伊予の松山から土佐の高知へと抜ける土佐街道・土州道、土佐からみれば松山街道と称されるのだが、その土佐街道・松山街道歩くことにした。過日、土佐の高知から伊予の川之江に抜ける土佐藩参勤交代道、土佐北街道を辿り終えたのだが、どうせのことなら、伊予と土佐を繋ぐもうひとつの主要往還である土佐街道・松山街道をもカバーしてみようと思ったわけである。
ルートをチェックすると松山の城下を出た街道は三坂峠を上り上浮穴郡久万高原町に至る。久万高原町の町並みを抜けた街道は越ノ峠から峠道へと入り面河川の谷筋の久万高原町七鳥に。そこからルートは仁淀川水系土居川筋の池川(高知県吾川郡仁淀川町)までふたつに分かれる。ひとつは現在の国道494号筋を辿るもの。仁淀川水系面河川支流の東川に沿って東進し源頭部まで上りサレノ峠で予土国境を越え土佐に入り、瓜生野、桧谷、舟形、出丸、用居の集落を経て池川(高知県吾川郡仁淀川町)に至るもの。このルートは幕末動乱期、幕府方の松山藩征伐のため土佐藩が進軍したルートと言う。 もうひとつのルートは七鳥から面河川を渡り山稜に取り付き尾根筋を東進し、猿楽岩を経て黒滝峠で予土国境を越える。土佐に入った街道は雑誌山の北を東西に走る尾根筋を辿り水ノ峠へと抜け、そこから寄居、坂本を経て池川に至るもの。予州高山通とも称される。
池川で合さったふたつのルートは仁淀川水系狩山川の谷筋の集落、見ノ越または丸岩から山稜に取り付き鈴ヶ峠、峯岩戸を経て横畠を経て今成(高知県高尾郡越知町)で仁淀川筋に下りる。
仁淀川を渡った街道は越知の町並み抜け赤土峠を越えて佐川の町に入り日下、佐川を経て高知の城下に入る。
ルート概要はわかった。さて、どこからはじめようか。ルートを見るに、久万高原町の越ノ峠から予土国境をを越えて仁淀川の谷筋にある越知の町までが山あり谷ありの険路部のようである。膝にトラブルを抱える身ではあるが、峠越えフリークとしてはまず最初にこの山間部をクリアし、その後平地部をトレースすることにした。
越ノ峠から七鳥へ;Google earthで作成 |
さて、越ノ峠からスタートするとして初回はどこまで。常の如く越ノ峠に車をデポし峠を越えて車道に出るまで進み、そこから車デポ地までピストン?バスの便でもないだろうか?バス停の記載のある地図マピオンでチェック。と、面河川谷筋の七鳥の少し東に岩屋寺口バス停がある。ここから久万高原町まで伊予鉄南予バスが走っているようだ。時刻を問い合わせると岩屋寺口発は午後は17時45分(夏の時期)一便のみ。このバスに間に合うように歩けばピストンをしなくてもよさそう。
ルートをちょっと詳しくチェック。ネットを検索すると久万高原遊山会の調査した記録がヒットした。トラックログもダウンロードできGPSギアにプロットしルートは確保。ルート沿いには標識も立てて頂いているようだ。
ダウンロードしたトラックログをもとに七鳥までのルートをチェック。越ノ峠から山入りした街道は南に山稜を150mほど上げ、標高700mの「はじかみ峠」に進み、そこから東に270mほど高度を下げて仁淀川水系久万川支流有枝川筋に下り、そこからに西に2キロ、高度を250mほど上げ「色の峠(標高650m)」に達する。
色の峠からは、東に100mほど高度を下げて仁淀川水系面河川支流・程野川の谷筋に下り、谷筋を南東に下り、途中七鳥はしがみ峠に取り付き面河川に面する七鳥に出る。
距離はおおよそ9キロ弱だろうか。痛めた膝で下りのスピードが出ないにしても4,5時間もみておけばいいだろう。越ノ峠を午前中に出発すれば十分バスに間に合いそう。ということで、車デポ・ピストンを取りやめ、バス利用とすることにした。
で当日、実際には7時間ほどかかってしまった。トラックログはあったのだが、藪が激しく、また標識を見落としたのか無くなってしまったのか道に迷い、それでもその後見つけた標識を手掛かりに、久万高原遊山会のトラックログを全部つなげようと道迷い地点まで引き返すなどしたため結構時間がかかったのかと思う。 越ノ峠を午前9時に出発し、七鳥に下り岩屋寺口バス停についたのが午後4時過ぎ。膝の痛みに倒れ込む。あまりに身も世もない(語用が間違ってる?)姿であったのか、パトロール中のパトカーのお巡りさんが心配してか、声をかけられてしまった。
それはともあれ、建屋もないバス停で1時間半ほどバスを待ち久万高原町の久万営業所終点まで戻る。当初の予定ではバス停から車デポ地の越ノ峠まで3.3キロほどを歩くつもりではいたのだが、そんな気力はどこにもなく、久万郷源町のタクシーを利用し越ノ峠まで送ってもらい、長い一日を終えた。 こんな為体(ていたらく)で、七鳥から先、延々と続く山越えができるのかちょっと不安であるが、膝と相談しながらぼちぼち土佐街道を辿って行こうと考えている。
とりあえずメモを始める。
本日のルート;
枝尾根の間の杉林に標識6
杉林を進む
林道に出る
石仏;午後12時50分(標高474m)
色ノ峠;午後14時(標高660m)
