予土国境 坂本龍馬脱藩の道を歩く そのⅤ;土佐の梼原から予土の国境の峠を越えて伊予の大洲へと(新田集落・白岩・弦巻集落・小田川筋・亀の甲)

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坂本龍馬脱藩の道のうち、予土国境山越えの道を辿る散歩も、残すは石上峠を少し下った新田(にいだ)集落から、龍馬が舟にのり長浜に向かった小田川筋の亀の甲までを残すのみになった。
当初の予定では、山越えの道を里に繋げてお終い、と思っていたのだが、新田集落を衛星写真でチェックすると、未だ山間の集落。里に繋いだ、とは言い難い。これでは画竜天晴を欠く、ということで今回、日帰りで残り区間を歩くことにした。
今回は、山間の集落とはいいながら、ほとんど里に近づいているわけで、それほど木標の見落とし、道間違いなどないだろうと、家を出る時間も遅く、誠にお気楽に出向いたのだが、事はそれほど簡単ではなかった。

事の発端は新田集落から土径に入り、快適に進んでいたのだが、木標の無い土径の分岐での道の取り間違いにより、舗装道に出てしまい、車デポ地に戻り、そこから車で白岩集落を越え、弦巻集落で少し土径はあったものの、あっと言う間に、小田川筋・亀の甲集落に近づいてしまった。
そんなはずはない。『坂本龍馬脱藩の道を探る;村上恒夫(新人物往来社)』には、「石上峠から白岩までは、旧街道はほぼ昔のままで残っている」とあるし、「龍馬がここを通ったら、必ず白岩の大清水で休んだはずである」といった記述にある、白岩集落を素通りしている。ということで、白岩集落辺りを進むであろう土径を探し、行きつ戻りつ、ドタバタ行となってしまった。

今回の散歩を、時系列でメモしても「坂本龍馬脱藩の道」のルート案内は混乱するだけであろう。ために、今回のメモはドタバタの結果一応繋げた「坂本龍馬脱藩の道」をまず整理し、その後で、行きつ戻りつ、終いには藪漕ぎまでして繋げた、脱藩の道探しを時系列でメモする。 時系列のメモは、自分用忘備録といったものであるが、脱藩の道のルートの補助説明として番号をつけておく。坂本龍馬脱藩の道のトレースに参考になればと思う。


本日のルート;
新田集落から白岩集落・弦巻集落を経て、小田川筋・亀の甲集落へ
①新田集落に車デポ:11時4分>②石上峠近くの舗装道脇木標から土道に;11時28分>③新田集落の木標から土径に;11時42分>④木標;11時55分>⑤木標の無い分岐;12時>(道間違い)>⑥分岐を右折し舗装道に出る;12時5分
⑦新田集落のデポ地に戻る(ピストン;歩き);12時24分 >⑧新田集落からの土径から舗装道に出た箇所に戻る>(ピストン戻り:車)>新田集落>(車移動)>⑨弦巻の木標から土径に;12時40分>⑩亀の甲近くの舗装道に出る;12時59分>(白岩集落に戻る)
⑪土径木標を探して右往左往>⑫白岩集落に車をデポし脱藩の道の取り付口を探す;13時47分>⑬道脇のガードレール下に木標を発見>⑭脱藩の道らしき土径発見;13時57分>⑮木標;14時>⑯木標にない分岐を間違い林道に入る;14時3分>⑰藪漕ぎ開始;14時28分>⑱新田集落から白岩集落への脱藩の道を繋ぐ;14時51分
⑲分岐木標;14時58分>⑳林道間違い箇所:15時17分>脱藩の道を白岩集落・舗装路に戻る;15時22分>㉒舗装路から土径に;15時24分>㉓白岩の大清水;15時26分>㉔弦巻近くの舗装道に出る;15時35分>㉕白岩のデポ地に引き返す(歩き);15時45分>㉖亀の甲近くにデポ・車移動;15時58分>㉗亀の甲の木標;16時>㉘亀の甲;16時2分


