散歩をはじめた頃

2005年 7月25日 月曜日
ひたすらに歩いている。今年の初めから。都内からはじめ多摩、秩父まで。1日3キロとしても500キロも歩いただろうか。歩き始めて気がついたことがある。東京って、なんと凸凹の多い街であることか。丘もあれば、谷もある。渋谷などその典型か。崖もあれば湧水も多い。国分寺から二子玉川まで続く国分寺崖線、いわゆる「ハケ」と呼ばれる崖が野川に沿って20キロ近くも続く。国分寺駅近くの野川源流から、野川公園、世田谷の成城のまで、湧水が楽しめる。足元が気になりはじめた。足元の東京の地形がどうなっているのか気になった。「立体地図が欲しい」「登高データのついた地図が欲しい」。書店にも行った。見つからなかった。WEBを探した。結構多くの資料が手に入った。で、結論として、「カシミール3D」というソフトを使って自分で作ってみることにした。
散歩のデータと地形図のデータがたまってきた。どこに整理整頓しようか、と考えた。で、今はやりのブログってものに、私の日常生活の一部を預けることにした。
過去の散歩の履歴を順不同に整理していく。そのうちに、実際の日付と散歩の履歴データが一致するかとも思う。


2005年 7月26日 火曜日

国分寺崖線散歩1;さて、第一回は一昨日歩いた、国分寺崖線。いわゆる「ハケ」の道。国分寺から崖下の道を野川に沿って柴崎駅近くの甲州街道まで。行程は大体13キロ程度。JR国分寺駅下車。JR中央線に沿って西国分寺方面へ。日立中央研究所の湧水地点から流れ出し、JR中央線をもぐり流れ出る野川源流点近くを探す。ほとんど民家の軒先といったところから線路下の流水路から流れ出るポイントを確認。次はもうひとつの源流点、武蔵国分寺跡近くに移動。真姿の池で湧水群を確認。真姿の池からは御鷹の道に沿って、野川との合流点に。途中、遊歩道が切れたりもしたが、合流点に。野川を少し下ってすぐ、東京経済大学下の「ハケ」道に。関係者以外立ち入り禁止を気にしながら学内に入り、湧水地「新次郎池」をチェック。東京経済大学に沿った坂道、「くらぼね坂」を上ってみる。昔はぬかるみで馬も足をとられたとか。 「くらぼね坂」を下りなおし、横の貫井神社へ。ここでも湧水地チェック。崖下を歩こうかどうしようか迷ったが、結局、野川に沿って遊歩道を歩くことにした。5メートルで色分けした地形図を手に、左手の「ハケ」を確認しながら武蔵野公園から、野川公園まで。
野川に沿って左手に「ハケ」が続く。地形図どおりだ。

野川公園を過ぎ、中央道をくぐったあたりから、崖線と野川は離れていく。崖下の道を行こうか、野川の遊歩道を下るか迷ったが、野川ルートに。甲州街道との合流まで行き、予定終了とした。図は国分寺崖線の国分寺から甲州街道までの地形図のルート。崖が見事に続いているのがわかる。いやはや「カシミール3D」はありがたい。これがフリーソフトだとは。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23業使、第631号)」)

2005年 7月27日 水曜日

国分寺崖線散歩2;今回は国分寺崖線の下半分。野川の甲州街道との合流地点から多摩川への合流地点まで。
昨日の最終地点、京王線の柴崎で降りようかどうしようかと迷ったが、地形図でご覧のとおり、このあたりは国分寺崖線と野川がずっと離れ、仙川あたりまで引き下がっている。
そういえば、別の機会に調布から杉並の永福まで歩いたときのこと。京王線の柴崎を通り、つつじヶ丘でちょっとした丘を越え仙川に近づいたとき、途方も無い、ほんとうに壁のような崖に出くわした。あれこれ住宅脇の登りルート(少々オーバーか)を探り坂を上ると、実篤記念公園に出たことがあった。今回地形図でわかったが、このあたりが国分寺崖線だったわけだ。

