先日、香川用水西部幹線水路を東西分水工のある香川用水記念公園からはじめ、豊浜町和田の姥ヶ懐池まで二回に分けて辿った。今回は東西分水工から東に延びる東部幹線の水路を辿ろうと思うのだが、東部幹線の本線は高松市を越え、徳島県と境を接する東かがわ市まで74キロほど続く、と言う。これはあまりに実家のある愛媛県新居浜市から離れすぎる。
ということで、東部幹線散歩は、東部幹線の支線である高瀬支線を辿ることにした。高瀬支線は終点の池である高瀬町比地の満水池までおおよそ11キロほど、とのこと。距離もほどほど。また流路も都市用水(上水道用水と工業用水)と農業用水の「共用区間」である東部幹線は、支線分岐点までは北東に向かうが、高瀬支線は、北西に向かって弧を描くように進むので、愛媛から「離れた感」がしないことも、とりあえず高瀬支線を辿ろうと思った要因のひとつである。
散歩の準備は先回の西部幹線同様の手順。カシミール3D(フリーソフト)で国土地理院の6000分の一の地図を開き、そこに記載されている香川用水の水路をトレース。そのトラックデータをエクスポートし、これもフリーソフトである「轍」で読み込み、KMLファイルに変換。このKMLファイルをGoogleのマイマップにインポート。先回の手順と同じく衛星写真で、ルートに沿った辺りに開渠や水路施設らしき地点を探しピンアップ。当たるも八卦当たらぬも八卦ではあるが、一応の準備を終える。
で、散歩に出発ではあるが、ピンアップしたGoogleのマイマップの閲覧は、今までは、GoogleのマイマップをSafariで開き、iphoneの画面に表示していたのだが、これが少々うざったい感があった。が、今回からは強力な助っ人が登場。偶々見付けたGMap Toolsというフリーソフトである。
このソフトは必要なGoogleのマイマップを選択し、このアプリにインポートできる。表示は衛星写真を含め10種類以上の地図の切り替えもできるし、なにより、地点登録が簡単にできるのが、いい。その上、新規に地点などを追加した地図はKMLファイルで再びエクスポートできるといった、誠に有り難いソフトである。
行き当たりばったりの散歩を基本とはするが、先回の香川用水西部幹線も暗渠・地下トンネルが全ルートの85%を占めていたわけで、それも山を越え、谷を渡りといった地形の中を進む水路施設探しは、さすがに成り行き、というわけにはいかない。今回はGMap Tools頼みの水路施設探しとなる。途中で切れるであろうiphone用の予備のバッテリーを充電し、実家を出発し、通い慣れたる香川用水記念公園へと向かった。
香川用水西部幹線高瀬支線;
第一回;東西分水工>長野第一開水路>長野第二開水路>長野暗渠>長野第三開水路>本篠分水工>財田川サイフォン>伊舎那院>北原第一開水路>北の山分水工>北原第一サイフォン>北原第二開水路>北原第二サイフォン>八月谷第一開水路>八月谷第一サイフォン>八月谷第二開水路>八月谷第二サイフォン>八月谷第三開水路>和光第一開水路>和光第一サイフォン>和光第二開水路>和光第二サイフォン>和光第三開水路入口>和光第三開水路出口>和光第三サイフォン>和光第四開水路>和光第四サイフォン(神田大池分水工)>和光第四サイフォン出口>和光第五開水路>三才トンネルへ>山才トンネル出口>山才開水路>神田サイフォン
第二回;神田サイフォン>玉田サイフォン入口>玉田サイフォン・玉田分水工>宮川サイフォン・向谷分水工>二宮チェック工>トンネルに入る>東長谷分水工>高速を渡る用水の送水管>脇池分水工>清見池分水工>長池分水工>勝田池分水工>高室分水工・国市局>満水池
香川用水記念公園
香川用水に関するあれこれは、既にメモした香川用水西部幹線散歩をご覧頂くことにして、東部幹線高瀬支線を辿るスタート地点である香川県三豊町の香川用水記念公園に。
ひょっとすれば水路施設の地図でも閲覧させてもらえるのか、香川用水記念公園にある水資源機構の職員の方に、躊躇いながらもお聞きしたのだが、予想通り、「特にありません」とのお返事。
銅山川疏水散歩のときは、疏水担当の方に詳しい水路施設図を閲覧させてもらったのだが、よくよく考えれば銅山川疏水は昭和12年(1937)に工事が始まり完成は昭和29年(1954)といった疏水名選に選ばれるような歴史ある疏水。一方、香川用水は昭和49年(1974年)完成の比較的新しい用水であり、先回の西部幹線散歩を振り返れば、特段見どころがあるわけでもなく、そんな水路を辿る酔狂な人もいるわけでもないだろうし、当然と言えば当然ではある。 が、今回はそんな「反応」は織り込み済み。上でメモしたGMap Toolsdでのチェックポイントを頼りに「自力」ので散歩を開始する。
東西分水工
公園内に阿讃山脈を8キロほど堀り抜いたトンネルの出口とその水を溜める沈砂池がある。香川用水はこの沈砂地北端にある東西分水工で東部幹線水路と西部幹線水路に分かれる。
長野第一開水路
先日歩いた西部幹線水路は東西分水工より地下に潜るが、今回歩く東部幹線は開渠となって記念公園内で弧を描き北東に向かう。左右を柵で囲まれたおおよそ100m弱の開渠が公園内を下る。
西部幹線水路は東西分水工の出だしから、そのままトンネルに潜り、取りつく島もなかったが、今回は開水路からスタートできるだけで結構嬉しい。