距離はおおよそ9キロ弱だろうか。痛めた膝で下りのスピードが出ないにしても4,5時間もみておけばいいだろう。越ノ峠を午前中に出発すれば十分バスに間に合いそう。ということで、車デポ・ピストンを取りやめ、バス利用とすることにした。
越ノ峠から七鳥へ |
で当日、実際には7時間ほどかかってしまった。トラックログはあったのだが、藪が激しく、また標識を見落としたのか無くなってしまったのか道に迷い、それでもその後見つけた標識を手掛かりに、久万高原遊山会のトラックログを全部つなげようと道迷い地点まで引き返すなどしたため結構時間がかかったのかと思う。 越ノ峠を午前9時に出発し、七鳥に下り岩屋寺口バス停についたのが午後4時過ぎ。膝の痛みに倒れ込む。あまりに身も世もない(語用が間違ってる?)姿であったのか、パトロール中のパトカーのお巡りさんが心配してか、声をかけられてしまった。
それはともあれ、建屋もないバス停で1時間半ほどバスを待ち久万高原町の久万営業所終点まで戻る。当初の予定ではバス停から車デポ地の越ノ峠まで3.3キロほどを歩くつもりではいたのだが、そんな気力はどこにもなく、久万郷源町のタクシーを利用し越ノ峠まで送ってもらい、長い一日を終えた。 こんな為体(ていたらく)で、七鳥から先、延々と続く山越えができるのかちょっと不安であるが、膝と相談しながらぼちぼち土佐街道を辿って行こうと考えている。
とりあえずメモを始める。
本日のルート;
■はじかみ峠越え
越ノ峠>八里石>林道を離れ山道に>林道に出る>標識1より林道を左に逸れ山道に入る>はじかみ峠>標識3>大きな林道に出る>標識4から林道を左に逸れて再び山道に>標識が続く>枝尾根の間の杉林に標識6>杉林を進む>林道に出る>林道に標識7>標識8で林道を左に逸れ再び山道に入る>標識(A標識2)>石仏>標識が続く>標識10>県道209号手前に標識(A標識4
■色ノ峠越え
県道209号右手、沢の手前に標識11>道の右手に標識12>林道支線分岐点に標識13>標識14より林道を左に逸れ山道に>標識(A標識5)>九里石>杉林の中を進む>色ノ峠>標識が続く>四つ辻に標識15>標識(A標識9)>農家の傍に標識16
■七鳥かしが峠越え
越ノ峠;午前9時(標高555m)
家のある愛媛県新居浜市を出て松山道を川内インターで下り、県道23号、国道33号を走り久万高原町に。越ノ峠は久万高原町の中心部から南に3.3キロほど離れてたところ、宮の前で国道33号を左に折れ、有枝川の谷筋の菅生の集落へと向かう県道153号の峠道を上ったところである。
越ノ峠(コシノトウ)は過日四国遍路歩きの折、岩屋寺へのバリエーションルートとして有枝川支流の集落・槇谷から八丁坂上の茶屋跡に上る途地、一度通ったことがある。その折、県道脇に残る旧道に「土佐街道」の標識を見付け、いつか歩いてみたいと思っていたところである。
きれいに整備された県道153号の越ノ峠に車をデポ。当初は峠から南に入る道らしきものがあり、そこが土佐街道かと思っていたのだが、GPSギアにプロットしたルート図では峠から少し西に戻り気味に進む。峠から西を見ると県道153号に沿って緩やかに上るガードレールのついた舗装道が続く。そのを進みガードレールが切れるあたりで舗装も切れ山入り道となる。
八里石;午前9時8分(標高565m)
越ノ峠(コシノトウ)は過日四国遍路歩きの折、岩屋寺へのバリエーションルートとして有枝川支流の集落・槇谷から八丁坂上の茶屋跡に上る途地、一度通ったことがある。その折、県道脇に残る旧道に「土佐街道」の標識を見付け、いつか歩いてみたいと思っていたところである。
きれいに整備された県道153号の越ノ峠に車をデポ。当初は峠から南に入る道らしきものがあり、そこが土佐街道かと思っていたのだが、GPSギアにプロットしたルート図では峠から少し西に戻り気味に進む。峠から西を見ると県道153号に沿って緩やかに上るガードレールのついた舗装道が続く。そのを進みガードレールが切れるあたりで舗装も切れ山入り道となる。
八里石;午前9時8分(標高565m)
山入りして数分、道がふたつに分かれる。分岐点には「林道 宮の前・落合線 起点」とあった。その左手、分岐点を林道に入らず直進する道の脇に「八里塚」の案内ともに、「松山札辻より八里」と刻まれた石柱が立つ。横の案内に「旧土佐街道里程標石」と記される里塚石である。土佐街道はこの八里塚の前を直進する。
●里程石
里程石は松山市内本町三丁目の電停辺り、かつて「札の辻」と称されていた松山藩の高札場から土佐街道を進む目安として立てられた里程標である。予土国境まで一里ごとに12里までの里程標が建てられたとのこと。
古くから伊予と土佐を結ぶ主要往還ではあるが、往来を盛んに行き来するようになったのは藩政時代に入ってから。従来木で造られていた里程標も、寛保元年(1741)3月に石に改めた。文字は松山藩祐筆の水谷半蔵らに書かせたとある。これが今に残る里塚石である。
尚、現存するのは森松の二里標石と六里から十二里まで。また、レプリカではあろうが、三坂峠を下り47番札所の手前に「三里塚」が立っていた。