坂本龍馬脱藩の道;石上峠から新田・白岩・弦巻集落を経て小田川筋亀の甲まで

以下、当日の行動ルートを整理し、龍馬脱藩の道を示す。囲み数字は当日の行動ルートに付けた番号。参考になればと付記した。
●石上峠
●木標を斜めに土道に入る
●ほどなく舗装された林道に出る
●土径が舗装林道に出たところに木標(②)
●舗装林道を離れ右手斜めに土径に入る
●石仏群を見遣りながら進むと新田集落の木標箇所(③)に出る
●新田集落の木標を右手斜めに土径に入り、白岩集落に進む。途中、「坂本龍馬脱藩の道」の木標(④)から5分ほど進んだところにある、木標のない分岐点(⑤)は注意し、右に曲がることなく直進する。
その先の上下に分岐する箇所は木標(⑲)に従い上段に入る。脱藩の道は舗装道の進む250m等高線に沿って、50m高い標高300m辺りを進むと脱藩の道の木標がり、そこから10分ほどで林道にあたる(⑯⑳)
●そのT字路を右に折れ白岩集落に。途中に「坂本龍馬脱藩の道」の木標がある(⑮)
●白岩集落の民家の納屋横に出た脱藩の道は、舗装路に合流。そこから100mほど戻りのガードパイプを土径に入る(⑬㉒)と脱藩の道の木標
●土径を進むと白岩の大清水に出る(㉓)
●舗装道の少し上を進む土径を進むと弦巻集落で舗装道に出る(㉔)
●舗装道を少し進むとヘアピンカーブのところに木標があり、土径に入る(⑨)
●お堂の横の木標に従い土径を下ると舗装道に出る(⑩)
●舗装道を少し進みヘアピンカーブの突端に木標(㉖)
●木標から舗装された径を下ると亀の甲集落(㉗)
●県道を渡ると小田川の亀の甲の舟着場跡に到着(㉘)


新田集落から白岩集落・弦巻集落を経て、小田川筋・亀の甲集落へ(実際の行動ルート)

新田集落に車デポ:11時4分・標高350m
愛媛県の東予にある新居浜から松山道に乗り、中予から南予へと進み内子・五十崎インターで下り、小田川筋を県道32号、228号と進み、ナビに導かれ新田集落に。
車を道脇にデポし、先回の散歩で確認した新田集落にある「坂本龍馬脱藩の道」の木票を見遣りながら舗装された林道を上り、先回の散歩の往路で見逃し、復路で見つけた、石上峠から斜めに下る土道が舗装道に合わさる箇所にある、「坂本龍馬脱藩の道」の木標に向かう


石上峠近くの舗装道脇木標から土径に;11時28分・標高470m
石上峠への舗装された林道を歩くこと20分、石上峠から下る土径との合流点に。道脇に木標立つ木標から左に土径が下っている。
土径に入ってすぐは雑草で覆われた道も、木々に蔽われた土径となり、里に近づいたのか竹林を抜けると幾多の石仏が佇む。石仏にお参りし先に進むと、新田集落の「坂本龍馬脱藩の道」の木標がある場所に出た(11時42分;標高355m)。 舗装道脇の木標からおおよそ15分弱であった。

新田集落の木標から土径に;11時42分・標高355m
「坂本龍馬脱藩の道 新田」と書かれた木標は、まことにわかりにくい。ちょっと見には、舗装林道を石上峠へと戻る舗装林道方向と見える。実際は、木標から右の土径に入る。木標辺りは雑草が茂り、道筋は見えないが、草を掻き分けて進めばいい。



木標;11時55分・標高300m
ほどなく雑草も切れた土径を10分ほど歩くと「坂本龍馬脱藩の道」と書かれた木標がある。オンコースであることが確認でき一安心。

木標の無い分岐;12時・標高290m
しかし、ここから先が要注意。木標から5分ほど歩いたところで道が分岐する。標識もなく、右の道をとる。
これが、「行きつ戻りつ」の1日となった端緒。この道を直進というか、左に進めば、舗装道路に沿って白岩、更には弦巻まで進めたのだが、それがわかったのは、後ほど、白岩から逆に戻り、道を繋げた後のことであり、その時は知る由もなし。

