小松尾の地にあるが故である。遍路道は左に入る土径となる。

萩原寺分岐;9時59分
6分ほど進むと道の左手に木柱があり、手前の板札には「萩原寺 ロープウエイ」との手書き文字。ここから左、ロープウエイ下の沢筋に下りロープウエイ山麓駅を経て荻原寺へと行くのだろう。山地図にはルートが描かれていないが歩いた方のブログもあった。
その木柱の右手に2基の道標。手印とともに「小松尾道 大正十四年」と刻まれた道標と「一丁」と刻まれた舟形地蔵丁石が立つ。

「みき邊路道」標石:10時6分
5分ほど進むと、道の左手に「みき邊路道」と刻まれた小さな標石がある。

遍路墓(阿讃縦走路分岐点);10時16分
更に10分ほど進むと右手が開ける。左手に県境尾根筋が続くようだ。六地蔵越えに続く阿讃縦走ルートではあろうが、特に案内はない。分岐箇所、木の脇に遍路墓があった。備前の遍路が眠るという。
不動明王が彫られた舟形地蔵と三丁石もあるといった記事もあったが、見当たらなかった。

六十六部供養塔:10時21分
5分ほど下ると木の傍に六部供養塔。「奉納六十六部中供養 明和元年」とともに、「右へんろ 左*き原 道」の文字も刻まれる。標石ともなっていた。
「*き原」?大野原字萩原(はぎわら)だろうか。とすれば、先の萩原分岐と同様、この辺りからも萩原へと下る道があった(ある)のだろうか。標石上部にくっきりと浮き出た仏坐像が印象的。
六十六部
六十六部とは、全国六十六箇所の霊場に大乗妙典を奉納する目的でおこなわれた巡礼、もしくは巡礼者を指す。日本廻国とも称され、巡礼者を六部とも略した。文字に刻まれた「中供養」とは、廻国途中になんらかの機縁が生じ建立したものを意味するようだ。

二丁石:10時30分
次いで「二丁」と刻まれた舟形地蔵丁石。距離からすれば一丁石から離れすぎている。どこからか移されたものだろう。この下山ルートは昭和61年(1986)頃、「四国のみち」として整備され、それ以前の山道とは様相が変わったようである。移転はその際のことだろうか。
四国のみち
歩き遍路や山歩きをしていると、折に触れて「四国のみち」の木標に出合う。よくよく考えると、「四国のみち」って何だろう?チェックすると、「四国のみち」とは歴史・文化指向の国土交通省ルート(約1,300km)と、自然指向の環境省ルート(約1,600km)の総称。環境省ルートは「自然遊歩道」が正式名称であるが、ルートは重なる道筋も多く、まとめて「四国のみち」と称されるようだ。
環境省ルートは、「四季を通じて手軽に楽しく、安全に歩くことができる自然遊歩道」として整備されたのはわかるのだが、何故建設省が?そこには道路整備だけでなく、自然派志向の世論もあり、昭和52年(1977)以降「自転車道」「歩道」の整備をも重視することになった背景があるようだ。
この建設省ルートは基本遍路道を基本としながらも、既存道路の利用という前提もあり、札所を結ぶとはいいながら遍路道との重なりは6割弱とのこと。国道、県道、市町村道、林道整備がその主眼にある故ではあろう。
上に建設省ルートが歴史・文化指向といった意味合いは、札所や遍路道の歴史的・文化的価値を見出し、モータリゼーションの発展にもない、昭和59年(1984)には15万人もの人が訪れるおとになった四国遍路を観光資源としてそれを繋ぐ道を整備していったようにも思える。

六丁石;10時35分
「雲辺寺1.5km 大興寺8.1km」と書かれた「四国のみち」の木標の傍に立つ。









七丁石;10時39分
「七丁」と「念仏供養」の文字がはっきり読める。そもそも幾多の仏の中で、何故に地蔵菩薩が丁石として登場するのだろう。
地蔵菩薩の菩薩とは、仏の位で言えば、如来>菩薩>明王>天部にあり、もう少々徳を積めば最高位の如来になれるポジション。人を救うといった誓願をたて現世に留まり徳を積んでいる仏であるが故に、最もポピュラーな仏さま。その故だろうか。そのうちに調べてみたい。

九丁石:10時46分
この丁石には錫杖を抱いた地蔵菩薩が彫られる。錫杖をもつもの、持たないもの、錫杖も右肩・左肩(右手は錫杖、左手は如意宝珠)など舟形(光背)地蔵もその姿は様々だ。
地蔵菩薩、野辺に佇むお地蔵さんとして身近な存在であるが、もともとは結構有り難い仏さま。仏陀が寂した後、次の仏陀(弥勒菩薩)が現れるまでの間、現世に留まり六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅・人道・天道)を輪廻する衆生を救済してくださる。
地はサンスクリットの「大地」、蔵は「胎内」から。大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を、その無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされる(wiki)。

丁石(拾丁目):10時54分
上部が破損。ふたつに分かれた舟形地蔵丁石の上部に「拾丁目」と刻まれ、下部には「享保五年庚子七月廿四日」、そして「片桐市**」といった文字が刻まれる。「目」があったり、日付があったり、奉納者らしき人名があったりと、この丁石は他のものと少し異なっている。

