予土往還 土佐街道・松山街道 ⑥ ; 仁淀川町の大規模林道から水ノ峠へ

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先回の大規模林道から黒滝峠を繋ぐピストン復路での日没・夜間行動。一刻も早く下山しようとGPSとライトを頼りに右往左往するも、同じ処を堂々巡りするだけで気が付けば夜が明けていた。
夜は沢の水で渇きを癒すも夜が明けるころには水も切れ、ほとんど脱水状態でなんとか車デポ地に辿りついた。
山中での日没・夜間行動の一因は道なき道の藪漕ぎゆえの道迷いと撤退決断ができなかったこと。久万高原の越ノ峠からはじめた土佐街道の山入り道は、面河川に面した七鳥から尾根筋に這い上がるころから延々と続く藪漕ぎ。日没を意識して途中撤退を繰り返しながらなんとか道を繋ぎ予土国境の黒滝峠まで辿りついた。
で、先回の土佐側・高知県淀川町町の大規模林道から黒滝峠を繋ぐピストン往復。藪が激しく道迷いで時間がかかり、黒滝峠への往路途中でちょっと撤退も考えたのだが、このルートは途中撤退した場合の適当な繋ぎアプローチが見つからず、日没ギリで戻れるだろうとエイやで突き進み上述の道没・夜間彷徨の為体となった。

この顛末に懲りたというわけでもないのだが(少々気分的に参ってはいた)、道のあるところを歩きたいと、行きそびれていた札所第六重番横峰寺から香園寺の順打ち遍路道を二度にわけて歩き、そうこうするうち時が癒してくれたのか、再び土佐街道歩きに戻る気力が戻ってきた。

今回は大規模林道から水ノ峠を繋ぐ。距離は1キロほど。比高差も230mほど。それほどのルートでもないのだが、ビビリの我が身としては念のためにとツエルト(ビバーク用簡易テント)をザックに入れ現地に向かった。
歩いた後のルート概要雑感は、後半部は踏み込まれた道、前半部は一部踏み込まれtれ道筋があるものの藪と草に覆われたちょっと道迷いしそうなルートだった。ただ、ルートに沿って10個ほどのオンコ―スを確認できるリボンが木に括られてあり、ちょっと安心できる。
少しルート取りで難しいところは、北に突き出た1050m等高線箇所と途中で2箇所出合う砂防堤防。北に突き出た稜線部は迂回せず西から東に横切ること、また砂防堤箇所では最初の砂防堤防は右端から上り、二番目の砂防堤は左端まで進み、「水ノ峠」の標識が指す藪へと入り込む。藪を抜ければその先は踏み込まれた道が水の峠まで続いていた。
時間はルート探しや道迷いなどもあり往路は1時間半ほどかかった。念のためにと用意したツエルトの出番もなく大規模林道から水ノ峠を繋ぐピストンを終えた。

なお、当日は水ノ峠から先に残るという「雑誌越え予州高山道」も下ろうとの思惑でもあった。が、下山口が見つからない。水ノ峠に繋がる林道を少し下ったところから国土地理院地図に描かれた破線が下の舗装道と繋がっている。比高差200m、その距離600mほど。その破線が下山口かと歩いてみたのだが、「下山口」の案内もなく急斜面には踏み跡らしきものも見つからない。
それではと、下から攻めてみようかと車デポ地から国土地理院地図に描かれる破線が繋がる下の舗装道へと向かった。そこには 「雑誌越え予州高山道 旧水ノ峠登り口」の標識が立っていた。どうもこの「破線」が旧土佐街道のようだ。
それではと標識の立つ箇所から上ってみようそこに足を踏み入れた。が、スタート地点からものすごい藪。30分ほど藪木を折りしだき急坂に取り付いたのだが、あまりの藪の激しさに気が萎える。急坂を上りながらの藪漕ぎは勘弁してほしいと撤退。
こんなところ誰も歩くとは思えないが、トレースするのであれば、上りより下りのほうがいいかとも思い、冬の藪も落ち着いた頃、気が向けばロープを用意して急坂を下ってみようかとも思う。
そしてまた、これはメモの段階で見たのだが、急坂の途中から左に折れ、南の橋ヶ藪方面から水ノ峠に続く国土地理院の「破線」に合流して峠へと上るトラックログもあった。どちらが旧土佐街道ルートかわからない。いつか訪れた時は両方のルートをチェックするしかないだろう。
ともあれ今回は本題の大規模林道から水ノ峠までのルートをメモする。