分岐を右折し舗装道に出る;12時5分・標高260m
標識のない分岐を、右の道をとると、5分ほどで舗装道に出た。その時は、新田ん集落の車デポ地からそれほど離れてもいないので、ピストン距離も比較的短く、ラッキーと思っていたのだが。。。

新田集落のデポ地に戻る(ピストン;歩き);12時24分
舗装路に出たため、車をデポした新田集落に戻る。舗装道を20分ほど歩き、車に乗り、次の木標を探しながら舗装道を下ることにする。



新田集落からの土径から舗装道に出た箇所に戻る(ピストン:車)
新田集落から車で分岐点に戻る。ここから先、舗装道脇に木標を求めながら先に進むことにする。次の土径の木標はすぐ現れるだろうと思いながら車を進める。







弦巻の木標から土径に;12時40分・標高160m
車を進め、木標に注意しながら進むも、白岩集落辺りを過ぎても道脇に木標は見つからず、更にその先の弦巻の集落にある173mピークに突き当たるヘアピンカーブのところでやっと木標を見つけ、道脇に車をデポし土径に入る。






茶堂と木標
耕地の上に延びる細い一本道を進み、173mピークを巻くと茶堂があり、脇の「坂本龍馬脱藩の道」の木標に従い、竹林の中を等高線に対し「くの字」を書くように下りる





亀の甲近くの舗装道に出る;12時59分・標高85m
弦巻の木標から土径を15分ほど歩くと舗装道に出る。目の前には小田川が見える。龍馬が舟に乗り長浜に向かったという、川傍の集落・亀の甲のすぐ傍である。







土径木標を探して右往左往
これはもう、どう考えてもおかしい。車で走る途中、木標を見落としたのだろう。上にメモしたように、『坂本龍馬脱藩の道を探る』には「石上峠から白岩までは、旧街道はほぼ昔のままで残っている」とあるし、「龍馬がここを通ったら、必ず白岩の大清水で休んだはずである」といった記述があるが、その白岩集落を素通りしている。
とりあえず、車で白岩集落まで戻り、土道への取り付き口を探すべし、と車で向かう。弦巻集落越え、白岩集落の道脇にあるだろう、木標を求め、ゆるゆると車を進めるが、それらしき木標は見当たらない。数回往復したのだが、結果は同じである。

白岩集落に車をデポし脱藩の道の取り付口を探す;13時47分・標高230m 
が、地図をチェックするとい、白岩集落には、行きつ戻りつした舗装道から、ひとつ山側の民家に向かう分岐道がある。その道筋に入り、車を停めて木標を探す

道脇のガードレール下に木標を発見;13時50分・標高230m
と、道のガードレールが切れたところに、下に下るガードパイプがあり、その道筋に木標があり、「坂本龍馬脱藩の道」とある。 ということは、このガードパイプに続く土径が集落の山側にあるだろうと、民家脇から山側に入り込む。







脱藩の道らしき土径発見;13時57分・標高240m
民家倉庫裏の藪を右往左往していると、ひょこりと土径が現れた。道の方向からすれば、ガードパイプの木標方向と違和感はない。ひょっとすれば、これが脱藩の道かも、と山方向へと道をとる。






木標;14時・標高250m

道を数分進むと「坂本龍馬脱藩の道」と書かれた木標が現れた。『坂本龍馬脱藩の道を探る』にあった、「石上峠から白岩まで残る旧街道」はこの道だろう。道を戻れば石上峠から新田集落に下り、白岩に向かう土径と繋がるだろうと道を先に進む。上述⑤の木標のない分岐点まで辿った道と繋がれば、との想いである。





木標のない分岐を間違い林道に入る;14時3分・標高260m
歩くこと数分、その時はそれほど意識もしなかったのだが、分岐があり比較的道幅の大きい右手の道を進む。後で分かったことであるが、坂本龍馬脱藩の道は左手というか、直進しなければいけなかった。
石上峠方面から下るときには、この分岐点に木標は不要であろうが、木標がないため、あらぬ方向に進むことになってしまった。