林道を離れ山道に;午前9時21分(標高600m)
●里程石
里程石は松山市内本町三丁目の電停辺り、かつて「札の辻」と称されていた松山藩の高札場から土佐街道を進む目安として立てられた里程標である。予土国境まで一里ごとに12里までの里程標が建てられたとのこと。
古くから伊予と土佐を結ぶ主要往還ではあるが、往来を盛んに行き来するようになったのは藩政時代に入ってから。従来木で造られていた里程標も、寛保元年(1741)3月に石に改めた。文字は松山藩祐筆の水谷半蔵らに書かせたとある。これが今に残る里塚石である。
尚、現存するのは森松の二里標石と六里から十二里まで。また、レプリカではあろうが、三坂峠を下り47番札所の手前に「三里塚」が立っていた。
林道を離れ山道に;午前9時21分(標高600m)
右端に踏み込まれた土径がある |
右端に踏み込まれた土径 |
道を進むと林道はヘアピン状に大きく右に曲がる。土佐街道はこのヘアピンカーブの突端部で林道から逸れ枝尾根の間へと直進する。久万高原遊山会のデータではこの地に「土佐街道」の標識が立つとのことだが、見落としたのか無くなったのか、ともあれ標識は見つけることができなかった。
小さな枝尾根の間には、それらしき踏み跡もみつけることができす、取敢えず藪の中に足を踏みいれる。先に進むが藪が激しい。勘弁してほしいと左右を見ると、右手に踏み跡らしき筋が見えた。藪を右に廻り込むと結構踏み込まれた土径に出た。 念のため道を林道まで下りアプローチ口を確認。アプローチ口はヘアピン突端部の東端、時節から入り口も土径も草に覆われりにくいが、よく見れば他とはことなる踏み込まれた風の土径がある。アプロ―チはここから入ること。
●注意
到着時間は21分となっているが、これはヘアピン部を通り過ぎ、途中での気が付き戻ったため、余文の時間がかかっている。実際は八里石から5分程度でこのアプローチ部に着くかと思う。
林道に出る;午前9時48分(標高670m)
小さな枝尾根の間には、それらしき踏み跡もみつけることができす、取敢えず藪の中に足を踏みいれる。先に進むが藪が激しい。勘弁してほしいと左右を見ると、右手に踏み跡らしき筋が見えた。藪を右に廻り込むと結構踏み込まれた土径に出た。 念のため道を林道まで下りアプローチ口を確認。アプローチ口はヘアピン突端部の東端、時節から入り口も土径も草に覆われりにくいが、よく見れば他とはことなる踏み込まれた風の土径がある。アプロ―チはここから入ること。
●注意
到着時間は21分となっているが、これはヘアピン部を通り過ぎ、途中での気が付き戻ったため、余文の時間がかかっている。実際は八里石から5分程度でこのアプローチ部に着くかと思う。
林道に出る;午前9時48分(標高670m)
林道に出る |
藪から出て草に覆われてはいるが踏み込まれた道を進むと林道に出る。アプローチ口から20分以上かかっているが、これは藪漕ぎ、アプローチ点確認のためヘアピン部まで引き返し道を繋いだ、といったことが要因。本来のアプローチ部からオンコースを歩けば10分程度で林道に出るのかと思う。
標識1より林道を左に逸れ山道に入る;午前9時58分(標高680m)
標識1より林道を左に逸れ山道に入る;午前9時58分(標高680m)
「土佐街道」の標識「標識1) |
林道から左に逸れる箇所 |
林道は先ほど分かれたヘアピン部から続いている。林道を10分ほど歩くと道の左手に「土佐街道」の標識(以下便宜上「土佐街道」の標識に連番を振る。ここは標識1)。アプローチ部はちょっとわかりにくいが久万高原遊山会のトラックログによれば標識1から林道から逸れるようである。トラックログをGPSギアにプロットしておいたため、草に覆われた中へと足を踏み入れたが、そうでなければ林道をそのまま進んでいたように思う。トラックログをダウンロードできるようにしていただいた配慮に感謝。
はじかみ峠;午前10時9分(標高709m)
はじかみ峠;午前10時9分(標高709m)
はじかみ峠と手前の「土佐街道」(標識2) |
激しい藪の中を進む。参考トラックログがなければ進むことは躊躇われるが、トラックログを頼りに、「踏み込まれた」と見えなくもない道を進む。
10分ほど進むと道の左手に「土佐街道」の標識(標識2;午前10時8分)。一安心。その先に鞍部が見える。そこが「はじかみ峠」であろうと進む。
10分ほど進むと道の左手に「土佐街道」の標識(標識2;午前10時8分)。一安心。その先に鞍部が見える。そこが「はじかみ峠」であろうと進む。
はじかみ峠と標識(A標識0) |
はじかみ峠右手に木材伐採作業道 |
峠に到着。「はじかみ峠」の広い鞍部は木材が伐採され、「はじかみ」の由来と言われる「山椒」の茂る峠の面影は無い。
峠の右手には伐採用の作業道が開かれており下に続いていた。峠には久万高原遊山会とは別のグループが立てた「旧土佐道」の標識も立っていた(A標識0)。峠には石仏が祀られるとのことだが見つけることはできなかった。
便宜上「旧土佐道」の標識はA標識に連番をつけることにする。この「旧土佐道」は「A標識0)