ということで京王線つつじヶ丘駅で降り、つつじヶ丘一帯に広がる、ちょっとした丘の端から、仙川方面の崖を確認。つつじヶ丘駅方面に引き返し、京王線にからちょっと離れた坂道を下り、菊野台町から一路、野川の遊歩道に。ここからは、左手、ずっと遠くに見える崖線を地形図で確認しながら、成城学園近くの小田急線との合流点に向かう。
途中入間町、あたりから崖線が野川に再び接近してくる。小田急線との合流点、成城4丁目あたりまでくると、標高差20メートルもあるかと思う崖となる。丘から崖にかけていい感じの雑木林。「神明の森みつ池」と言うらしい。特別保護林のようで、中に入ることはできそうもない。保護林に沿った急な坂道を登る。喜多見不動近く、とは思うのだが見るけることができなかった。湧水が見れなくて、ちょっと残念。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23業使、第631号)」)
成城学園駅前でお昼休み。小田急線に沿っての急な坂道を下り、崖下の「ハケ」沿いの道に。いやはやすごい崖が続く。途中、道沿いに「成城3丁目緑地」の看板を見つけ、坂道を登る。崖道を十分に実感。気持ちも軽く、野川の遊歩道に戻る。
あとは、多摩川との合流点まで一路歩くだけ。喜多見を過ぎるころから、野川と崖線が離れていく。別の機会に崖線に沿って砧方面を歩いてみようとも思いながら、東名高速の下をくぐり、遊歩道脇の農地での直売などを楽しみながら、田園都市線二子多摩川駅近くで野川が多摩川に合流する地点を見届け予定終了。
地形図はつつじヶ丘から二子多摩川までのルート。全行程12キロ程度。ルートマップもつけておく。


2005年 7月28日 木曜日

日暮里台地・本郷台地
京浜東北線だったか、山手線だったか、ともかく、田端に近づくあたりから上野にかけて、線路沿いに続く丘というか崖が気になっていた。あのむこうはどうなっているのだろう。

今年の春のある日曜日、そこに散歩に出かける事にした。とりあえずJR田端駅で降り、崖の上を歩いてみようと思った。そのころは「カシミール3D」を使った地形図もつくっていなかったし、というか、ここの散歩がきっかけとなって立体地形図探し・つくりを始めたわけで、地形図のナビゲーションもなく、とりあえず歩いてみることにした。
JR田端駅で降り、上野に向かって進行方向最後部の改札からで出る。で、尾根道というか、単に丘の上、日暮里台地上の住宅街であるのだが、崖に沿った道沿いに歩いていく。低地への見晴らしはよい。そろそろ日暮里というあたりで下り坂となり、降りきったところには開成高校があった。

開成高校近くの歩道橋を渡り、再び丘というか崖を上ると道灌山。昔は秋田佐竹藩の抱え屋敷(幕府からもらった拝領屋敷ではなく、私的に購入した屋敷のこと)があったこの地は、今は西日暮里公園となっている。眺めのいいこの一体は昔から行楽地だったようだ 。公園を少し進むと諏訪神社。日暮里・谷中の総鎮守であるこの神社は諏訪台地のもっとも高い位置にあるとのこと。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23業使、第631号)」)

尾久、日暮里の街並みの眺めを楽しんだ後、京浜東北線とは逆の谷中方面、富士見坂に向かう。富士見坂上からは、低地をはさんで向かいの本郷台地が見える。富士見坂を降り、妙隆寺・修性院・青雲寺(花見寺)、南泉寺(遠山の金さんの遠山家に縁がある?とか。団十郎不動)とかあれこれお寺巡り。再び富士見坂道を登り、丘の上を日暮里駅まで。丘からの眺めなど、「荒川日暮の里」というホームページが参考になった。
日暮里駅前では、本行寺(月見寺) 浄光寺(雪見寺)など、いくつかのお寺にお参りし、その後、住宅街の軒先ぶらぶらと坂を下りていくと谷中銀座に偶然行きついた。「ゆうやけだんだん」と言う階段からはじまるこの商店街を下りて行き、谷中銀座を通り抜け、不忍通りに。あとは一路、根津神社に。
由緒ただしきこの神社にお参りした後は、脇の坂道を登り、本郷通りに。新坂とも権現坂とも呼ばれるこの坂は森鴎外の小説「青年」にS坂として登場する。