長野第二開水路
長野第一開水路は香川用水記念公園に通じる道路で一瞬地下に潜り、道路の北側に「長野第二開水路」となって姿を現し北に向かう。水路は水路側壁と底板が一体となった四角いブロックの形の中を流れる。こういった構造をフルーム型開水路と称するようである。
長野暗渠
180mほどの長野第二開水路を進むと水路は地下に潜る。暗渠の入口には「長野暗渠」とあった。ここを暗渠にする理由は何だろう?支尾根がこの暗渠の辺りまで下ってはいるのだが、土砂崩れの予防なのだろうか。ともあれ、この部分がほんの数十m暗渠となる。
長野第三開水路
長野暗渠を抜けると、水路を跨ぐ橋が、というか通路が4箇所ほど架かる開渠が400m以上続く。第一から第三までの長野開水路は幅4mほど、深さ3m強のフルーム型開水路で造られていた。
本篠分水工
長野第三開水路が再び地中に潜る手前に、水路右手に分水工。「本篠分水工」とある。地図で見ると分水工から東、支尾根の裾を越えたところに本篠という地名がある。水はこの本篠(もとしの)地区に送られているのだろうか。 本篠地区には支尾根の間から二つの川が下り、途中でひとつに合わさり本篠川となり財田川に注いでいる。川がありながら用水路を必要としたのは、川底と耕地のギャップ故か、水量故か、あれこれ想像だけは逞しくなる。
●本篠城
何気なく本篠地区をチェックしていると、ふたつの河川が合流する南の丘陵に本篠城があった。讃岐と阿波の交通の要路であった、と言う。実際、四国平定を目指した土佐の長曽我部元親が阿讃山脈を越え西讃岐に侵攻した時、先回の西部幹線水路散歩で出合った萩原寺の東、大池を望む丘陵にあった藤目城と、この本篠城の攻略を行っている。讃岐の財田と阿波白地(阿波池田)を結ぶ道を開くには本篠城の攻略が必須であった、とか。
そういえば、この本篠城の東には先日歩いた阿波と讃岐を結ぶ箸蔵街道や猪鼻峠が、本篠城が見下ろす財田川の上流にある。箸蔵街道や猪鼻峠を通る道は阿波池田に繋がる。
財田川サイフォン
本篠分水工の先で再び地中に潜る水路の入口には「財田川サイフォン」とある。その先は切れ込んだ崖となっていた。崖の先は財田川によって開析された谷である。水路はその財田川の下をパイプラインで抜け、対岸の丘陵に向かう。直径3m強。サイフォン(ギリシャ語で「管;チューブ」の意味)の距離はおおよそ1キロ弱にもなる。
なお、通常サイフォンとは「ある地点から目的地まで、途中出発点より高い地点を通って導く装置(Wikipedia)」を意味し、こういった川底を抜けるといたものは正確には「逆サイフォン」とも「伏越し」とも称する。
ところで、サイフォン入口の標高は77mほど。財田川の川床は47mほど。その下を潜るのはいいのだが、対岸の出口部分の標高は?衛星写真で対岸の開水路手前に水路に続くような暗渠が見える。標高を地形図でチェックすると75mほど。出口は入口よりかすかに標高が低い。これなら、サイフォンの原理で、一度川床下に潜った水は対岸の丘陵に上って行けるだろう。
伊舎那院
財田川サイフォンを離れ、支尾根の端に沿って里に下り、道なりに進み県道5号に。少し西に戻り、財田川に架かる橋を渡り、衛星写真に見える開渠に向かう。と、丘に登る途中に甍の並ぶお寺さまが見える。伊舎那院、とある。寺名にも惹かれ、ちょっと立ち寄り。
案内に拠れば、「別格本山 伊舎那院 真言宗 北田山如意輪寺と号し、聖徳太子の開基と伝えられ中興は聖宝理源大師、本尊は六襞の如意輪観世音菩薩で、安産・子授けとして霊験あらたかといわれています。むかしは讃岐十五ヶ院(西讃五ヶ院)の一院として寺領百五十石を有し、院家格にて丸亀藩の祈雨の寺として栄えました。
天正年間の兵火のため焼失しましたが、その後復興され七堂伽藍の寺として今日に至っています。境内には鎌倉時代後期の作風を伝える橘城主大平国秀とその一族の供養塔(町指定)があり、県下でも貴重な遺物となっています 本尊 如意輪観世音菩薩 脇佛 不動明王・毘沙門天王(平成10年 材田町教育委員会)」とあった。 仁王門の二対の仁王様は、金毘羅大権現別当象頭山金光院より送られたものとのこと。境内には本堂や大師堂、八角形の経蔵、不動堂が並ぶ。中でも多宝塔であろう二重の塔はなかなか美しい。
●院家格
往古、嵯峨天皇の離宮であった大覚寺門跡の塔頭の兼帯を拝命せられたことを指すのだろう。末寺二十四ヶ寺を誇ったと言う。
●橘城主大平国秀
橘城は、伊舎那院から財田川を隔てた対岸にある丘陵にあった、と。大平国秀は検索にひっかからないが、その兄の国祐は天文7年(1538年)生まれ、とのこと。鎌倉時代ではなく、戦国時代の武将かもしれない。
●聖宝理源大師
天智天皇の流れと言われる平安時代前期の真言宗の僧。香川に生まれ。空海の弟の弟子となり真言密教から南都仏教まで学ぶ。世界遺産である醍醐寺の開祖でもあり、その後、修験道を真言密教の理論と実践に組み込み、「大峯山中興の祖」、「当山派修験道の祖」とも称される。
●伊舎那
その「音」の響きに誘われた伊舎那(いしゃな)はサンスクリット語の「Issanna」の音に漢字をあてたもの。伊舎那天と称する。ヒンドゥー教のシヴァ神の変化神とされ、鬼門である東北(日当たりが悪く湿度の高い病とか悪運の)を凶暴な六天を眷属に従え守る神である。仏法に帰依した凶暴な神が善神となり守護にあたる、ということだろう。