藪漕ぎ開始;14時28分・標高420m
道はどんどん高度を上げる。どこかと途中で左に折れる道があるに違いないと、その時は思い込み先に進んだのだが、それらしき道は現れない。道はどんどん舗装道から離れてゆく。木標のない分岐点(⑮)の道を意識していたならば、そこまで戻って道を進んだのだろうが、その時は分岐先に道があるとも思えず、適当なところで藪漕ぎして、舗装道に出てしまった土径(⑤)に下りて行こうと決める。
藪漕ぎ地点は沢を渡る可能性を避けるため、北に突き出た尾根を回り込んだ辺りで下ろうと、結局分岐点から25分ほど歩き、標高420m辺りから力任せに山を下る。

新田集落から白岩集落への脱藩の道を繋ぐ;14時51分・標高290m
倒(こ)けつ転(まろ)びつ、GPS だけを頼りに標高を90mほど下げる。雨も降ってきて、衣服は泥まみれ。途中作業道らしき道があればそこを進み、適当なところでGPS に表示される、地点⑤へのトラックログに向かって藪漕ぎをすること20分強。なんとなく踏み込まれた土径に出る。
GPSでチェックすると、地点⑤に近づいている。道を石上峠方面に進むと「坂本龍馬脱藩の道」の木標があった。繋がった。余りの嬉しさのあまり、木標の写真を撮ることも忘れてしまった。

分岐木標;14時58分・標高200m
繋がった坂本龍馬脱藩の道を白岩集落に向かう。途中、木標のない分岐(⑤)がある。お昼頃、この道を歩いたときはそこを右に折れ、5分ほどで舗装道に出てしまった。
その時は、舗装道に沿って進めば土径に入る木標があるだろうと先に進んだのだが、あっと言う間に弦巻まで出てしまったのは前述の通りである。 今回は、右に折れることなく直進し、数分進むと、道は上下に分かれる。はてさて、上下どちら?上の道に「坂本龍馬脱藩の道」の木標があり、道を上にとり、等高線300mの辺りを進む。舗装道は等高線250m辺りを進んでおり、舗装同に沿って50mほど上を進むことになる。

分岐点から5分ほど進むと、「坂本龍馬脱藩の道」の木標識があり(15時5分)、オンコースを確認し、安心して先に進む。








林道間違い箇所:15時17分・標高260m
木標からさらに10分ほど進むと、T字で道にあたる。この分岐点が、道とは思わず、林道に向かった分岐点(⑮)であった。ここで分岐に気付いていれば、藪漕ぎもせず道を繋ぐこともできただろうが、後の祭りである







21;脱藩の道を白岩集落・舗装路に戻る;15時22分・標高240m
土径を白岩集落へと向かう。「坂本龍馬脱藩の道」の木標(⑭)を見遣りながら分岐点から5分ほど進むと民家の納屋裏に出る。
民家脇で道は切れる。右に曲がれば民家の庭を通ることになる。左に曲がり、石仏が祀られる祠の前の道を下ると、舗装された道に出る。この舗装道は、白岩での土径を求めて右往左往した舗装道から分岐し、車をデポした道(⑫)。この道から白岩集落の脱藩の土径を求めて山に入っていった。

舗装路から土径に;15時24分・標高230m
舗装されたスロープ状の道を舗装道に合流し、先ほど見つけた木標のあるガードパイプの箇所(⑬)に100mほど下る。
ガードレールの切れた箇所からガードパイプに沿って土径に入ると、「坂本龍馬脱藩の道」の木標が立つ。



白岩の大清水;15時26分・標高230m
木標から数分歩くと「白岩の大清水」に到着。四阿(あずまや)の横の豊かな湧水で、体を冷やす。小雨の中での藪漕ぎの汗と泥を洗い流しリフレッシュ。因みに、白岩の大清水の手前で右に折れると、白岩の土径を求めて右往左往した舗装道に出る。そこには「白岩の大清水」の木標があったが、見逃していた。