本郷通りを東大に沿って歩き、赤門の辺りから本郷通りを外れ、本郷菊坂方面に民家の軒先を下っていく。啄木の下宿跡「赤心館跡」とか樋口一葉、坪内逍遙、宮沢賢治、そして徳田秋声など、明治から昭和にかけてこのあたりに住んだ文人のゆかりの地が数多くある。名だたる(?)坂道の多いことよ。菊坂界隈を巡ったあと、春日通から水道橋に。これで散歩はおしまい。

冒頭にも書いたが、この散歩のあと、しきりに足元が気になり、地形図をつくりはじめることになった。自分にとってはエポックメーキングな散歩だったわけ。
で、作成した地図とルートマップをつけておく。地図をご覧のとおり、荒川方面の低地、京浜東北線にそって上野台地につづく日暮里台地。向かいの本郷台地とその間の根津の低地がくっきりと色分けされている。大昔はこの台地の下の低地は海であり、入り江であったのだろう。
気になることがあった。上野の山は「忍が岡」と言う。それがなぜ「不忍通り」であり、「不忍(しのばず)池」と呼ぶのか?忍?不忍?
調べてみた。いくつかの説があるようだが、「萱、すすきが
生い茂り、道のさかいも分けざるに、池ばかりはあらわれみえたれば、忍ぶこともあたわずの意とする説(『江戸名所記』)。つまりは、東京湾の入り江の原野の中に、はっきり見えるたので「不忍」と言った」とか。この説で一応納得。
ちなみに、「根津」。忍が岡、向ヶ岡と海との付け根にあり、船泊りであったことから港の意味を持つ「津」をあわせ地名になったとか。



2005年 7月 29日 金曜日

カシミール3D
  

地形図をつくるまでのお話。歩きはじめ、足元の地形が気になり、あれこれ地形図を探してはみたものの、結局「カシミル3D」というソフトを使って等高データをつけた、というか等高別に色分けした地形図を作るようになるまでのあれこれをメモしておく。

東京の立体地形図を探して結構多くの書店は廻った。こんなディープな地図など無いだろうな、あればいいなあ、とは思ったのだが、案の定、見つけることができなかった。

Webを調べた。検索エンジンを使い、「東京の地形」「東京の地図」といった検索から、「東京 地形図」「東京 立体地図」「江戸 地形」といた「OR検索」まで、それはそれは、調べ続けた。
で、「jm@foo 地形散歩」、というサイトを発見。これだよ、これ。いやはや嬉しかった。

地形図もさることながら、地形散歩、ってことに興味を持つ方がいることも嬉かった。また、「地形 散歩」でヒットしたのは「武蔵野台地の河岸段丘」というホームページ。これだよ、これ。

こういった地形図をつくりたかった。どのようにして作っているのか、コメントを探した。
jm@foo 地形散歩のサイトに以下のコメントがあった。
「地形図は数値地図5mメッシュ(標高)のデータを整形後、GMTで描画した。カシミール3Dでもある程度同じようなことが、しかもはるかに簡単に可能だが、等高線がガタガタになってしまったり、段彩色を細かくコントロールしにくかったりと、やや不満があったためGMTを使用した。」

GMOがよさそう。ということで、GMOのサイトを調べたが、Linuxとかcompileとか、どうもこれは本格的そうで、とても手には負えそうにもない。諦めた。そして、同じくコメントにあった、カシミール3Dでつくってみようということになった。

「武蔵野台地の河岸段丘」にも「このページで表示している地図の画像は、DAN杉本さんが開発・作成したソフト「カシミール3D」で作成したものです」というコメントがあった。ますます意を強くした。「カシミール3D」でつくってみよう。