財田川サイフォン出口
伊舎那院の境内を出て、衛星写真で確認できた伊舎那院の少し丘陵を上ったところにある開渠へと向かう。車は進めるかどうか不明であるため、伊舎那院の駐車場にデポさせてもらう。
伊舎那院の東端から道なりに開渠へと向かうと、如何にも水路といった道筋があり、道脇には「この道路は香川用水の管理用道路です(水資源機構)」の標識もある。専用GPS端末で緯度経度と標高をチェック。標高は75mとあった。暗渠になってはいるが、サイフォンは財田川の川底を潜り、この道の下へと上ってきているのだろう。
北原第一開水路
香川水路の上の道もすぐに終わり、開水路が現れる。北原第一開水路とある。北原は財田町(大字)財田中(字)北原からの命名ではあろう。開水路は100m弱続く。その先、丘陵を南北に走る道路によって水路は切れる。
北の山分水工
水路が切れる右岸手前に「北の山分水工」。北の山も財田中北の山の地名から、開水路の南側、伊舎那院と用水路の間の耕地に水を分けているのだろう。
北原第一サイフォン
道路で切られた水路はサイフォンで、道路を隔てた堤にサイフォンと言うか、逆サイフォンで水を通す。開水路が道路下に潜る地点に「北原第一サイフォン」と記されていた。
北原第二開水路
道路を横切り、数メートルの比高差のある用水路の堤に這い上がる。そこから50m弱の開水路が続く、北原第二開水路と水路側壁に記されていた。北原第一、第二開水路は長野開水路と同じくフルーム型開水路。幅も深さも3m強といったものである。
北原第二サイフォン
ほどなく開水路は切れ、「北原第二サイフォン」に潜る。北原第一サイフォンは数メートルの道路を潜るだけであったが、第二サイフォンの出口らしき堤は、結構先に見える。堤までの距離は100m以上はあるようだ。中央部分に小さい川筋が見えるが、この小川を潜るためにサイフォンがつくられたのだろか。
ともあれ、堤端に設けされたステップを下り、コンクリートで補強された暗渠を進み、小川に架かる蓋を越え、比高差数mといった堤に這い上がる。
八月谷第一開水路
そこから30m強の開水路が続く。水路側壁には「八月谷第一開水路」とあった。八月谷はこの辺りの「字名」。左右を緑に囲まれた水路である。
八月谷第一サイフォン
開水路が切れるところに「八月谷第一サイフォン」と記されている。その先は衛星写真では谷のある森に入り、進めるかどうかわからなかったが、なんとか先に進めるようである。
水路端から用水路堤を下り、水路施設らしき構造物のある谷筋を越え、結構比高差のある用水路の堤に這い上がる。10m以上はあるだろう。
八月谷第二開水路
谷筋を越え堤に戻ると水路が開ける。八月谷第二開水路と水路側壁に記される。用水路の左右は竹藪や木々の緑に囲まれる。90m弱ほどの開水路を進むと水路は切れる。水路の型式はいままでと同じフルーム型開水路。幅・深さ共に3m強といったものである。
八月谷第二サイフォン
水路の切れた箇所に「八月谷第二サイフォン」。その先は、今まで左右を囲んだ緑も切れ、前面が開ける。サイフォンの先には谷筋がある。用水路はこの谷筋を潜って、先にみえる丘陵に上るのだろう。
八月谷第三開水路
堤に上ると少し暗渠が続いた先に開水路が現れる。「八月谷第三水路」とある。途中蓋付暗渠も含め200m強はあるだろう。水路は蓋付き暗渠を越えると開渠となるが、ほどなく水路は地中に潜る。ここからはトンネルとなって北東に見える開水路に繋がる。
●黒田池分水工
ところで、この八月谷開水路には黒田池分水工があったようだ。それらしき施設は八月谷第一サイフォンの谷筋と、この八月谷第三開水路が切れた先、暗渠(天王谷第一暗渠)となった用水路が道路とクロスする辺りにあったのだけれど、名称は確認していなかった。
黒田池を調べると三豊市山本町神田黒田池奥3316とある。検索には引っかからず池の特定はできないが、山本町神田は八月谷第三開水路が切れた先、暗渠(天王谷第一暗渠)となった用水路クロスする道路に沿って北に向かった一帯である。とすれば、八月谷第三開水路の北に見えるちょっと大きな池がそれだろうか。であれば、八月谷第三開水路の先の暗渠(天王谷第一暗渠)にあった施設が黒田池分水工の可能性が高いとは思うのだが、衛星写真には道路を越えた辺りにも施設らしきものが見えるため、確定はできない。この暗渠(天王谷第一暗渠)辺りではあろうと思うが、ともあれ、見逃した。
伊舎那院に戻る
八月谷第三開水路を越え、天王谷第一暗渠に潜った用水路は、北東の丘陵に挟まれた辺りで開水路となって地上に現れる。その間はトンネルと暗渠で繋がれているようだ。トンネルと暗渠を辿るのも、何だかなあ、ということで、一旦車をデポした伊舎那院まで戻る。
往路は水路に集中し廻りの景色もよく見てはいなかったのだが、伊舎那院への復路では阿讃山脈を借景とした用水路、丘陵上からの多宝塔の美しい姿を眺め直した。
●八月谷第三開水路から先のトンネル
八月谷第三開水路に続く天王谷第一暗渠から先は、天王谷第一トンネル(60m強)>天王谷第二暗渠>天王谷第二トンネル(70m弱)>天王谷第三暗渠>天王谷第三トンネル(40m弱)>天王谷第四暗渠>中尾トンネル(300mほど)>中尾暗渠と続く。
和光第一開水路
