伊予 別子銅山 仲持ち道散歩 そのⅡ;別子銅山の仲持ち道を東平まで登り、上部鉄道跡を経て魔戸の滝へ

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バリエーションに富む、今回の散歩の第一のパートである「仲持ち道」の道に続き、東平から上部鉄道跡まで上り、一度魔戸の滝に下り、再び尾根に折り返し「犬返し」から立川の龍河神社のメモ。
上部鉄道から魔戸の滝までの繋ぎのルート確認が弟の今回の散歩の眼目。 600mほどは藪漕ぎとなる、とのことであったが、結果は思いがけず整地された作業道が見つかり、あっけなく「繋ぎの道」は確認できた。
そこから先は急坂を下り、豪快な魔戸の滝を眺め、折り返した「犬返し」では少々腰が引けたが、なんとかクリア。龍河神社に下る最後の詰めは、途中竹林を見た瞬間に、もう里に下りたと安心し、最後の詰めが甘く、コースを大きく逸れグズグズの道を下ることにはなったが、無事龍河神社に到着。
別子銅山の遺構や四国山地の美しい滝、いつも実家から見てはいたのだが、初めて歩いた「犬返し」など、四国の山を歩き倒している弟ならではのコース取りの妙に感謝し、散歩を終える。


本日のルート:

Ⅰ仲持ち道パート;遠登志(おとし)=落トシ ~東平・第三広場  約2時間10分
○車デポ>遠登志橋>遠登志からの登山道と合流>坑水路会所跡>坑水路会所跡>索道施設跡>坑水路会所跡>軽い土砂崩れ箇所>支尾根に索道鉄塔基部跡>>鉄管>切り通しにお地蔵さん>中の橋(ペルトン橋)>東平遠望>滝が見える>;辷坂地区(すべり坂)社宅跡地>第三広場

Ⅱ上部鉄道パート;第三広場>一本松停車場跡>上部鉄道>石ヶ山丈(いしがさんじょう) 約1時間30分
○第三広場>一本松社宅跡>一本松停車場跡>橋台に木橋>第二岩井谷>第一岩井谷>紫石>東平が見える>切り通し>地獄谷>索道施設>石ヶ山丈停車場跡

Ⅲ 魔戸の滝パートへの繋ぎ道探索 石ヶ山丈分岐~魔戸の滝・造林小屋分岐~魔戸の滝~滝登山口 約1時間
○石ヶ山丈分岐>沢に橋台>道が切れる>下段に林道が見える>下段林道を石ヶ山丈方面へと戻る>石ヶ山丈分岐直下に戻る>魔戸の滝登山道合流点へ向かう>魔戸の滝登山道合流点>魔戸の滝上部分岐標識

Ⅳ 魔戸の滝パート;魔戸の滝上部分岐~西種子川・魔戸の滝登山口 約 40分
○魔戸の滝上部分岐標識>大岩展望所>魔戸の滝に急坂を下る>魔戸の滝に到着>魔戸の滝登山口

Ⅴ 犬返しパート;魔戸の滝登山口~鉄塔尾根~犬返し~龍河神社分岐~龍河神社 約2時間30分
○魔戸の滝登山口>種子川林道を下る>林道石ヶ山丈線分岐>四国電力鉄塔保線路への分岐>種子川林道崩壊地の上部>犬返し>「種子川林道」の分岐標識>龍河神社分岐>保線路分岐>林道へ着く>龍河神社のデポ地点に



□Ⅱ 上部鉄道パート;第三広場>一本松停車場跡>上部鉄道>石ヶ山丈(いしがさんじょう) 約1時間30分

この上部鉄道跡パートは、以前端出場発電所導水路を辿った折り、その復路を石ヶ山丈から一本松停車場跡まで歩いたことがある。今回は、そのコースを逆に進むことになる。

一本松社宅跡:9時48分(標高871m)
第三広場から「一本松停車場跡」の木標に従い道を上る。10分程度登ると住友共同電力の「「高萩西線46」鉄塔。標高は820mほど。
そこから更に10分強登り標高870m辺りに、「一本松社宅」の案内がある。かつてこの地 には別子銅山の「一本松社宅」があった。戸数185。飯場と人事詰所、クラブ、派出所が各1、その他3つの職員貸屋と2箇所の浴場があった、とのことである(「えひめの記憶」)。