実のところ、カシミール3Dは既に持っていた。一昨年八ヶ岳に登ったとき、その思い出話を山好きの弟(「四国の山に行こうよ」というホームページをもっている)としているとき、山岳地形3Dソフトとして、いいものがあるよ、ということで紹介してもらったわけだ。

カシミール3D自体はフリーウエアのソフトだが、書店でもCD-ROM付きの書籍として販売しているとのこと。本さえ買えばあれこれ準備しなくてもすぐに使えるという話なので、迷うことなく書店へ。『カシミール3D入門:\1900』と『カシミール3D パーフェクトマスター編:\2600』の2冊を買った。

『カシミール3D入門』には、地図画像+標高データがマッピングされている1/50,000(関東甲信越)と1/200,000(全国)の地図データが付いている。『カシミール3D パーフェクトマスター編』には同じく、1/50,000(東北北海道)と1/200,000(全国)の地図データ、それに50mメッシュ(全国)が入っていた。また機能拡張のための各種プラグインソフトが入っている。現在では50mメッシュ(全国)といったものの意味も少しはわかるのだが、そのときはあまり気にもせず、3Dというか立体の地図がつくれることだけがうれしかった。

八ヶ岳、秩父の棒の折山、奥多摩の高尾山、御岳さん、三頭山、大菩薩峠、丹沢<の檜洞、キャンプに行った草津近くの野反湖、大町ダム・龍神湖など、いままでに登った山の立体地図、麓から・登山道の途中から、そして上空から眺めた立体地図など作って楽しんでいたわけだ。上と下の画像は上空2,100メートルから見た八ヶ岳と、上空6,000メートルからみた高尾・陣場。相模湖あたりの風景。

その時は、まさか、カシミール3Dを使って、東京の地形図をつくることになろうとは思いもしなかった。今回、東京の地形図をつくるようになって初めてカシミール3Dのもつ機能のお勉強をはじめた気がする。その学習の履歴は次回にまとめてみようと思う。  



2005年 7月 30日 土曜日
カシミール3D_2 

いつだったか、「カシミール3D」のホームページを見ていると新刊がでている。「カシミール3D 図解実例集1(初級編)¥2,500」。1/25,000(関東甲信越)の地図+等高データが入っているとのこと。 東京の地形図をつくろうとしている手前、買うしかないでしょう。
また、いまひとつよくわからないまま、『数値地図5mメッシュ(標高);国土地理院発行』、なんとなくありがたそうなので、えいやっと、¥7、500円も使って買ってしまった。

< 買ったのはいいのだけれど、パソコンにインストールして出てきたものが上に載せた地図。当然といえば当然なのだが、地図データがないわけだ。「カシミール3D」の各書籍にバンドルされている地図データはすでに等高データがマッピングされているようで、純然たる地図というわけでもなさそうだし。。。また、地図を買わなければいけないのか、などと思っていた。が、カシミール3Dを立ち上げたときに現れる「ようこそカシミール3Dへ」の画面にインターネット接続さえしていれば、国土地理院の地図閲覧サービスを利用できるとの案内。早速アクセス。2万5千地形図が出てきたので、指示に従い編集メニューの「標高データを重ねる」を選び、標高データとして購入した「数値地図5mメッシュ標高」を選択。これでなんとなく準備ができたよう(あまり自信はないのだが)。

まずは、標高線に応じた地図の色分け。「カシミール3D」で山の風景を作っていたときは、気にもしていなかったので少々、途方に暮れる。はてさて。

あれこれ触っていると、「表示メニュー」>>「パレットの選択」>>「標高データパレット」>>「編集」>>「パレットの設定」で標高単位と色を自分で決めることができる、よう。5メートル単位で色分けしてみた。いままでこの日記に掲載している地形図はその成果物。本来なら標高毎の色を統一すればいいのだろうが、輪郭をはっきりとさせたい、という思いもあり、高さと色は敢えて統一してはいない。