伊舎那院前の道を進み、財田町財田中地区から財田町財田上地区に入り、和光中学手前で道を左に折れ、集落の中の細路を抜けて開渠の見える辺りへと車で進む。と、丘陵に挟まれたところに開渠が見えた。和光第一開水路とあった。
中尾分水工
用水路が開渠となった地点には用水施設らしきものもあるのだが、特に名称は記されていなかったが、チェックすると、中尾分水工とあった。
和光第一サイフォン
和光第一開水路は途中に蓋で覆われたところもあったが、迫り出した丘陵の土砂対策であろうか。それはともあれ、開水路は200m強続き、フラットな蓋で覆われた和光第一サイフォンに潜る。サイフォンにする理由って、今の状況からはよくわからないが、左手を流れる河川は改修工事が施されているようにも思う。このサイフォンの下には丘陵からの沢が流れているのだろうか。
和光第二開水路
数m和光第一サイフォンを越えると、和光第二開水路が現れる。30m強の距離である。
和光第二サイフォン
和光第二開水路が切れるところに和光第二サイフォンと記される。サイフォン設置の理由はよくわからないが、ここも左手の川に水路施設が見える。ここも沢でも下を流れているのだろうか。
和光第三開水路
和光第二サイフォンの先は平坦なコンクリートが敷かれている。その少し先に2m弱の高さをもつ箱型の水路施設が続く。和光第二サイフォンの出口ははっきりしないが、この水路施設は和光第三開水路かと思える(記載はどこにもなかったが)。和光第三開水路西端が和光第二サイフォン出口ではあろう(記載はない)。開水路とはいいながら、蓋で覆われた開水路ではある。距離は40m弱だろう。
和光第三サイフォン出入口
和光第三開水路が切れた箇所に和光第三サイフォンと記される。和光第三サイフォン入口だろう。蓋のある開水路を下り、平坦な道のすぐ先に、第三開水路と同じく2m弱のコンクリートの箱形水路施設が見える。その壁面には和光第三サイフォンと記されていた。そこは和光第三サイフォンの出口ではあろう。
和光第四開水路
和光第三サイフォンと記された先に水路施設が続く。先ほどの第三開水路と同じく、蓋が水路を覆う。距離は長く150mほどもあるだろうか。蓋のある水路施設の上を歩くと、施設が切れる辺りに「和光第四開水路」と記されていた(先ほどの同じ蓋のある水路施設を「和光第三開水路」としたのは、この記載からの類推ではある)。
神田大池分水工
和光第四開水路と記された辺りに「神田大池分水工」があった。神田大池とは香川用水の調整池として建設された「宝山湖」の辺りにあった池の名称。和光第四開水路あたりまで来ると、神田川の谷筋を出て、用水路左手に大きな池・宝山水湖が見える。
●宝山湖
宝山湖は着工平成16年(2004)、完成平成20年(2008)。香川用水の水を溜め、渇水時または事故時に香川県の水道用水として利用するため建設された香川用水の調整池。また、この建設場所にあった農業用水のための神田大池の機能も兼ね備え、調整池下流域の灌漑用水としても利用されている。
和光第四サイフォン入口
和光第四開水路の東端に「和光第四サイフォン」と記される。前面、東に切れ込んだ丘陵の窪地の下を潜り、その先に見える丘陵に上っているのだろう。
和光第四サイフォン出口
和光第四開水路から宝山湖沿いの道を進む。丘陵に挟まれた窪地の東端から、衛星写真で、あたりを付けたポイントに向かって這い上がる。と、そこにはコンクリート構造物が現れ「和光第四サイフォン」と記されていた。そこが第四サイフォンの出口である。
和光第五開水路
その先に蓋のされたコンクリートの水路施設が続く。そこには「和光第五開水路」と記されていた。距離は90m弱。その先は地中に潜り、北に進んだ丘陵の上に開渠となって姿を現す。
山才トンネル
和光第五開水路から先は山才トンネルで抜ける。第五開水路と山才トンネルの間には和光第五サイフォンがあったようだが、見逃した。
山才トンネル出口
衛星写真で確認した開渠部分へと向かう。宝山湖に沿って道なりに進み、丘陵へと上ると開水路へと向かう道に出る。アプローチ部分は竹藪が茂る細路であり、少々怖いが、取り敢えず進むと開渠部分に出た。和光第五開水路から第五サイフォンで低地部分をクリアし600mほどの山才トンネルを経て、ここで地表に姿を現した。出口部分には「山才トンネル」と記してあった。
山才開水路
開水路はおおよそ300m。進むにつれて最初は右手、次いで左手が開けてくる。用水路と阿讃山脈の組み合わせも美しい。丘陵上を走る用水路から見る里の景色も、いい。左右に作業道が整備された道は車も余裕で進めることができる。
神田チェック工
水路が崖面で切れる手前に防塵装置を前に配した用水量調整施設である「神田(こうだと)チェック工」がある。また、右岸には神田分水工、左岸に神田川分水工と余水吐もある。
香川用水記念公園の東西分水工から都市用水(上水道用水と工業用水)と農業用水の「共用区間」として進んで来た東部幹線水路は、このチェック工で、東部幹線水路から高瀬支線が分かれる。東部幹線水路は神田チェック工から右岸に分岐し、神田川サイフォンを経て岩瀬第一トンネルへと向かい、東かがわ市まで続く。
一方、今回散歩の高瀬支線は神田チェック工から左岸へと折れ、高瀬支線に分かれる。余水吐けからの水は、丘陵下の神田川に流しているようである。