一本松停車場跡;10時1分(標高960m)
社宅跡から10分弱のぼると平坦地。「銅山峯へ 石ヶ山丈をへて種子川へ 東平へ」との三方向の案内がある標識」のあるここが上部鉄道の西端の角石原駅と東端の石ヶ山丈駅の中間にあった「一本松停車場跡」である。一帯は平坦に整地されていた。結構広い。引き込み線もあったようだ。

上部鉄道
「えひめの記憶」に拠れば、明治22年(1889)に欧米を視察した広瀬宰平は、製鉄と鉱山鉄道の必要性を痛感し、石ヶ山丈-角石原問5532mに山岳鉱山鉄道建設を構想し、明治25年(1892)年5月に着工、翌26年(1893)年12月に竣工した。標高1100mの角石原から835mの石ヶ山丈を繋ぐ、日本最初の山岳軽便鉄道は急崖な山腹での工事に困難を極めたと、言う。
この上部鉄道であるが、明治44年(1911)に東延斜坑より嶺南の日浦谷に通した「日浦通洞」が繋がると、嶺北の東平と嶺南の日浦の間、3880mが直結し、嶺南の幾多の坑口からの鉱石が東平に坑内電車で運ばれるに到り、その役目を終える。上部鉄道が活躍したのは18年間ということである。

橋台に木橋;10時6分(標高952m)
一本松停車場跡から東へと、石ヶ山丈へと向かう。小さな沢に橋台が設けられ木の橋跡が残る。沢を迂回し先に進むと保線小屋や給水タンクが残る。






第二岩井谷;10時12分(標高945m)
次の沢には橋台の上に鉄板の仮橋が架けられていた。案内には「第二岩井谷」とある。上部鉄道の橋は鉄橋ではなく木製であったようだ。






第一岩井谷;10時14分(標高944m)
第二岩井谷の先にも橋跡が現れる。木橋は朽ちており、沢を迂回する。谷は「第一岩井谷」との案内がある。橋台は煉瓦造りだが、上に架かる橋は木であった。






紫石;10時28分(標高907m)
東平をみやりn第一岩井谷から20分弱進むと、線路脇に大きな岩が鎮座している。紫岩と呼ばれる。雨に濡れると紫が際立つ、とか。それはともあれ、この辺りは、端出場発電所水路跡散歩で出合った「山ずれ」の上部箇所。紫岩手前辺りで線路跡の道にギャップがある。上部鉄道の上を通る「牛車道」も山ズレ状態にあるようだ。

橋跡:10時31分(標高898m)
紫石の先に2箇所、上部鉄道の橋跡が残る。手前の橋は朽ちた木が残っており、迂回する。その先の橋跡には木製の橋が架けられていた。






東平が見える;10時36分(標高889m)
紫石から5分ほどで谷側が開け東平が遠望できる地2点に。ポールに赤い旗が巻かれているが、これは東平からこの地点確認しやすくするためなのだろう。弟が捻れた旗を直していた。





切り通し;10時50分(標高856m)
東平を遠望できる地点を過ぎると、再び谷側も木々覆われ見通しが悪くなる。10分程度進むと、切り通しに。切り通しも2箇所あり、上部鉄道の写真でよく目にする箇所は2番目の箇所。岩壁手前の岩盤を切り通した箇所から貨車を繋いだ蒸気機関社が映る。貨車には人が乗っている。
上部鉄道の機関車2両、客車1両、貨車15両はドイツのクラウス製。開通当時は運転手もドイツ人であった、とのこと。蒸気機関車2両が交替で貨車4,5両繋ぎ1日6往復。片道42分、平均時速およそ8キロで走った、と。
切り通し部の写真ではフラットな路線のように見えるが、最大斜度が18分の一、133回ものカーブのある断崖絶壁を走ったわけで、結構スリルのある山岳鉄道ではあったようだ。
当時は岩場だけの緑のひとつもない、禿山の切り通しではあったが、現在は線路跡にも木々が立ち並び、緑豊かな一帯となっている。
禿山の植林
禿山と言えば、明治22年(1893)頃より、別子銅山は銅山用の木材伐採と製錬所から排出される亜硫酸ガスで山は荒れ果て、一面の禿山となってしまっていた。
明治27年(1894)、初代総理事廣瀬宰平が引退した後、別子銅山の煙害問題に取り組んだのが、のちの第二代総理事である伊庭貞剛。煙害問題解決のため、製錬所を新居浜沖約20kmにある四阪島(宮窪町)へ移すなど対策を講じる(後年、この四阪島も周桑郡に大きな煙害を齎すのだが)とともに、荒廃した山を再生させる植林事業を開始。それまで年間6万本程度であった植林本数を100万本までへと拡大し、現在の美しい緑の山の礎を築いた。