本日のルート;大規模林道から水ノ峠への取り付き口>踏み跡のあるルートを進む>最初のリボン>「黒滝峠」標識とリボン>池川町有林標識と小さな枯沢にリボン>草の覆われたルートにリボン3>藪にリボン4>藪が切れる辺りにリボン5>草に覆われたルートにリボン6>リボン7>最初の砂防堤>砂防堤を上るとリボン9>第二の砂防堤前にリボン10>「水ノ峠」標識>踏み込まれた道が現れる>水ノ峠

大規模林道から水ノ峠へ

大規模林道から水ノ峠への取り付き口;午前8時29分
黒滝峠から大規模林道へ出たところから450mほど東へと戻るところ、国土地理院地図に大規模林道から水ノ峠に繋がる破線が描かれる箇所が大規模林道から水ノ峠への取り付き口のようだ。本来の土佐街道は黒滝峠から大規模林道に下りる途中にあった「黒滝峠」の標識から山腹を進んだようだが現在は「危険」ということで通行できないとのこと。
ともあれ、国土地理院地図に描かれる破線が大規模江印藤に合わさる辺りでアプローチ点を探す。と、木に括られら赤いリボンが二つ見つかった。そこが取り付口であろうとは思うのだが、アプローチ部は刈り込まれてなく結構な藪。また藪漕ぎかと少々気が滅入る。

踏み跡のあるルートを進む;午前8時32分
草木を掻き分けルートに入ると予想に反し、その先は踏み込まれた道が続く。嬉しい。藪漕ぎなくこの道が続いて欲しいと願う。




最初のリボン;午前8時36分
リボン
数分歩き高度を10mほど上げると道の右手の細木に赤いリボンが括られる(「リボン1」とする)。踏み込まれた道が続く。






「黒滝峠」標識とリボン:午前8時38分
数分歩くと道の右手に木が立てられ、そこにピンクのリボンが括られている。その傍に「黒滝峠」と書かれた木の標識がある。またその先に「危険」と書かれた木の標識も転がっていた。ここが前述黒滝峠から大規模林道に出る途中出合った「黒滝峠」木標から繋がる旧土佐街道の合流点。理由は不詳だが「危険」のため一旦大規模林道へと迂回することになったのだろう。

池川町有林標識と小さな枯沢にリボン
小さな枯れ沢にリボン
等高線を斜めに進む緩やかな道を5分ほど歩き高度を10mほど上げると道の右手に「池川町有林」の木標(午前6時43分)。その直ぐ先に小さな枯れ沢があり立ち木に赤いリボン(リボン2)が括られる。

草の覆われたルートにリボン3;午前9時46分
細い立ち木にリボン
沢を渡ると踏まれた道は消え一面草に覆われたルートとなる。木々の間に囲まれており、なんとなくルートであろうと推測はつく。3分ほど歩くと道の左手、細い立ち木にリボン(リボン3)が括られており、オンコースであることを確認。

藪にリボン4;午前8時53分
道の左手、杉の木にリボン
リボン3から5分ほど歩くと草木が行く手を阻む。背丈より高い草藪を進むと道の左手、杉の木にリボンが括られていた(リボン4)。オンコース確認し一安心。




藪が切れる辺りにリボン5;午前8時58分
道の右手、杉の木にリボン
その先も藪。なんとなくルートっぽい筋を選び5分ほど進むと道の右手、杉の木にリボンが括られていた(リボン5)。オンコース。その先で藪が切れる。