次は、いわゆるロードマップというか散歩の軌跡作成。これもいろいろ触っていると、「登山ルートの作成」ができる、とのこと。地図上のスタート地点にカーソルを置き、右クリック「新規作成」>>「登山道・新規ルート」。スタート地点にカーソルを置き、後はルートを描いていけばいい。今まで掲載している地図上の赤とか青の線はこの手順でつくったもの。また、このルートをつくっておけば、そのルートの断面図も作成できる。地図とペアで掲載しているルートデータはその成果物。それ以外にもいろいろな機能があるようだが、当面必要としたのは、標高単位で色分けできた地図であり、そのルートマップ、ルートデータであるので、これで十分。今に至っている。

今回久しぶりに「カシミール3D」のホームページを見ていたら、「日本高密メッシュ標高セット公開」というメッセージ。「東京都心部や、名古屋市なども10mメッシュの解像度でカバー。従来の50mメッシュでは全く見えなかった微地形を再現します」とのこと。¥7,500円を出して、『数値地図5mメッシュ(標高);国土地理院発行』、買ってしまったばっかりなので、少々気持ちの整理ができてからダウンロードしようか、とも思う。

下に「カシミール3D」のサイトにサンプルとして掲載されている渋谷近辺の地形図を載せておく。もう少し早くリリースされていたら。。。、もう少し『数値地図5mメッシュ(標高)』への投資を逡巡していたら。。。



2005年 7月31日 日曜日

目黒散歩:東急東横線を渋谷から自由が丘まで歩く

地形が気になってから、地理というか地形というか、この領域に関する本をいくつか読んだ。『東京の自然史』(貝塚爽平著、紀伊国屋書店\1,650)もそのひとつ。その中でちょっと気になる箇所があった。「東急東横線の渋谷から多摩川まで乗ってみれば、高い台地・低い台地、そしてそれを刻む谷底低地からなる山の手台の地形がわかりやすい」とのこと。東急東横線を渋谷から自由が丘まで歩いてみることにした。(日曜日, 7月 31, 2005のブログを修正)

渋谷駅
渋谷駅をスタート。246号を越え、セルリアンタワーの脇を南平台の住宅街に入り、お屋敷街の丘を登っていく。セルリアンの意味が気になり調べる。cerulean{紺碧;こんぺき}(の)、ということ。 西郷山公園丘を登りきり、旧山手通りを渡ると、西郷山公園。江戸時代には豊後の岡(竹田)城主中川候の抱え屋敷。明治になり、西郷隆盛の弟・従道(明治時代の軍人(元帥)・政治家)別邸であったとのこと。
崖上のこの公園からの眺めはいい。このあたりは淀橋台(目黒川と神田川で刻まれる山の手台地の「高い」台地)の西の端。丘の下の目黒川・山手通りのある低地(目黒川沖積地)との高低差は20メートルくらいだろうか。低地の向こうには目黒台の丘(山の手台地の「低い」台地)が見通せる。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23業使、第631号)」)
祐天寺

公園脇の青葉台1丁目の坂道を下り、目黒川・山手通りを渡り、上目黒2丁目あたりからゆるやかな坂を中目黒方面に。東急東横線の高架にあたる。このまま線路脇を祐天寺駅に、とも思ったのだが、なんとなくよく聞く祐天寺というお寺見ておこうと思い、目黒区役所の横を通り、駒沢通りを渡り祐天寺に。徳川家にゆかりの深いお寺であるようだ。
 東急東横線に戻る。途 中こんもりとした森が目についたので、行ってみる。天祖神社。祭神は天照皇太神。創建の年月ははっきいしていないようだが、境内の老木が多く、かなり古い時代の創建とのこと。神社の横には伊勢脇公園。伊勢脇の森と呼ばれたこの高台から、ゆっくりとした下り坂を東急東横線に。

祐天寺駅

線路に沿って、こんどはゆったりと坂をのぼり、一路祐天寺駅まで。祐天寺駅近くの古本屋で休憩。『幻の江戸百年(鈴木理生:ちくまライブラリー)』『全国名水の旅(南正時;山と渓谷社)』『東京の空間人類学(陣内秀信;筑摩書房)』『千人同心(もりたなるお;講談社)』の4冊購入。たまたま見つけた古本屋をのぞくのも散歩の楽しみのひとつ。 学芸大駅 古本屋を出て、線路沿いに平坦な道を学芸大駅に。学芸大も今は小金井にあるわけだし、何故「学芸大」、って疑問。調べてみると、お隣の都立大も含めて、駅の名前を変えるかどうか、住民アンケートをとっているとのことだった。