地獄谷;10時56分(標高836m)
切り通しから8分程度で地獄谷。谷に橋台が残る。急峻な谷に石が敷かれ、地盤を固めているように見える。







索道施設;11時 1分(標高839m)
地獄谷よりほどなく、石ヶ山丈駅のすぐ傍に深い溝をもった遺構がある。索道施設跡である。上部鉄道により角石原より運ばれた粗銅は石ヶ山丈からは索道で立川の端出場(黒石駅)に下され、そこからは同じく明治26年(1893)運行を開始した「下部鉄道」により市内へと運ばれた。
ところで、石ヶ山丈の索道基地は明治24年(1891)に完成している。上部鉄道の建設が開始されたのは翌明治25年(1892)と言うから、上部鉄道開通までは明治13年(1880)に開通した第一通洞の銅山峰北嶺の角石原から石ヶ山丈までは牛車道で粗銅が運ばれ、ここから延長1,585メートルの索道で端出場まで下ろされたのであろう。
なお、明治24年(1891)に完成した索道は「複式高架索道」とのこと。明治30年(1897)には単式高架索道となっている。単式(高架)索道は、端出場火力発電所の電力を使った「電力」で動く索道とのこと。ということは、「複式」とは「上りと下り」の索道の動力モーメントで動かしたものかと思う。

石ヶ山丈停車場跡;11 時4分(標高946m)
索道施設の傍にある「石ヶ山丈駅」跡に着く。杉の木に「石ヶ山丈停車場」の案内があり、その脇には石組みのプラットフォームらしきものが残る。石ヶ山丈停車場跡は上部鉄道の東端の駅であった。
「中持ちさん」・「牛車道」と石ヶ山丈
既にメモしたように元禄3年(1690)四国山地、銅山峰の南嶺の天領、別子山村で発見された別子銅山は、初期は銅山峰南嶺より直線で新居浜に出ず、土居の天満浦に大きく迂回した(第一次泉屋道)。その理由は、銅山峰を越えた北嶺には西条藩の立川銅山があり、西条藩より通行の許可がおりなかったためである。
その後、元禄15年(1702))、住友の幕閣への交渉が功奏したのか、西条藩が別子村>銅山峯>角石原>「石ヶ山丈」>立川 >角野>泉川>新居浜に出る銅の運搬道を許可した(第二次泉屋道)。仲持ちさんの背に担がれての運搬である。
明治に入り、明治13年(1880) には延長22kmの牛車道が完成。銅山嶺南嶺の別子山村>銅山越>銅山峰北嶺の角石原>「石ヶ山丈」>立川中宿>新居浜市内が結ばれた。
この牛車道も明治19年(1882)に銅山峰の南嶺の旧別子より北嶺の角石原まで貫通した長さ1010mの「第一通洞」の完成により、銅山峰を越えることなく角石原から結ばれる。通洞内は牛引鉱車で運搬されたとのことである。

牛車道も一度歩いて見たいのだが、傾斜を緩くするため曲がりくねった道となっており、立川からの登りには5時間ほどかかる、と言う。端出場にある銅山観光施設「マイントピア別子」から東平にシャトルバスが出ているということであるので、東平から逆に下ってみようかとも思っている。

Ⅲ 魔戸の滝パート;繋ぎ道探索 石ヶ山丈分岐~魔戸の滝・造林小屋分岐~魔戸の滝~滝登山口 約1時間

今回の弟のメーンテーマ。石ヶ山丈から魔戸の滝上部登山道への繋ぎを藪漕ぎで進んだようだが、先般ゲストを案内するに際し、山行で疲れたパーティを藪漕ぎで不確かなルートを魔戸の滝へと案内することを断念した、と言う。それが誠に、申し訳なかったようで、再びパーティを安心してガイドできるように、ルートを確定しておきたいとの思いであろう。

石ヶ山丈分岐;11時15分((標高827m))
石ヶ山丈から魔戸の滝に向かう。「左 魔戸の滝 右 一本松」の分岐標識を東へ進む。まるで上部鉄道の続きの様な広い道が続く。
石ヶ山丈分岐
弟のメモに拠れば、「登山道の交差点としてキーポイントとなる石ヶ山丈(いしがさんじょう)分岐はこの辺りのバリエーションルート十字路として重要な場所である。
1)西側へは今歩いて来た上部鉄道が一本松停車場跡~兜岩登山道分岐~角石原(銅山峰ヒュッテ)を経て銅山峰へと続く。
2)東側には今から歩く魔戸の滝・西種子川造林小屋ルートの分岐へ至る。 3)南へ石ヶ山丈尾根道を経由して兜岩~西赤石山へ至る。
4)北へ下りると旧端出場発電所貯水池(沈砂池)を経由して立川山尾根の犬返し~生子(しょうじ)山・煙突山へ至る」とある。