草に覆われたルートにリボン6;午前9時1分
背丈ほどの藪から解放され、一面草に覆われたルートを数分進むと道の右手、杉の木にリボンが括られていた(リボン6)。数分歩くと再び背丈より高い草木が道を塞ぐ。



藪の中にリボン7:午前9時9分
藪は直ぐ切れその先に踏み込まれた道。が、直ぐ藪となる。藪の中、道の左手の細い立ち木にリボンが括られていた。





最初の砂防堤;午前9時9分
リボン傍から砂防堤の上に
その先、数分歩くと前方に砂防堤が現れる。ルートがはっきりしない。取敢えず砂防堤の東端まで行ってみるが、ルート案内もルートらしき筋も見当たらない。で、砂防堤西端まで戻ると木に括られた黄色いリボン(リボン8)が見えた。リボンを頼りに砂防堤の上に進む。

砂防堤を上るとリボン9;午前9時17分
リボン9
二番目の砂防堤
砂防堤前で右往左往し少し時間を取られたが、砂防堤の上に上ると足元は一面草が茂る。成り行きで少し進むと木に括られたリボンがあった(リボン9)。その先には二番目の砂防堤も見える。



第二の砂防堤前にリボン10;(午前9時23分)
水抜き水路溝
リボン10

リボンの位置から判断しルートは砂防邸東端方向であろうと一面草に覆われたところを成り行きで進む。途中、砂防堤からの水抜き水路溝を乗り越え先に進むと木に括られた黄色のリボンがあった(リボン10)。



「水ノ峠」標識;午前9時27分
「水ノ峠」標識
標識右手の藪に入る
リボン10から先、ルートがはっきりしない。右往左往していると砂防堤の東端辺りに偶然木の標識が目に入った。近づくと「水ノ峠」とあり指す方向ははっきりしないが左方向を指す。
左手は藪となっているので砂防堤の上へと辿ってみるがどうもそれらしきルートとは思えない。元に戻り左手の藪に入る。

踏み込まれた道が水ノ峠まで続く;午前9時37分
藪は直ぐ切れ、踏み込まれた道が現れる
踏まれた道が続く
と、藪は直ぐ切れ、踏み込まれた道が現れた。「水ノ峠」標識から10分もかかっているのはルート探しで右往左往したため。実際の藪は数分で抜ける。
これから先、水ノ峠まではこの踏み込まれた道、またその先では掘割道が続く。この道筋から外れないように進めばいい。

掘割道が続く
掘割道が続く
とはいうものの、途中道の分岐もありそうそう簡単にはいぁない。実際往路では踏み込まれた道からあらぬ方向に進み、力任せに尾根筋へと軌道修正し偶然掘割道に出た。往路はこの掘割道を進みその後は道に迷うことなく水ノ峠に到着した。 トラックログとして記載したのは復路のルート。峠から道なりに掘割道を進み、踏み込まれた道を進むと「水ノ峠」標識の立つ手前の藪まで迷うことなく下りることができた。そのルートを記載したものである。
迷い道注意地点
スムーズに下りた復路のトラックログは等高線1070m辺りから北に突き出た1050m等高線お尾根筋を西に横断している。往路のログを見ると「水ノ峠」標識から藪を抜け踏み込まれた道に入ったのだが、等高線1040m辺りで掘割道から外れ北に突き出た1050m等高線に沿って廻り込んでいた。そこで根拠はないのだ、国土地理院地図に描かれた「破線」に戻ろうと力任せに尾根筋へと軌道修正し幸運にも掘割道に出合ったわけだ。
この箇所をクリアするには、大まかに言えば、国土地理院に描かれる破線が1050m等高線に合わさるあたりから1070m等高線に向け西から東へと抜けるということだろう。