十一丁石:11時
傍に「雲辺寺2.1km 大興寺7.5km」と書かれた「四国の道」の木標がある。







十二丁石:11時9分
「へんろみち」の説明ボードの傍にある。木のベンチもある。








十三丁石:11時14分
この辺りが雲辺寺から里に下りるまでのおおよそ半分。標高は600mほど。おおよそ300m下ってきたことになる。









十五丁石:11時25分
「雲辺寺2.7km 大興寺8.9km」と書かれた「四国の道」の木標傍にある。「大興寺 8.9km」としか読めないのだが、距離が増えるのはおかしい。6.9kmであれば理屈に合うのだが。







十六丁石:11時30分
左手が開け、木のベンチがある傍に立つ。








十九丁石:11時41分
木のベンチ手前に立つ。丁石はここから里に下りるところまで見つけることができなかった。まったくないのは不自然。「四国のみち」整備の際にでもどこかにまとめられたのだろうか。または、この辺りから旧遍路道は「四国のみち」とは別ルートであったのだろうか(これは妄想)。


「四国のみち」木標(大興寺まで6.4km)
19丁石から2分程下ると「四国のみち」の木柱。「雲辺寺3.2km 大興寺6.4km」とある。先ほどの「大興寺8.9km」は何だったのだろう。見間違い?



「一升水」の標識:1154分
空は更に開け、「へんろみち」の説明ボード(11時47分)を越えた辺りからは里が全面に開ける。地形図を見ると鞍部になっていた。
鞍部の先、449mピークの手前で軽く右に折れ、数分歩くと「四国のみち」の木標がある。「雲辺寺3.5km 大興寺6km」と記された木標傍の木柱に「一升水」と記される。
特に案内はないのだが、地図を見ると先ほどに鞍部に向けて沢が切り込んでいる。このあたりに滾々と湧き出る湧水でもあったのだろう。

辺りは木のベンチも整備された休憩所となっており、鰻淵の案内ボードもあった。鰻淵は遍路道の東側の谷で、林道から少し入ったところにある、と記される。林道は東の谷・沢筋が注ぐ粟井ダム湖縁に見える林道のことだろうか。不明である。
なお、この地には「坂瀬山林区財産境界」と記された石も立つ。坂瀬山林区が入会権をもつ山林という事だろうか。財産はこの場合、山林を指す。
一升水
散歩の折々で一升水に出合う。四国中央市の土佐北街道・横峰越え、香川の箸蔵道などで出合った一升水が記憶に残るが、共に弘法大師空海ゆかりのものであったが、この地の一升水は?

「四国のみち」木標(大興寺まで5.7km):12時6分
道端に「第125号」と書かれた石柱(11時57分)。何だろう?少し下ると「四国のみち」の木標。大興寺まで5.7kmとある。更に下ると石柱(12時10分)。摩耗が激しく手掛かりがない。これまた何だろう。
はっきりはわからないのだが、この辺りには陸軍用地の標石が残ると言う。大野原内野々一帯には陸軍第11師団の広大な雲辺寺陸軍演習場があったようであり、形からすれば各地に残る陸軍用地境界石と似ているようだ。「第**号」も陸軍境界石に記されるパターンではあるが、共に不明である。

林道交差;12時34分
陸軍境界石らしき石柱から20分ほど下ると舗装された道に交差する。粟井ダム方面を結ぶ林道だろう。林道を隔てた北側に「四国のみち」の木標が立つ。
「大興寺5.1km 雲辺寺」4.5km」と書かれた木標傍に遍路道直進との矢印がある。地図を見ると、一筋北に東西に走る林道がある。道を横切り先に進む

広域幹線林道・五郷財田線と交差;12時40分
前に広がる里の景色を見ながら数分下ると舗装された道に出る。ここが雲辺寺への登山口だと思う。雲辺寺から5キロ弱の山道をおおよそ3時間で下ってきたことになる。
遍路道が林道との交差する箇所に「四国のみち」の木標が立ち、「雲辺寺4.6km」, 「大興寺5km 雲辺寺3.3km 五郷ダム4.8km」と記される。何故唐突に「五郷ダム」?
どうもこの林道は広域幹線林道・五郷財田線のようだ。三豊郡財田町灰倉からこの地を越えて雲辺寺ロープウエイ山麓駅前を経て五郷ダム方面へと進む(林道起点はこちら側)故の「五郷ダム」の案内だろう。
この交差箇所に旧遍路道の案内もある。手書きの案内は消えかけており。うっかりすると見逃してしまいそうな案内ではあるが、指示に従い左折する。

旧遍路道;12時49分
林道を10分弱西に進み、池を越えたあたりに旧遍路道右折の案内がある。遍路道は右に折れ里に下るが、ここで遍路道歩きは一時中断。単独車行の原則としている、山道を下り車道に出たところで車デポ地へ戻るというルールに従い、車デポ地である雲辺寺ロープウエイ山麓駅まで4キロ弱を戻る。

散歩のメモも今回はここでお終い。里道を大興寺まで辿る遍路道メモは次回に廻す。雲辺寺から里までの遍路道は、「四国のみち」として整備されていたこともあり、至極快適な下りではあった。

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