香川用水東部幹線・高瀬支線散歩はここで時間切れ。本日は東部幹線から高瀬支線が分岐する地点までで終わった。次回はこの分岐点から最終地点の満水池を目指す。
ということで、東部幹線散歩は、東部幹線の支線である高瀬支線を辿ることにした。高瀬支線は終点の池である高瀬町比地の満水池までおおよそ11キロほど、とのこと。距離もほどほど。また流路も都市用水(上水道用水と工業用水)と農業用水の「共用区間」である東部幹線は、支線分岐点までは北東に向かうが、高瀬支線は、北西に向かって弧を描くように進むので、愛媛から「離れた感」がしないことも、とりあえず高瀬支線を辿ろうと思った要因のひとつである。
散歩の準備は先回の西部幹線同様の手順。カシミール3D(フリーソフト)で国土地理院の6000分の一の地図を開き、そこに記載されている香川用水の水路をトレース。そのトラックデータをエクスポートし、これもフリーソフトである「轍」で読み込み、KMLファイルに変換。このKMLファイルをGoogleのマイマップにインポート。先回の手順と同じく衛星写真で、ルートに沿った辺りに開渠や水路施設らしき地点を探しピンアップ。当たるも八卦当たらぬも八卦ではあるが、一応の準備を終える。
で、散歩に出発ではあるが、ピンアップしたGoogleのマイマップの閲覧は、今までは、GoogleのマイマップをSafariで開き、iphoneの画面に表示していたのだが、これが少々うざったい感があった。が、今回からは強力な助っ人が登場。偶々見付けたGMap Toolsというフリーソフトである。
このソフトは必要なGoogleのマイマップを選択し、このアプリにインポートできる。表示は衛星写真を含め10種類以上の地図の切り替えもできるし、なにより、地点登録が簡単にできるのが、いい。その上、新規に地点などを追加した地図はKMLファイルで再びエクスポートできるといった、誠に有り難いソフトである。
行き当たりばったりの散歩を基本とはするが、先回の香川用水西部幹線も暗渠・地下トンネルが全ルートの85%を占めていたわけで、それも山を越え、谷を渡りといった地形の中を進む水路施設探しは、さすがに成り行き、というわけにはいかない。今回はGMap Tools頼みの水路施設探しとなる。途中で切れるであろうiphone用の予備のバッテリーを充電し、実家を出発し、通い慣れたる香川用水記念公園へと向かった。
香川用水西部幹線高瀬支線;
第一回;東西分水工>長野第一開水路>長野第二開水路>長野暗渠>長野第三開水路>本篠分水工>財田川サイフォン>伊舎那院>北原第一開水路>北の山分水工>北原第一サイフォン>北原第二開水路>北原第二サイフォン>八月谷第一開水路>八月谷第一サイフォン>八月谷第二開水路>八月谷第二サイフォン>八月谷第三開水路>和光第一開水路>和光第一サイフォン>和光第二開水路>和光第二サイフォン>和光第三開水路入口>和光第三開水路出口>和光第三サイフォン>和光第四開水路>和光第四サイフォン(神田大池分水工)>和光第四サイフォン出口>和光第五開水路>三才トンネルへ>山才トンネル出口>山才開水路>神田サイフォン
第二回;神田サイフォン>玉田サイフォン入口>玉田サイフォン・玉田分水工>宮川サイフォン・向谷分水工>二宮チェック工>トンネルに入る>東長谷分水工>高速を渡る用水の送水管>脇池分水工>清見池分水工>長池分水工>勝田池分水工>高室分水工・国市局>満水池
香川用水記念公園
香川用水に関するあれこれは、既にメモした香川用水西部幹線散歩をご覧頂くことにして、東部幹線高瀬支線を辿るスタート地点である香川県三豊町の香川用水記念公園に。
ひょっとすれば水路施設の地図でも閲覧させてもらえるのか、香川用水記念公園にある水資源機構の職員の方に、躊躇いながらもお聞きしたのだが、予想通り、「特にありません」とのお返事。
銅山川疏水散歩のときは、疏水担当の方に詳しい水路施設図を閲覧させてもらったのだが、よくよく考えれば銅山川疏水は昭和12年(1937)に工事が始まり完成は昭和29年(1954)といった疏水名選に選ばれるような歴史ある疏水。一方、香川用水は昭和49年(1974年)完成の比較的新しい用水であり、先回の西部幹線散歩を振り返れば、特段見どころがあるわけでもなく、そんな水路を辿る酔狂な人もいるわけでもないだろうし、当然と言えば当然ではある。 が、今回はそんな「反応」は織り込み済み。上でメモしたGMap Toolsdでのチェックポイントを頼りに「自力」ので散歩を開始する。
東西分水工
公園内に阿讃山脈を8キロほど堀り抜いたトンネルの出口とその水を溜める沈砂池がある。香川用水はこの沈砂地北端にある東西分水工で東部幹線水路と西部幹線水路に分かれる。
長野第一開水路
先日歩いた西部幹線水路は東西分水工より地下に潜るが、今回歩く東部幹線は開渠となって記念公園内で弧を描き北東に向かう。左右を柵で囲まれたおおよそ100m弱の開渠が公園内を下る。
西部幹線水路は東西分水工の出だしから、そのままトンネルに潜り、取りつく島もなかったが、今回は開水路からスタートできるだけで結構嬉しい。
長野第二開水路
長野第一開水路は香川用水記念公園に通じる道路で一瞬地下に潜り、道路の北側に「長野第二開水路」となって姿を現し北に向かう。水路は水路側壁と底板が一体となった四角いブロックの形の中を流れる。こういった構造をフルーム型開水路と称するようである。