水ノ峠;午前10時5分
枯沢の先に鞍部が見える
鞍部に到着
往路、幸運にも出合った堀割道を進むと広い枯れ沢が現れる。峠手前は等高線が南東に切れ込んでいる。雨が降ればこの地から水が下るのだろう。その先は木々の間から空が開け鞍部らしき地形となる。
沢ゆえか少しザレ気味の道を上り切ると左右の高まりに挟まれた鞍部に出る。

鞍部右手には登山口の案内
鞍部左手にはミニ四国霊場
鞍部に水ノ峠の標識はない。左手の高まりへの道筋には幾多の石仏が並ぶ。ミニ霊場が祀られている。右手には「明神山登山口10km 雑誌山3.7km」の案内が立つ。 鞍部から少し下ると広場となってる。「登山口 明神登山口10km カラ池5.7km」の標識が立つ広場には左手から林道が繋がる。広場に設けられた木のベンチで小休止。

鞍部南の広場に林道が繋がる
大師堂と中島與一郎殉難の地石碑
休憩の後、ここが水ノ峠であるエビデンスを探す。と、広場の西にお堂が建つ。猿楽岩でもみた大師堂。こんな山中にも大師信仰の跡が残る。
お堂の左手に「勤王の志士 中島與一郎 殉難の地」と刻まれた石碑が立つ。その右に「水の峠 水神」と刻まれた石碑を祀る祠が立つ。現在水が流れているようにはみえなかったが、この水ゆえの水ノ峠ではあろう。この地が水ノ峠であることを確認。
中島與一郎
「水の峠 水神」の祠
この人物には黒滝峠でも出合った。元治元年(1864)、中島信行、中島与一郎、細木核太郎の3名は脱藩を決意。佐川より仁淀川に沿って進み、現在の県道363号筋の名野川を経て水ノ峠に至り、雑誌越えの道を黒滝峠に上る。その後中島与一郎は足の腫物のため一行と分かれ水ヶ峠に戻り、南東に下り橋ヶ藪から室津(国道439号室津川が仁淀川水系土居川に合流する辺り)まで進むも見とがめられ、再び水ヶ峠まで逃れ、その地の大師堂で捕り方により最後を遂げた。
池川紙一揆逃散の道
また、この水ノ峠は、これも黒滝峠で出合った池川紙一揆逃散の道でもある。 池川はこの地の東、現在の国道494号と493号が合流する辺り。紙一揆とは山間部において米納の代わりに紙を藩に現物していたわけだが、搾取に苦しみ起こした農民一揆。農民一揆には徒党を組み暴徒と化すもの、強訴に及ぶもの、他国に逃亡する逃散があるが、この池川紙一揆逃散の道とは、天明七年(17 87)2月26日、土佐藩への貢祖である紙の現物納入に苦しむ池川の農民六百人が逃散を決め伊予に逃亡したもの。
そのルートは寄居の集落から水ノ峠、雑誌山北麓の通称「雑誌越え」を経て黒滝峠で伊予に入る。黒滝峠からは数回に渡り歩いて来た土佐街道の逆ルート、猿楽岩から尾根筋を進み七鳥に下る通称「予州高山通り」を進み(七鳥に下る山麓に高山集落の地名が地図にある。高山通りの由来だろうか)、久万の四国遍路第44番札所大宝寺に庇護を求めた。
結局、この寺において帰国後処罰されないことを保証され、3月21日大宝寺を離れ帰国の途につく。帰路は土佐街道・松山街道のもうひとつのルートである、現在の国道494号筋を進み瓜生野峠(サレノ峠?)を経て用居の番所で取り調べを受けた後、池川に戻ったとのことである。

これで大規模林道から水ノ峠を繋いだ。次回は、やっぱり順番からして水ノ峠から下る旧土佐街道を辿るか、その先池川まで旧土佐街道の情報もみあたらないため、池川の先見ノ越から鈴ヶ峠への山入とするか、さてどうしよう。


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