越ノ峠からはじかみ峠へと標高を上げた土佐街道は、ここから有枝川の谷筋に向かって高度を270mほど下げることになる。
標識3;午前10時34分(標識677m)
越ノ峠からはじかみ峠へと標高を上げた土佐街道は、ここから有枝川の谷筋に向かって高度を270mほど下げることになる。
標識3;午前10時34分(標識677m)
「土佐街道」の標識(標識3) |
道迷い箇所;左の伐採作業道に出た |
峠で小休止の後、道を探す。伐採で一帯が荒れており道筋ははっきりしない。が、伐採用の作業道ではないだろうと、作業道の左の草叢に入り込む。何となく踏み込まれたような気もする。10分ほど歩くと左手に「土佐街道」の標識(標識3)があり。一安心。
林道に踏み込まれた道が合流する |
伐採作業道を下る |
標識の直ぐ先で右手を下る伐採用作業道が最接近する。直進するのか作業道に出るのかちょっと迷う。上述「土佐街道」標識は何となく作業道の方向を示しているようでもあり、また、土径の先は藪が激しく、しかも段差もあるように思え、その時は作業道に出て道を下り、その先で大きな林道に合流。左に折れる。
林道を左に折れた直ぐ先、踏み込まれた道が大きな林道に合流している。ひょっとして先ほど伐採作業道に出たところに繋がるのではと、取敢えず上り返してみることにした(午前10時45分;標高645m)。
道迷い箇所から伐採作業道左の土径を歩き直す
道迷い箇所から伐採作業道左の土径を歩き直す
道迷い箇所から伐採作業左の土径を進む |
土径から林道に出る |
道を戻ると作業道に出た箇所に繋がった。標識から先も伐採作業道に出ることなく、作業道を右手に見ながら草に覆われた土径を下れば大きな林道に出る。久万高原雄山会の資料では作業道に出るのが土佐街道のようにも思えるのだが、この箇所ははっきりしない。
標識4から林道を左に逸れて再び山道に;午前11時5分(標高633m)
標識4から林道を左に逸れて再び山道に;午前11時5分(標高633m)
「土佐街道」標識(標識4) |
「土佐街道」の標識(標識5) |
道迷い地点へのピストンに時間がかかり、上記時間とのギャップが大きいのは、土径と大きな林道が合流する箇所から先に進んだのが午前11時を過ぎたため。
歩きはじめて数分で林道から少し奥まったところに「土佐街道」の標識(標識4)が見える。ここで林道から左に逸れ山道に入る。
標識箇所で林道を逸れ数分、「土佐街道」の標識(標識5;午前11時7分;標識630m)。
「旧土佐道」の標識(A標識1)の先、道は枝尾根の間に入って行く
「旧土佐道」の標識(A標識1)の先、道は枝尾根の間に入って行く
「旧土佐道」の標識(A標識1) |
「土佐街道」の標識(標識5)の直ぐ先、「旧土佐道」の標識(A標識1)。上述の如く「旧土佐道」の標識はA標識に連番をつけることにした。この「旧土佐道」は「A標識1)道は西に切れ込んだ枝尾根の間へと下ってゆく。
枝尾根の間の杉林に標識6
「土佐街道」の標識(標識6) |
杉林を進む
再び小さな沢筋(午前11時21分)を越えたあたりから道は倒れた木々、落ちた枝葉で覆われはっきりしない。取敢えず開けた方向に向かって杉林を進む。
林道に出る
作業道に出る |
作業道・林道に合流点 |
枝尾根の間から抜け出た道は一旦作業道(午前11時35分)に出た後、その先で林道に合流する(午前11時39分;標高525m)。林道は先ほど山道に逸れた林道であった。
久万高原遊山会の資料にはこの間、2つ標識があるとのことだが、見つけることはできなかった。
林道に標識7
久万高原遊山会の資料にはこの間、2つ標識があるとのことだが、見つけることはできなかった。
林道に標識7
「土佐街道」標識(標識7) |
●補足;標識を見のが県道209号迄下り、県道脇の標識箇所から
「見逃し標識(標識8)まで折り返す
「旧土佐道」の標識(A標識4) |
県道209号に合流 |
当日は次にメモする標識を見落とし、結局この林道有枝線を進むことになった。GPSギアにプロットした参考トラックログからどんどん離れていく。どこかにプロットしたトラックログへのアプローチはないかと注意しながら歩くも道はなく、結局県道209号まで下ることになった。
県道209号に出た後は参考トラックログが県道とクロスするところまで北に進み、土佐街道の標識などないものかと辺りを探すと、道の左手ガードレールの内側に「旧土佐道」の標識があった(後述するがA標識4)。
ここからルートを逆に辿り道を繋ぐべしと、トラックログに従い、林道を左に逸れ標識見落とし箇所まで戻り、道を繋いだ。「土佐街道」案内標識(以下に記すが、「標識8」)が林道より一段低いところ、しかも文字面が林道に背を向けていたため見逃したようだ。
県道209号に出た後は参考トラックログが県道とクロスするところまで北に進み、土佐街道の標識などないものかと辺りを探すと、道の左手ガードレールの内側に「旧土佐道」の標識があった(後述するがA標識4)。