沢に橋台;11時19分(標高826m)
5分ほど歩くと、沢にあたり、沢の両側は石組みとなっている。その上に2本の木を渡しているが、そんなところ通れるわけもなく、沢を迂回。







道が切れる;11時30分(標高809m)
沢から10分ほどで突然道が無くなる。地図で見るとその地点から魔戸の滝登山道まで距離にして600m程。以前この地を辿った弟によれば、ここから魔戸の滝登山道までは、斜面を等高線に沿って真っ直ぐ進むと、のことである。弟にとっては、いままでは私のお付き合い。ここからが本番。この道の切れる辺りから魔戸の滝登山道までのルートを確定すべく、藪漕ぎを「宣言」する。




下段に林道が見える;11時26分(標高806m

ちょっとした藪を少しすすむと、弟が下に林道らしき道が見える、と言う。取り敢えず斜面を下ると結構広い林道が東西に整備されている。道がどこから進んでくるのかと、確認に石ヶ山丈方向へ引き返す。

下段林道を石ヶ山丈方面へと戻る;11時36分(標高810m)
少し引き返すとテープがあり、左上に踏み跡がある。林道は西に進んでいるのだが、このテープの示す場所の確認に上にむかうと、先ほどの道が切れる箇所に出た。







石ヶ山丈分岐直下に戻る;11時37分(標高810m)
次いで、下段の西に向かう林道がどこと繋がるのか確認に向かう。少し藪とはなってはいるが、それでもしっかりとした林道を進むと、先程出合った小さい沢の下を通る。下からは沢に整備された石垣や二本の木橋も見える。
更に先に進むと、石ヶ山丈分岐から旧端出場発電所沈砂池へ少し下った岩のある所に突き当たる。石ヶ山丈分岐の下側,大岩を巻いて「沈砂池」に至る箇所から東に進む林道があったわけだ。林道の切れるあたりが少し荒れているので、幾度となくこの箇所を歩いている弟も、ここから林道が続くとは思っていなかったようである。

魔戸の滝登山道合流点へ向かう;11時40分

石ヶ山丈直下の林道が切れるところから、今来た道を戻る。上段の道が切れる箇所から先も、東に向かって下段林道が続く。
下段の林道は上段から来る林道と合わさり更に先に進む。道は作業林道として現役で使われているようであり、植林されて間もない幼木杉や作業の痕跡が目立つ。







魔戸の滝登山道合流点;11時50分(標高789m)
道が切れた箇所から下段林道を10分ほど歩くと「魔戸の滝登山道」に繋がった。要は、石ヶ山丈分岐から一段尾根を下がった場所から東へ延びた林道(少し荒れ気味ではあるが)からスタートすれば一直線で魔戸の滝上部登山道に合流する、と言うことである。魔戸の滝登山道合流点への繋ぎ道のルート確定が最大の眼目であった弟は、予想外の展開ではあるが、初期の目的が達成できたわけである。



魔戸の滝上部分岐標識;11時54分(標高780m)
魔戸の滝登山道合流点からは更に上に登山道は延びるが、我々は魔戸の滝へと尾根を下る。トラバース気味に尾根を下り、左手に植林作業場を見遣りながら進むと魔戸の滝上部分岐標識が立つ地点に到着。ここから下には魔戸の滝へ又、斜面に沿っては西種子川造林小屋跡への下側道が延びているとのことだが、魔戸の滝の標識以外は錆びて読めない。





Ⅳ 魔戸の滝パート;魔戸の滝上部分岐~西種子川・魔戸の滝登山口 約 40分

大岩展望所;12時00分(標高749m)
魔戸の滝に向かって下る。最初は岩尾根を少しだけトラバースしながら下る。尾根に平たい大岩がある。この岩が魔戸の滝尾根道ルート確認ポイントのひとつ、とのこと。ほどなく尾根から突きだした大岩に出合う。弟は大岩の尖端近くまで這っていったが、高所恐怖症の我が身は、見守るだけにする。昔より木々が生い茂り、眺めが悪くなっていた、とのこと。