立会川緑道
駅近くに「立会川緑道」のサイン。立会川って、京急の駅で降りたこともある。地図で見ても駅近くに流路も見えないし、暗渠が延々とつづくのだろうか。今度調べてみようと思う。

碑文谷池
駅の近くには碑文谷池。立会川の水源のひとつとされる。昔は地名をとって「三谷の池」と呼ばれ徳川将軍の鷹狩り場であったとのこと。

都立大学駅
碑文谷池を超え、線路に沿って環七との交差に近づくにつれ、ゆったりとした登り坂。東急の電車がに眼下に見える。目黒台よりちょっと高い台地、荏原台に近づいたのだろう。山手通りを越えると、ゆっくりと都立大学駅まで下り坂。「呑川によって刻まれた」低地ということのようだ。

呑川
駅前に「呑川柿の木坂支流緑道」「呑川本流緑道」といったサイン。地図によれば、呑川は大井町線「緑ヶ丘」駅あたりまでは、暗渠のよう。上にも書いたが、地形の説明などに「呑川によって刻まれた」低地といった説明を目にする。「呑(のむ)」川、の名前そのままに、昔はこの台地を刻み、「呑み込む」暴れ川だったのだろうか。なんとなく地形学上に大事そうであるので、ちょっと源流だけをチェック。
源流はいくつかあるよう。世田谷・桜新町、清水窪・洗足池の湧水、九品仏・浄真寺池、そして現在最大のものは新宿・落合処理場からの下水高度処理水。東京都「清流復活事業」というのだが。。。

自由が丘
都立大を越え、線路沿いにゆっくりと登り坂。東急線も坂道とともにゆっくり登る。で、あとは自由が丘の低地にゆっくりと下りていく。

九品仏川緑道
今日は自由が丘で終わる予定だったのだが、自由が丘駅前のボードに緑道のサイン。駅前から「九品仏川緑道」が大井町線「緑ヶ丘」に続く。そして「緑ヶ丘」から都立大学までは「呑川本流緑道」が続いている。どうせのことなら緑緑の襷がけを、ということで先に進む。

緑ヶ丘駅
左手に大岡山の小高い丘を意識しながら、「九品仏川緑道」を緑ヶ丘駅まで。ここで、暗渠から顔を出す、呑川の流れを確認。清流復活事業とは言え、落合から導管(?)でここまでもってきているとは、となんとも複雑な思いも残しながら、大岡山の東工大の横を都立大学の駅まで戻り、本日は終了。

地形のメモ
下にルートマップを載せてある。『東京の自然史』37ページ、山の手南部の地形に説明している文章を引用しながらコメントする。「渋谷から多摩川までの東横線は、まず、淀橋台をきざむ渋谷川の谷の中ほどにある渋谷駅にはじまり、淀橋
台(注;西郷山公園のあたり)―目黒川沖積地(注;目黒川・山手通のあたり)―目黒台(注;祐天寺から学芸大)―荏原台(この中に呑川のいくつかの支谷がある[注;柿木坂・環七のあたりから自由が丘あたりまで。])を横切り。。。(中略)。いくつかの台地と谷を横切る上に、そのレールは、武蔵野段丘の高さに近い海抜20-30メートルを通るので、地形の高低を車窓から観察するのに都合がいい。(中略)目黒台上の祐天寺―学芸大学間では平坦地の上を走るが、それより高い淀橋台と荏原台では代官山のトンネルと柿の木坂の切通し(学芸大―都
立大学間)をとおり、それより低い、渋谷川・目黒川・呑川などの浸食谷では、谷底の沖積低地を見下ろして走る。。。(略)」。まさしくそのとおり。


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