ここからルートを逆に辿り道を繋ぐべしと、トラックログに従い、林道を左に逸れ標識見落とし箇所まで戻り、道を繋いだ。「土佐街道」案内標識(以下に記すが、「標識8」)が林道より一段低いところ、しかも文字面が林道に背を向けていたため見逃したようだ。
以下、その「標識8」見落とし箇所からオンコースのルートをメモするが、標識8を見落とし林道を下りはじめたのが午前11時45分。そこから県道209号を経由して林道を逸れる見落とし標識8の立つ箇所に戻り道を繋いだのが午後12時37分。おおよそ1時間ほどかかってしまった。以下の時刻が直前の標識7と1時間弱のギャップがあるのはそのためである。以下の時刻表示はそのことを考慮して読み直して頂ければと思う。
標識8で林道を左に逸れ再び山道に入る;午後12時37分(標高515m)
標識8で林道を左に逸れ再び山道に入る;午後12時37分(標高515m)
「土佐街道」の標識(標識8) |
「土佐街道」の標識(標識8) |
林道に出た土佐街道はその直ぐ先、道が東に向かい大きく曲がる先端部から林道を逸れ山道に入る。繰り返しになるが、上にメモしたように土佐街道の標識8は林道より一段低いところに「土佐街道」の案内面を背にして立っており見逃しやすいので注意が必要。
標識(A標識2);午後12時47分(標高494m)
標識(A標識2);午後12時47分(標高494m)
「旧土佐道」標識(A標識2) |
分岐は下道へ |
山道を10分ほど歩くと道の左手に「旧土佐道」の標識(A標識2)。「土佐街道」の標識は久万高原遊山会の文字が木標に記されるが、「旧土佐道」の標識は複数のグループ名が記されていた。この間に久万高原遊山会の立てた標識があるようだが、目につくことはなかった。
道はその先分岐が現れるが、基本下り方向へと進めばいい。
道はその先分岐が現れるが、基本下り方向へと進めばいい。
石仏;午後12時50分(標高474m)
大岩の下ところ仏を祀るには風情のあるロケーションだが、結構危なっかしい箇所。そんなところに祀られる因は?あれこれ妄想は拡がる。
標識が続く
標識が続く
「土佐街道」の標識(標識9) |
「旧土佐道」の標識(A標識3) |
石仏から数分、「土佐街道」の標識(標識9;午後12時52分)。更に5分ほど下ると今度は「旧土佐道」の標識(A標識3:午後12時57分;標高448m)。この辺りまで下ると前方が少し開け里が近くになったと感じる。
標識10;午後13時3分(標高427m)
標識10;午後13時3分(標高427m)
「土佐街道」の標識(標識⒑) |
道を下ると右手に民家の屋根がみえてくる。結構大きな建屋である。「標識8」を見落とし県道迄下ったとき、正面からその家屋をみたのだが、現在はトタン屋根ではあるが、昔は如何にも茅葺であったであろう風情であった。
道はその民家の裏、山裾を下り里に下りる。そこには「土佐街道」と記された標識が立っていた(標識10)。
県道209号手前に標識(A標識4);午後13時5分
道はその民家の裏、山裾を下り里に下りる。そこには「土佐街道」と記された標識が立っていた(標識10)。
県道209号手前に標識(A標識4);午後13時5分
「旧土佐道」の標識(A標識4) |
里に下り草に覆われた土径を進み仁淀川水系久万川支流有枝川に架かる橋を渡る。前面、一段高いとこりにに県道209号のガードレールが見える。ガードレール下を道なりに曲がり県道209号手前に「旧土佐道」の標識(A標識4)がある。ここが前述標識見落とし箇所へと戻ったところではある。
これで最初の峠越え、「はじかみ峠」越えは終えた。距離は3キロ強ほどではないかと思う。時間は4時間ほどかかってしまった。道を繋ぐための往ったり来たりが3度あり、1時間半ほど余分に時間がかかってしまっており、オンコースで進めば実質2時間興といったところだろうか。上り150m、下り270mほどであり、峠越えそのものはどうということはないのだが、ほとんど人が歩いている気配がなく藪が激しくちょっと難儀した峠越えとなった。
久万高原町から「はじかみ峠」を越えて仁淀川水系久万川支流の有枝川の谷筋まで下り、本日最初の峠越えはクリア。次は有枝川の谷筋から高度を250m上げ「色の峠」を越え、仁淀川水系面河川支流の程野川の谷へと100mほど下る、本日2度目の峠越えとなる。距離は2キロ強といったところだろうか。
県道209号右手、沢の手前に標識11;午後13時6分
これで最初の峠越え、「はじかみ峠」越えは終えた。距離は3キロ強ほどではないかと思う。時間は4時間ほどかかってしまった。道を繋ぐための往ったり来たりが3度あり、1時間半ほど余分に時間がかかってしまっており、オンコースで進めば実質2時間興といったところだろうか。上り150m、下り270mほどであり、峠越えそのものはどうということはないのだが、ほとんど人が歩いている気配がなく藪が激しくちょっと難儀した峠越えとなった。
■色ノ峠越え■