魔戸の滝に急坂を下る;
大岩から先は踏み跡に従って進む。ここはテープも随所に現れる。先に進むと尾根を少し外れて左側斜面へとルートが変わる。結構急な斜面もある。この尾根道はガイドの弟がいるから心配はないものの、ひとりで辿るのは少々腰が引ける。
魔戸の滝尾根道ルート確認ポイントでもある「根上がり樹」前を通過し、最後はなだらかな笹の斜面を右に廻り込むと魔戸の滝が見えてくる。




魔戸の滝に到着;12時22分(標高599m)
圧倒的な水量で、スケールの大きな美しい滝である。滝は三段になっており上から上樽・中樽・下樽と呼ばれて下樽の落差は40m。新居浜の三大名滝の一つで他には大生院・渦井川の「銚子の滝」と国領川の「清滝」がある。 魔戸の滝には西種子川に沿って辿ろうとしたことがある、が、途中の道が崩壊し通行止めとなっており、滝まで進めなかった。今年の夏は沢を遡上し魔戸の滝まで辿ろうと思っていたのだが、山を下ってのアプローチで、子供の頃、父親と一緒に歩いた魔戸の滝にやっと出合えた。緑に覆われた巨大な岩盤から流れ落ちる滝を十分堪能し、滝を後にする。

魔戸の滝
魔戸の滝、とは少々怖ろしそうではあるが、元は「窓の滝」と称されていたようだ。「窓」のようにくり抜かれた峠から、この淵が遠望でき、故にその地を「窓」、そこから見えるこの滝を「窓の滝」と呼ばれていたが、いつしか「窓」が「魔戸」に変わった、と。
この文字の転化に関わりあるのかどうか不詳だが、この滝には龍王伝説が伝わる。如何なる時にも水が涸れることなく、地元の民の水源であった龍王の棲むこの滝壺(淵)であるが、大干魃に際し雨乞いを願い、若い娘を人身御供として龍王に献上することになった。と、空は一転かき曇り大雨が降り、民はその娘に感謝の気持ちを表すべく龍王様を祀るすぐ傍に、「百合姫大明神」という祠を建て、その霊を慰めた、と。よくある話ではあるが、龍王さまには「窓」より「魔戸」がよく似合う。

魔戸の滝登山口;12時32分(標高557m)
西種子川にそって10分ほど下ると林道から分岐する魔戸の滝登山口に出る。橋の名前は「樽ワ淵橋」とある。水の絶えることのない魔戸の滝の滝壺に、渇水時には村人は一斗樽を背負って龍王様にお水を頂いて帰ったことから、誰言うともなしにこの滝壷を「樽淵」と呼ぶようになり、滝も「樽(たる)」とも「樽淵」とも称された。
とはいうものの、天城河津七滝(ななたる)を挙げるまでもなく、滝のことを「たる」と呼ぶのはよくあることで、一斗樽と関連つけなくてもいいようにも思うのだが。


Ⅴ 犬返しパート;魔戸の滝登山口~鉄塔尾根~犬返し~龍河神社分岐~龍河神社 約2時間30分

種子川林道を下る;12時33分
魔戸の滝登山口から種子川林道を下る。林道は少し下ったところで崩壊し、通行止めとはなっているのだが、登山者のものであろう車が停まっている。週末は工事もお休みで、車の通行も可能なのだろう。






林道石ヶ山丈線分岐;12時41分(標高518m)
種子川林道から林道石ヶ山丈線に入る。林道石ヶ山丈線は石ヶ山丈の貯水池跡まで続く。目指す立川山の犬返しピークも遠くに見える。






四国電力鉄塔保線路への分岐;(標高595m)
曲がりくねった道を15分ほど進むと、四国電力鉄塔保線路と兼用した林道を分ける。ここから石ヶ山丈の貯水池跡へと上に向かう林道石ヶ山丈線は、等高線に抗うことなく東西に異常なほど大きくスイングしている。どうも、昔の「牛車道」を活用しているようである。
鉄塔尾根へは右の道を進むことになる。この尾根道も平行して牛車道が通っているようだ。この尾根に近づくとチェーンが張られていた。危険通行禁止、ということではあろう。

種子川林道崩壊地の上部;13時05分(標高559m)
種子川林道崩壊地の上部の尾根に出る。四電の鉄塔は崩壊部のすぐ近く。危うく崩壊を免れた、という状況である。崩壊部は大規模な補強工事が行われている。一面がコンクリートらしきもので塗り固められ、その上にシートを被せ崩壊を防止しているようだが、この急斜面に崩壊防止工事が耐えうるものだろうか。
鉄塔からちょっと荒れ気味の尾根に進むがすぐに快適な道となる。弟は三等三角点「種子川山」を確認に寄り道(13時12分)。すヤマツツジが数本鮮やかに咲いていた。