弦巻近くの舗装道に出る;15時35分・標高270m
白岩の大清水から、土径を進む。ほぼ250m等高線に沿って緩やかに下る舗装道に沿って、その少し上を進むことになる。雰囲気のある土径を10分ほど進むと土径は弦巻の集落で舗装道にでる。舗装道路のすぐ先は、弦巻の集落にあった脱藩の道の木標がある、ヘアピンカーブとなる。


白岩のデポ地に引き返す(歩き);15時45分・標高230m
これで、新田集落からの土径の分岐を間違い、すぐに舗装道に出たため、すっぽりと抜けていた、新田集落から白岩集落、白岩の大清水をへて弦巻に出る、「坂本龍馬脱藩の道」が繋がった。
土径から車をデポした白岩集落まで歩きで戻り、そこから車で亀の甲へと下る。

亀の甲近くにデポ・車移動;15時58分・標高70m
車で進み、弦巻の木標からの土径が舗装道に出たすぐ先のヘアピンカーブを曲がり、さらにその先でもう一度ヘアピンカーブを曲がる箇所に「坂本龍馬脱藩の道」の木標が立つ。
ヘアピンカーブを曲がった少し先にあった舗装道のスペースに車を停め、小田川の川筋を見遣りながら亀の甲の木標に向かう。

亀の甲の木標;16時・標高75m
木標のある箇所から、竜馬が舟に乗った、であろう小田川の船着場といった雰囲気の広場が見える。舗装された急坂を下ると小川に架かる小橋に「坂本龍馬脱藩の道 亀の甲」の木標がある。







亀の甲;16時2分・標高50m
集落を抜け、県道32号を渡ると広場があり、そこに「坂本龍馬脱藩の道 宿間村(亀の甲)」の案内があり、「文久二年(1862年)3月24日。同志沢村惣之と土佐を脱藩した坂本龍馬は、26日、大野ヶ原は韮ヶ峠の国境を越え泉ヶ峠に宿泊した。27日(新暦では4月25日)朝、泉ヶ峠を立ち、耳取峠、石上峠、白岩、弦巻を経て、宿間村に着いた。
かつてここ宿間村の亀の甲は川舟による交通の要所として栄えていた。ここで道案内の那須俊平と別れ、龍馬と沢村惣之丞は川舟に乗って、小田川、肱川を下り、大洲、長浜を経て、長州は下関を目指した
龍馬の歩いた旧街道は、まさに新しい時代の黎明を告げる、新生日本の維新の道であった。 平成2年 五十崎町教育委員会」との解説が記されていた。

これで1泊2日を2回、日帰り1回の計5日かけて歩いた、坂本龍馬脱藩の道のうち、予土国境越えから小田川筋までを歩き終えた。単独行、車での移動のため、車デポ地へのピストンが必要であったため、通常の倍日数がかかってしまった。
とりたてて龍馬フリークと言うわけでもないのだが、脱藩の道という響き、峠越えというキーワードに惹かれてはいたのだが、何せ段取りのいいルーティングが思い描けず延び延びになっていた。が、今回、「えいや」と車移動でピストンと思いきり実行。なんとかなるものである。坂本龍馬脱藩の道の他にも、同じように段取りのいいルーティングができず、「保留」にしている歩き遍路も、車移動でピストン、と思いきれば、どこなと行けそうに思える。今回の散歩で得た最大の「ご褒美」は、そのことかと思う。
それはそれとして、横通集落と日除集落で2箇所ほど土径に入る木標を見逃し、その部分は不完全であるが、それも距離はそれほど長くない。今回歩いた当初、特に高知県内の坂本龍馬脱藩の道の木標はしっかりしており、地図は不要であると思っていた。が、愛媛に入ると、肝心な分岐に木標がなかったり、木標の方向指示が分かりにくかったと、道に迷うことも多かった。実際に歩いたトラックログで作成した坂本龍馬脱藩の道のルート地図を活用して頂き、道間違いが少しでも少なくなれば幸いである。

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