久万高原町から「はじかみ峠」を越えて仁淀川水系久万川支流の有枝川の谷筋まで下り、本日最初の峠越えはクリア。次は有枝川の谷筋から高度を250m上げ「色の峠」を越え、仁淀川水系面河川支流の程野川の谷へと100mほど下る、本日2度目の峠越えとなる。距離は2キロ強といったところだろうか。
県道209号右手、沢の手前に標識11;午後13時6分
「土佐街道」の標識(標識11) |
左岸の道はすぐ行き止まりになる |
ガードレールが切れる「旧土佐道」の標識(A標識4)の立つところから県道209号に出る。すぐ先に有枝川に注ぐ支流というか沢がある。
その沢を渡る手前、道の右手に「土佐街道」の標識(標識11)。標識泊りはなんとなく橋を渡らず沢の左岸を進む方向を示しているように見える。
左岸を少し進むが行き止まり。その先は崖となって川に落ち込んでいる。行き止まり箇所の沢の両岸になんとなく石組みらしきものが残る。橋があったのかもしれない。プロットしたトラックログは沢を渡っている。ロープでもあれば沢に下りれないこともないがロープは持ってきていない。取敢えず県道まで戻り橋を渡り右岸に移ることにする。
道の右手に標識12;午後13時14分
その沢を渡る手前、道の右手に「土佐街道」の標識(標識11)。標識泊りはなんとなく橋を渡らず沢の左岸を進む方向を示しているように見える。
左岸を少し進むが行き止まり。その先は崖となって川に落ち込んでいる。行き止まり箇所の沢の両岸になんとなく石組みらしきものが残る。橋があったのかもしれない。プロットしたトラックログは沢を渡っている。ロープでもあれば沢に下りれないこともないがロープは持ってきていない。取敢えず県道まで戻り橋を渡り右岸に移ることにする。
道の右手に標識12;午後13時14分
「土佐街道」の標識(標識12) |
対岸に左岸行き止まり箇所が見える |
県道209号に架かる橋を渡り、沢の右岸を走る林道に入る。「林道 イロノトウ線」とある。舗装された林道に入ると直ぐ、道の右手に「土佐街道」の標識(標識12)。標識は沢方向を指す。対岸は先ほど左岸を進み行き止まりになった辺り。往昔はここを対岸に渡っていたのだろう。近くに馬頭観音が祀られるとのことだが、見つけることができなかった。
林道支線分岐点に標識13;午後13時26分(標高497m)
林道支線分岐点に標識13;午後13時26分(標高497m)
「土佐街道」標識(標識13) |
。
標識14より林道を左に逸れ山道に;午後13時41分(標高544m)
標識14より林道を左に逸れ山道に;午後13時41分(標高544m)
「土佐街道」の標識(標識14) |
林道支線分岐点から沢に沿っておおよそ20分弱歩くと、林道より一段高いところに「土佐街道」の標識が立つ(標識14)。林道をそのまま進むのか、山入りするのか少し分かり難いが、林道一段高いところにある以上、それなりの理由があってのことだろうと標識のところに上がる。なんとなく踏み込まれた道のようにも思える。取敢えず先に進むことにする。
標識(A標識5);午後13時45分(標高589m)
標識(A標識5);午後13時45分(標高589m)
「旧土佐道」の標識(A標識5) |
林道を逸れて土径を5分ほど歩くと道が上下に分かれる。その分岐点に「旧土佐道」の標識(A標識5)。標識は下を進む道脇に立っている。下側の道を進む。
道は東に切れ込んだ有枝川支流(沢)の源頭部の近くまで進んで来た。
九里石;午後13時52分(標高615m)
九里石;午後13時52分(標高615m)
「旧土佐街道」の標識から7分ほど歩くと「松山札辻より九里」と刻まれた里程石が立つ。標石や石碑は場所を移されることが結構多いが、この里程石は越ノ峠のスタート地点近くで見た八里石もそうだが、元の位置に立つとのこと。こんな山奥、道路整備もないだろうから移される必要もないだろう、かと。
九里石の先は杉の林。
杉林の中を進む
杉林の中を進む
色ノ峠;午後14時(標高660m)
[土佐街道」の標識 |
這い上がった鞍部、というか切通しといった凹部に[土佐街道」の標識。特に峠名の案内はないが、ここが色ノ峠であろう。読みは「イロノトウ」。面白い地名とチェックするが、その由来に関する記事はヒットしなかった。ここで小休止。
標識が続く
標識が続く
「旧土佐道」標識(A標識6) |
「旧土佐道」標識(A標識6) |
小休止の後、峠を程野の谷筋に向かって下る。峠への上りは杉の落ちた枝葉でまったく踏み跡がわからなかったが、下りはしっかりと踏み込まれた道筋となっている。
10分ほど下ると「旧土佐道」と書かれた標識(A標識6;午後14時13分;標高628m)、さらにそこから5分ほど下ると再び「旧土佐道」の標識が立つ(A標識7;午後14時19分;標高590m)。
四つ辻に標識15;午後14時22分(標高560m)
10分ほど下ると「旧土佐道」と書かれた標識(A標識6;午後14時13分;標高628m)、さらにそこから5分ほど下ると再び「旧土佐道」の標識が立つ(A標識7;午後14時19分;標高590m)。
四つ辻に標識15;午後14時22分(標高560m)
「土佐街道」の標識(標識15) |