長野暗渠
180mほどの長野第二開水路を進むと水路は地下に潜る。暗渠の入口には「長野暗渠」とあった。ここを暗渠にする理由は何だろう?支尾根がこの暗渠の辺りまで下ってはいるのだが、土砂崩れの予防なのだろうか。ともあれ、この部分がほんの数十m暗渠となる。
長野第三開水路
長野暗渠を抜けると、水路を跨ぐ橋が、というか通路が4箇所ほど架かる開渠が400m以上続く。第一から第三までの長野開水路は幅4mほど、深さ3m強のフルーム型開水路で造られていた。
本篠分水工
長野第三開水路が再び地中に潜る手前に、水路右手に分水工。「本篠分水工」とある。地図で見ると分水工から東、支尾根の裾を越えたところに本篠という地名がある。水はこの本篠(もとしの)地区に送られているのだろうか。 本篠地区には支尾根の間から二つの川が下り、途中でひとつに合わさり本篠川となり財田川に注いでいる。川がありながら用水路を必要としたのは、川底と耕地のギャップ故か、水量故か、あれこれ想像だけは逞しくなる。
●本篠城
何気なく本篠地区をチェックしていると、ふたつの河川が合流する南の丘陵に本篠城があった。讃岐と阿波の交通の要路であった、と言う。実際、四国平定を目指した土佐の長曽我部元親が阿讃山脈を越え西讃岐に侵攻した時、先回の西部幹線水路散歩で出合った萩原寺の東、大池を望む丘陵にあった藤目城と、この本篠城の攻略を行っている。讃岐の財田と阿波白地(阿波池田)を結ぶ道を開くには本篠城の攻略が必須であった、とか。
そういえば、この本篠城の東には先日歩いた阿波と讃岐を結ぶ箸蔵街道や猪鼻峠が、本篠城が見下ろす財田川の上流にある。箸蔵街道や猪鼻峠を通る道は阿波池田に繋がる。
財田川サイフォン
本篠分水工の先で再び地中に潜る水路の入口には「財田川サイフォン」とある。その先は切れ込んだ崖となっていた。崖の先は財田川によって開析された谷である。水路はその財田川の下をパイプラインで抜け、対岸の丘陵に向かう。直径3m強。サイフォン(ギリシャ語で「管;チューブ」の意味)の距離はおおよそ1キロ弱にもなる。
なお、通常サイフォンとは「ある地点から目的地まで、途中出発点より高い地点を通って導く装置(Wikipedia)」を意味し、こういった川底を抜けるといたものは正確には「逆サイフォン」とも「伏越し」とも称する。
ところで、サイフォン入口の標高は77mほど。財田川の川床は47mほど。その下を潜るのはいいのだが、対岸の出口部分の標高は?衛星写真で対岸の開水路手前に水路に続くような暗渠が見える。標高を地形図でチェックすると75mほど。出口は入口よりかすかに標高が低い。これなら、サイフォンの原理で、一度川床下に潜った水は対岸の丘陵に上って行けるだろう。
伊舎那院
財田川サイフォンを離れ、支尾根の端に沿って里に下り、道なりに進み県道5号に。少し西に戻り、財田川に架かる橋を渡り、衛星写真に見える開渠に向かう。と、丘に登る途中に甍の並ぶお寺さまが見える。伊舎那院、とある。寺名にも惹かれ、ちょっと立ち寄り。
案内に拠れば、「別格本山 伊舎那院 真言宗 北田山如意輪寺と号し、聖徳太子の開基と伝えられ中興は聖宝理源大師、本尊は六襞の如意輪観世音菩薩で、安産・子授けとして霊験あらたかといわれています。むかしは讃岐十五ヶ院(西讃五ヶ院)の一院として寺領百五十石を有し、院家格にて丸亀藩の祈雨の寺として栄えました。
天正年間の兵火のため焼失しましたが、その後復興され七堂伽藍の寺として今日に至っています。境内には鎌倉時代後期の作風を伝える橘城主大平国秀とその一族の供養塔(町指定)があり、県下でも貴重な遺物となっています 本尊 如意輪観世音菩薩 脇佛 不動明王・毘沙門天王(平成10年 材田町教育委員会)」とあった。 仁王門の二対の仁王様は、金毘羅大権現別当象頭山金光院より送られたものとのこと。境内には本堂や大師堂、八角形の経蔵、不動堂が並ぶ。中でも多宝塔であろう二重の塔はなかなか美しい。
●院家格
往古、嵯峨天皇の離宮であった大覚寺門跡の塔頭の兼帯を拝命せられたことを指すのだろう。末寺二十四ヶ寺を誇ったと言う。
●橘城主大平国秀
橘城は、伊舎那院から財田川を隔てた対岸にある丘陵にあった、と。大平国秀は検索にひっかからないが、その兄の国祐は天文7年(1538年)生まれ、とのこと。鎌倉時代ではなく、戦国時代の武将かもしれない。
●聖宝理源大師
天智天皇の流れと言われる平安時代前期の真言宗の僧。香川に生まれ。空海の弟の弟子となり真言密教から南都仏教まで学ぶ。世界遺産である醍醐寺の開祖でもあり、その後、修験道を真言密教の理論と実践に組み込み、「大峯山中興の祖」、「当山派修験道の祖」とも称される。
●伊舎那
その「音」の響きに誘われた伊舎那(いしゃな)はサンスクリット語の「Issanna」の音に漢字をあてたもの。伊舎那天と称する。ヒンドゥー教のシヴァ神の変化神とされ、鬼門である東北(日当たりが悪く湿度の高い病とか悪運の)を凶暴な六天を眷属に従え守る神である。仏法に帰依した凶暴な神が善神となり守護にあたる、ということだろう。
財田川サイフォン出口
伊舎那院の境内を出て、衛星写真で確認できた伊舎那院の少し丘陵を上ったところにある開渠へと向かう。車は進めるかどうか不明であるため、伊舎那院の駐車場にデポさせてもらう。