犬返し;13時21分(標高523m)
15分ほど進むと犬返しに。とっかかりである岩壁を這い上がる。前方に犬返しのピークが見える。岩場を西側からトラバース。足元に切れ込んだ崖にへっぴり腰の我が姿を見て、弟は笑いを堪える。
コルを巻き犬返しのピークに出る。犬が怖じけて引き返したのか、愛犬をこの難所で引き帰えさせたのか、どちらかは定かではないが、ともあれ、犬の気持ちはよく分かる。
この犬返しピークは実家のある新居浜市角野地区からも、その切り落とされたような特徴のある地形故に、名前と山容は見知っていたのだが、実際に歩いたのはこれがはじめて。言い得て妙なる地名である。ピークから新浜側の展望は無いが、逆の石ヶ山丈~串ヶ峰の南側が開けて良く見える。

「種子川林道」の分岐標識;13時35分(標高521m)
犬返しを乗り越え平坦な尾根を15分ほど進むと「種子川林道」の分岐標識が右手の木に取り付けられている。種子川林道のヘヤピンカーブにある「犬返し」標識の場所へ下がるのだろう、と弟の言。






龍河神社分岐;13時40分(標高498m)
もう四電西条線20番鉄塔を過ぎると等高線500mが北に突きだした先端部手前に「龍河神社」分岐の案内。尾根筋を直進すればエントツ山こと、生子山(しょうじやま)に繋がるようだ。
車をデポした龍河神社へは分岐を左に折れる。植林地帯を20分ほどジグザグに下ると竹藪の中に出る。竹藪=里、との刷り込みがあり、里は間近との思いから、どうしたところで直ぐに里に出るだろうと高を括っていたのだが、これがミステイク。メモの段階でチェックすると、竹藪から立川集落の林道まで標高差で200mもあった。
予想に反して竹藪からすんなりと里には下りることができなかった。踏み跡がほとんどわからない。枯れた笹の葉は滑りやすい。

保線路分岐;14時3分(標高316m)
ほぼ成り行きで左手へ進むと明確な道に出た。送電線鉄塔も建つ。そこから先に下ると左に四電保線路、右に住友共電保線路の分岐に出る。 ここを四電保線路へと左に向かえば龍河神社の真上に出たはすではあるが、このときは右の共電保線路に下ってしまった。







林道へ着く;14時21分 
竹林を抜けて道が進む。さてそろそろ里、と思えども、道は消え、足元が掘れ込んだ荒れた道が続く。いい加減に勘弁してほしいと思った頃、やっと立川集落の林道に出た。この道は昔の牛車道とのことである。




龍河神社のデポ地点に;14時35分(標高124m)
少し北に下がり過ぎた地点から、道の下の立川集落を眺めながら林道を南に進む。ほどなく林道、というか牛車道は、龍河参道の参道を横切る。牛車道から拝殿に上りお参りし、参拝道を下りてデポした車に帰る。
龍河神社
「リュウカワ」神社と読むようだ。
新居浜市誌に拠れば、 「龍河神社 角野立川 龍古別命、高おかみの神、外数柱の神を祀る。御諸別君武国凝別命の子孫に当たる龍古別命がこの地立川に入り、既に大和時代において鉱山の開発に努力されたと伝えられている。
当社は文化年間及び天保年間に火災に罹り、現在の社殿は天保9年に再建されたものである」とある。
龍古別命は、太古の時代、この地を治めていた武国凝別命(たけくにこりわけのみこと)の子孫で、国領川上流地域、今日の新居浜市角野近辺を治めていた。別子の地名の由来も、「別の子が治める地={別子}との説もあるようだ、 「高おかみ(神)」は、龍神さまで国領川の水源を司る神とも伝えられる。「山の尾根筋の神」との説もあるが、尾根筋=川の水源、と考えれば同じかも。 集落の立川は、もとは龍古別命からだろうか「龍古」と呼ばれていたが、川に竜が住んでいるとの伝説から「竜河」更に立川となった、と言われる。


龍河神社したにでデポした車に乗り、上り口の落登志渓谷入り口に向かい、もう一台の車をピックアップし一路実家へと。それにしてもバリエーション豊かな山行であった。四国の山を歩き倒している弟のルーティングに感謝。

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