「土佐街道」の標識(標識15) |
「旧土佐道」の標識(A標識7)を越えると竹林が現れ、里に近づいた予兆。その先、ほどなく道に合流。角に「土佐街道」の標識(標識15)があり、道をクロスし直進方向を指す。よくみれば踏み込まれた道が先に続いている。 。このクロスポイントは四つ辻と称されるようだ。
標識が続く;午後14時26分(標高550m)
七鳥かしが峠(標識20);午後15時36分(標高494m)
県道212号に下りる;16時5分(標高404m)
標識が続く;午後14時26分(標高550m)
「旧土佐道」の標識(A標識8) |
「旧土佐道」の標識(A標識9) |
道をクロスすると左手に「旧土佐道」の標識(A標識8)も立つ。四つ辻を直進し数分歩くと「旧土佐道」の標識(A標識9)が立つ。その先数分で農家の屋根が見えてくる。
農家の傍に標識16;午後14時28分(標高540m)
農家の傍に標識16;午後14時28分(標高540m)
「土佐街道」の標識(標識16) |
程野川を渡り舗装道に合流;午後14時33分
道は程野川を渡り、その先で舗装道に合流する。これで本日2度目の峠越えを終える。仁淀川水系久万川支流・有枝川の谷筋から高度を250m上げ「色の峠」を越え、仁淀川水系面河川支流の程野川の谷へと100mほど下った。距離は2キロ経強。特段の迷い道などもなかったのだが膝の痛みがちょっときつく、おおよそ1時間強かかってしまった。普通に歩けばこんなに時間はかからないと思う。
■七鳥かしが峠越え■
本日最後の峠越え。谷筋の集落、程野から程野川に沿って2,2キロほど歩き、「七鳥かしが峠」への山道に入る。程野川の谷筋から七鳥かしが峠への比高差は50mといったもので、峠越え、と言うより丘陵をショートカットするといったもの。距離も峠への取り付き口から七鳥の集落に下りるまでおおよそ1キロほどだろうか。
面河川に面した七鳥が本日の最終目的地だが、そこから直瀬川が面河川に合流する地点にある岩屋寺口バス停までは1キロほど。合計4キロ強ほど歩くことになる。
標識17;午後14時46分(標高508m)
面河川に面した七鳥が本日の最終目的地だが、そこから直瀬川が面河川に合流する地点にある岩屋寺口バス停までは1キロほど。合計4キロ強ほど歩くことになる。
標識17;午後14時46分(標高508m)
「土佐街道」の標識(標識17) |
「土佐街道」の標識(標識18) |
更に20分弱進むと、同じく道の左手に「土佐街道」の標識(標識18)。膝の痛みが激しく立ち止まり屈伸の繰り返しでスピードが出ない。結構時間がかかっているが、普通に歩けばこんなに時間はかからないだろう。
標識19より舗装道を左に逸れ山道に;15時21分(標高465m)
標識19より舗装道を左に逸れ山道に;15時21分(標高465m)
「土佐街道」の標識(標識19) |
20分ほど歩き、南東へと下っていた程野川が南に流れを変える箇所、「林道イイノタニ線」が左へと上る湾曲部を越えてほどなく道より一段高い所に「土佐街道」の標識が立つ(標識19)。そこから舗装道を逸れ山入りする。
舗装道をそのまま直進すれば面河川に合流し、面河川に沿って走る県道212号に出るが、面河川は大きく湾曲しているため大廻りして七鳥に向かうことになる。この峠道は迂回・大廻りのショートカットルートとなっているようだ。
標識(A標識10);15時35分(標高487)
舗装道をそのまま直進すれば面河川に合流し、面河川に沿って走る県道212号に出るが、面河川は大きく湾曲しているため大廻りして七鳥に向かうことになる。この峠道は迂回・大廻りのショートカットルートとなっているようだ。
標識(A標識10);15時35分(標高487)
「旧土佐道」の標識(A標識10) |
七鳥かしが峠(標識20);午後15時36分(標高494m)
かしが峠の由来は不明。「返峠」とも表記すると「えひめの記憶;愛媛県生涯学習センター」にある。道は鞍部を境に「切り返し」て面河川に面した丘陵地を下ってゆく。「切り返し」ゆえの「かしが(返)峠」だろうか。
峠に石仏が祀られるとの記事もあったが、見つけることができなかった。
標識21;15時53分(標高427m)
峠に石仏が祀られるとの記事もあったが、見つけることができなかった。
標識21;15時53分(標高427m)
「土佐街道」の標識(標識21) |
山裾の道を辿る。振り返る都と七鳥の集落が見える。
標識22;15時58分(標高422m)
「土佐街道」の標識(標識22) |
七鳥の集落の集落をみやりながら更に5分ほど歩くと左手に「土佐街道」の標識(標識22)。その先で県道へ降りる道と山裾を進む道のふたつに分かれる。標識はないが、取敢えず山裾の道を進む。道は舗装されている。
県道212号に下りる;16時5分(標高404m)
標識もなく成り行きで舗装された道を進み、その舗装された道が県道212号に下りるに任せ、県道212号に下りる。