伊舎那院の東端から道なりに開渠へと向かうと、如何にも水路といった道筋があり、道脇には「この道路は香川用水の管理用道路です(水資源機構)」の標識もある。専用GPS端末で緯度経度と標高をチェック。標高は75mとあった。暗渠になってはいるが、サイフォンは財田川の川底を潜り、この道の下へと上ってきているのだろう。
北原第一開水路
香川水路の上の道もすぐに終わり、開水路が現れる。北原第一開水路とある。北原は財田町(大字)財田中(字)北原からの命名ではあろう。開水路は100m弱続く。その先、丘陵を南北に走る道路によって水路は切れる。
北の山分水工
水路が切れる右岸手前に「北の山分水工」。北の山も財田中北の山の地名から、開水路の南側、伊舎那院と用水路の間の耕地に水を分けているのだろう。
北原第一サイフォン
道路で切られた水路はサイフォンで、道路を隔てた堤にサイフォンと言うか、逆サイフォンで水を通す。開水路が道路下に潜る地点に「北原第一サイフォン」と記されていた。
北原第二開水路
道路を横切り、数メートルの比高差のある用水路の堤に這い上がる。そこから50m弱の開水路が続く、北原第二開水路と水路側壁に記されていた。北原第一、第二開水路は長野開水路と同じくフルーム型開水路。幅も深さも3m強といったものである。
北原第二サイフォン
ほどなく開水路は切れ、「北原第二サイフォン」に潜る。北原第一サイフォンは数メートルの道路を潜るだけであったが、第二サイフォンの出口らしき堤は、結構先に見える。堤までの距離は100m以上はあるようだ。中央部分に小さい川筋が見えるが、この小川を潜るためにサイフォンがつくられたのだろか。
ともあれ、堤端に設けされたステップを下り、コンクリートで補強された暗渠を進み、小川に架かる蓋を越え、比高差数mといった堤に這い上がる。
八月谷第一開水路
そこから30m強の開水路が続く。水路側壁には「八月谷第一開水路」とあった。八月谷はこの辺りの「字名」。左右を緑に囲まれた水路である。
八月谷第一サイフォン
開水路が切れるところに「八月谷第一サイフォン」と記されている。その先は衛星写真では谷のある森に入り、進めるかどうかわからなかったが、なんとか先に進めるようである。
水路端から用水路堤を下り、水路施設らしき構造物のある谷筋を越え、結構比高差のある用水路の堤に這い上がる。10m以上はあるだろう。
八月谷第二開水路
谷筋を越え堤に戻ると水路が開ける。八月谷第二開水路と水路側壁に記される。用水路の左右は竹藪や木々の緑に囲まれる。90m弱ほどの開水路を進むと水路は切れる。水路の型式はいままでと同じフルーム型開水路。幅・深さ共に3m強といったものである。
八月谷第二サイフォン
水路の切れた箇所に「八月谷第二サイフォン」。その先は、今まで左右を囲んだ緑も切れ、前面が開ける。サイフォンの先には谷筋がある。用水路はこの谷筋を潜って、先にみえる丘陵に上るのだろう。
八月谷第三開水路
堤に上ると少し暗渠が続いた先に開水路が現れる。「八月谷第三水路」とある。途中蓋付暗渠も含め200m強はあるだろう。水路は蓋付き暗渠を越えると開渠となるが、ほどなく水路は地中に潜る。ここからはトンネルとなって北東に見える開水路に繋がる。
●黒田池分水工
ところで、この八月谷開水路には黒田池分水工があったようだ。それらしき施設は八月谷第一サイフォンの谷筋と、この八月谷第三開水路が切れた先、暗渠(天王谷第一暗渠)となった用水路が道路とクロスする辺りにあったのだけれど、名称は確認していなかった。
黒田池を調べると三豊市山本町神田黒田池奥3316とある。検索には引っかからず池の特定はできないが、山本町神田は八月谷第三開水路が切れた先、暗渠(天王谷第一暗渠)となった用水路クロスする道路に沿って北に向かった一帯である。とすれば、八月谷第三開水路の北に見えるちょっと大きな池がそれだろうか。であれば、八月谷第三開水路の先の暗渠(天王谷第一暗渠)にあった施設が黒田池分水工の可能性が高いとは思うのだが、衛星写真には道路を越えた辺りにも施設らしきものが見えるため、確定はできない。この暗渠(天王谷第一暗渠)辺りではあろうと思うが、ともあれ、見逃した。
伊舎那院に戻る
八月谷第三開水路を越え、天王谷第一暗渠に潜った用水路は、北東の丘陵に挟まれた辺りで開水路となって地上に現れる。その間はトンネルと暗渠で繋がれているようだ。トンネルと暗渠を辿るのも、何だかなあ、ということで、一旦車をデポした伊舎那院まで戻る。
往路は水路に集中し廻りの景色もよく見てはいなかったのだが、伊舎那院への復路では阿讃山脈を借景とした用水路、丘陵上からの多宝塔の美しい姿を眺め直した。
●八月谷第三開水路から先のトンネル
八月谷第三開水路に続く天王谷第一暗渠から先は、天王谷第一トンネル(60m強)>天王谷第二暗渠>天王谷第二トンネル(70m弱)>天王谷第三暗渠>天王谷第三トンネル(40m弱)>天王谷第四暗渠>中尾トンネル(300mほど)>中尾暗渠と続く。
和光第一開水路
伊舎那院前の道を進み、財田町財田中地区から財田町財田上地区に入り、和光中学手前で道を左に折れ、集落の中の細路を抜けて開渠の見える辺りへと車で進む。と、丘陵に挟まれたところに開渠が見えた。和光第一開水路とあった。
中尾分水工