県道212号に下り本日の3本の峠越を終える。県道を岩屋寺口に向かって歩くと東光寺参道の石碑。東光寺の手前には十里石が残るとのこと。県道筋には十里石を見ることはなかった。成り行きで県道に下ったが、更に山裾を進む道があり、そこに十里石があるのかもしれない。
県道212号に下り本日の3本の峠越を終える。県道を岩屋寺口に向かって歩くと東光寺参道の石碑。東光寺の手前には十里石が残るとのこと。県道筋には十里石を見ることはなかった。成り行きで県道に下ったが、更に山裾を進む道があり、そこに十里石があるのかもしれない。
土佐街道の案内;16時10分(標高402m)
十里石、そして東光寺へのルートハンティングは次回のお楽しみとして岩屋寺口バス停に向かうと県道の右手、川添いのガードレールが切れるところに土佐街道の案内があった。
案内には「近世土佐街道(三坂越え)
名称 土佐街道というのは、伊予国から土佐国へ向かう街道のことである。時代によって地域によっていろいろな街道がある。この土佐街道は、近世つまり江戸時代のもので、三坂越えと呼ばれている地域のものである。
成立 一六〇三(慶長八)年戸幕府開始ととも日本橋を起点に諸街道に一里塚を築かせ始めていることにより、松山藩も、かなり早い時期に街道整備を始めたものと思われる。一七四〇(元文五)年から一七四一(寛保元)年にかけて一里塚を木製から石製に作り替えた記録が残っている。
路程 松山札の辻を起点に森松・荏原を経て、三坂峠から久万町・七鳥・二箆(私注;ふたつの)に至るコースである。久万高原町内の里塚石は次のようになっている。
六里 東明神、七里久万町村
、 八里 菅生村、九里 有枝村、
十里 七烏村、十一里 東川村、
十二里 蓿川村 以上すべて現存する。
特色と利用
①松山藩の久万山支配の道である。
(松山藩士等人馬の往来の便を図ったもの。中世城館の配列に沿っている。) ②人の往来の開けたところである。
(駄賃持ちたちの馬による物流の道でもあった。)
③百姓一揆の道である。
(一七八七年土佐用居・池川の百姓、一八四二年土佐名野川の百姓いずれも大宝寺に逃散)」と記される。
GPSギアにプロットしたトラックログは、東光寺から県道を越えこの案内板のあるガードレールの切れ目から面河川へと下り、山入りしていた。次回はここを左に逸れて面河川を渡るのだろう。
岩屋寺口バス停
案内には「近世土佐街道(三坂越え)
名称 土佐街道というのは、伊予国から土佐国へ向かう街道のことである。時代によって地域によっていろいろな街道がある。この土佐街道は、近世つまり江戸時代のもので、三坂越えと呼ばれている地域のものである。
成立 一六〇三(慶長八)年戸幕府開始ととも日本橋を起点に諸街道に一里塚を築かせ始めていることにより、松山藩も、かなり早い時期に街道整備を始めたものと思われる。一七四〇(元文五)年から一七四一(寛保元)年にかけて一里塚を木製から石製に作り替えた記録が残っている。
路程 松山札の辻を起点に森松・荏原を経て、三坂峠から久万町・七鳥・二箆(私注;ふたつの)に至るコースである。久万高原町内の里塚石は次のようになっている。
六里 東明神、七里久万町村
、 八里 菅生村、九里 有枝村、
十里 七烏村、十一里 東川村、
十二里 蓿川村 以上すべて現存する。
特色と利用
①松山藩の久万山支配の道である。
(松山藩士等人馬の往来の便を図ったもの。中世城館の配列に沿っている。) ②人の往来の開けたところである。
(駄賃持ちたちの馬による物流の道でもあった。)
③百姓一揆の道である。
(一七八七年土佐用居・池川の百姓、一八四二年土佐名野川の百姓いずれも大宝寺に逃散)」と記される。
GPSギアにプロットしたトラックログは、東光寺から県道を越えこの案内板のあるガードレールの切れ目から面河川へと下り、山入りしていた。次回はここを左に逸れて面河川を渡るのだろう。
岩屋寺口バス停
膝の痛みを騙しだまししながら、なんとか午後16時半前に岩屋寺バス停に到着。午後17時45分到着のバスを待ち、30分弱バスに乗り久万の町に戻り、車デポ地までタクシーで向かい、本日の行程はすべて終了。午後19時前家に向かう。
次回は県道212号に下りたあたりから土佐街道を探し、十里石を見つけた後東光寺の先で面河川を渡り山入り道を歩いてみようと思う。
4キロはどで650mほど高度を上げ、尾根道は予土国境黒道峠まで6キロ強。ピストン20キロはちょっとキツイ。尾根道までのピストンがせいぜい、といったところだろうか。ともあれ、膝と相談しながらぼちぼち土佐街道をカバーしていこうと思う。
次回は県道212号に下りたあたりから土佐街道を探し、十里石を見つけた後東光寺の先で面河川を渡り山入り道を歩いてみようと思う。
4キロはどで650mほど高度を上げ、尾根道は予土国境黒道峠まで6キロ強。ピストン20キロはちょっとキツイ。尾根道までのピストンがせいぜい、といったところだろうか。ともあれ、膝と相談しながらぼちぼち土佐街道をカバーしていこうと思う。
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