用水路が開渠となった地点には用水施設らしきものもあるのだが、特に名称は記されていなかったが、チェックすると、中尾分水工とあった。
和光第一サイフォン
和光第一開水路は途中に蓋で覆われたところもあったが、迫り出した丘陵の土砂対策であろうか。それはともあれ、開水路は200m強続き、フラットな蓋で覆われた和光第一サイフォンに潜る。サイフォンにする理由って、今の状況からはよくわからないが、左手を流れる河川は改修工事が施されているようにも思う。このサイフォンの下には丘陵からの沢が流れているのだろうか。
和光第二開水路
数m和光第一サイフォンを越えると、和光第二開水路が現れる。30m強の距離である。
和光第二サイフォン
和光第二開水路が切れるところに和光第二サイフォンと記される。サイフォン設置の理由はよくわからないが、ここも左手の川に水路施設が見える。ここも沢でも下を流れているのだろうか。
和光第三開水路
和光第二サイフォンの先は平坦なコンクリートが敷かれている。その少し先に2m弱の高さをもつ箱型の水路施設が続く。和光第二サイフォンの出口ははっきりしないが、この水路施設は和光第三開水路かと思える(記載はどこにもなかったが)。和光第三開水路西端が和光第二サイフォン出口ではあろう(記載はない)。開水路とはいいながら、蓋で覆われた開水路ではある。距離は40m弱だろう。
和光第三サイフォン出入口
和光第三開水路が切れた箇所に和光第三サイフォンと記される。和光第三サイフォン入口だろう。蓋のある開水路を下り、平坦な道のすぐ先に、第三開水路と同じく2m弱のコンクリートの箱形水路施設が見える。その壁面には和光第三サイフォンと記されていた。そこは和光第三サイフォンの出口ではあろう。
和光第四開水路
和光第三サイフォンと記された先に水路施設が続く。先ほどの第三開水路と同じく、蓋が水路を覆う。距離は長く150mほどもあるだろうか。蓋のある水路施設の上を歩くと、施設が切れる辺りに「和光第四開水路」と記されていた(先ほどの同じ蓋のある水路施設を「和光第三開水路」としたのは、この記載からの類推ではある)。
神田大池分水工
和光第四開水路と記された辺りに「神田大池分水工」があった。神田大池とは香川用水の調整池として建設された「宝山湖」の辺りにあった池の名称。和光第四開水路あたりまで来ると、神田川の谷筋を出て、用水路左手に大きな池・宝山水湖が見える。
●宝山湖
宝山湖は着工平成16年(2004)、完成平成20年(2008)。香川用水の水を溜め、渇水時または事故時に香川県の水道用水として利用するため建設された香川用水の調整池。また、この建設場所にあった農業用水のための神田大池の機能も兼ね備え、調整池下流域の灌漑用水としても利用されている。
和光第四サイフォン入口
和光第四開水路の東端に「和光第四サイフォン」と記される。前面、東に切れ込んだ丘陵の窪地の下を潜り、その先に見える丘陵に上っているのだろう。
和光第四サイフォン出口
和光第四開水路から宝山湖沿いの道を進む。丘陵に挟まれた窪地の東端から、衛星写真で、あたりを付けたポイントに向かって這い上がる。と、そこにはコンクリート構造物が現れ「和光第四サイフォン」と記されていた。そこが第四サイフォンの出口である。
和光第五開水路
その先に蓋のされたコンクリートの水路施設が続く。そこには「和光第五開水路」と記されていた。距離は90m弱。その先は地中に潜り、北に進んだ丘陵の上に開渠となって姿を現す。
山才トンネル
和光第五開水路から先は山才トンネルで抜ける。第五開水路と山才トンネルの間には和光第五サイフォンがあったようだが、見逃した。
山才トンネル出口
衛星写真で確認した開渠部分へと向かう。宝山湖に沿って道なりに進み、丘陵へと上ると開水路へと向かう道に出る。アプローチ部分は竹藪が茂る細路であり、少々怖いが、取り敢えず進むと開渠部分に出た。和光第五開水路から第五サイフォンで低地部分をクリアし600mほどの山才トンネルを経て、ここで地表に姿を現した。出口部分には「山才トンネル」と記してあった。
山才開水路
開水路はおおよそ300m。進むにつれて最初は右手、次いで左手が開けてくる。用水路と阿讃山脈の組み合わせも美しい。丘陵上を走る用水路から見る里の景色も、いい。左右に作業道が整備された道は車も余裕で進めることができる。
神田チェック工
水路が崖面で切れる手前に防塵装置を前に配した用水量調整施設である「神田(こうだと)チェック工」がある。また、右岸には神田分水工、左岸に神田川分水工と余水吐もある。
香川用水記念公園の東西分水工から都市用水(上水道用水と工業用水)と農業用水の「共用区間」として進んで来た東部幹線水路は、このチェック工で、東部幹線水路から高瀬支線が分かれる。東部幹線水路は神田チェック工から右岸に分岐し、神田川サイフォンを経て岩瀬第一トンネルへと向かい、東かがわ市まで続く。
一方、今回散歩の高瀬支線は神田チェック工から左岸へと折れ、高瀬支線に分かれる。余水吐けからの水は、丘陵下の神田川に流しているようである。
香川用水東部幹線・高瀬支線散歩はここで時間切れ。本日は東部幹線から高瀬支線が分岐する地点までで終わった。次回はこの分岐点から最終地点の満水池を目指す。
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