南多摩 大丸用水散歩 そのⅣ;大丸用水の幹線水路のひとつ、「大掘」を辿る

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二ヶ領用水散歩のほんのついでにと、戯れに訪れた大丸用水ではあるが、その規模は予想外に大きく、大丸用水の二つに分かれれる幹線水路のひとつである「菅掘」を三度に分けてを歩くこととなった。
四度目の今回は、「菅掘」と共に大丸用水の幹線水路の残りのひとつである「大堀」を辿ることにする。「大堀」は南武線・南多摩駅北の「分量樋」で「菅掘」と分かれ、南武線の南、都道9号の南を進み、南武線・矢野口駅南を下り、京王・稲田堤駅の西、穴沢天神社の東辺りで三沢川に合流する。清水川とも称される、おおよそ5キロ強の用水路である。


本日のルート;南武線・南多摩駅北の分量樋>都道9号を越えると開渠となる>宿掘分岐>稲城第四保育園>五反田掘が分かれる>稲城第三小学校辺りで暗渠に>青渭神社>五反田掘が合流>久保堀が合流>都道9号に接近し開渠となって姿を現す>都道9号バイパスを越える>稲城第一小学校南へ開渠で下る>中掘が分かれる>柳田掘合流点>都道19号を越える>豊堀が合流>川崎市立菅中学校の敷地を潜る>京王線の高架を潜る>三沢川に注ぐ

南武線・南多摩駅北の分量樋
大丸用水堰で多摩川から取水された水は「うち掘」を流れ、南武線・南多摩駅北の分量樋で「菅掘」と「大掘」に分かれる。右手に分かれた「大掘」は南武線高架工事の跡地の駅前に細い水路となってその姿を残すが、すぐに工事跡地の地中に潜り、都道9号・大丸交差点方面へ下る。




都道9号を越えると開渠となる
都道9号の大丸交差点辺りで水路を探すと、交差点の少し西に水路が顔を出している。交差点を渡り、水路に沿って進む。結構雰囲気のいい用水の景観を呈する。








宿掘分岐
先に進むと、道が二つに分かれる辺りで一瞬暗渠となるが、道の左手に水路が見える。今までのきっちりした用水掘とは異なり、二手にわかれる左手の水路は宅地工事の影響の残る、雑とした雰囲気で民家の前を進む。一方、右に分かれる水路は上を鉄板で覆われ民家に間に入ってゆく。本流は右手に分かれた水路。左手に分かれた水路は「宿掘」である。

◎宿掘;「菅掘」と別れた「大堀」が都道9号の南に越えてほどなく「大堀」から分流した後、東流し南武線を越え、「菅掘」から分流した「新堀」と南武線の北で合流する。


稲城第四保育園
「宿掘」との分流点では宅地工事の影響か、結構「雑」な姿であった「大掘」は民家の間を「しっかり」とした用水の姿に戻って南東に進み、稲城第四保育園の南をぐるりと廻って結構大きな車道に出る






五反田掘が分かれる
車道脇の歩行者道路に沿って流れる水路はほどなく直角に曲がる。直角に曲がる地点の水路にゴミの流入を防ぐ柵のついた「取水口」が見える。この取水口の先は「五反田掘」のようである。

◎五反田掘;「宿掘」分流点を先に進み、開渠部分が直角に曲がる地点で分流し、そのまま東流し、都道9号まで接近したところで流路を南東に変え、「久保掘」が「大堀」に合流する少し手前で「大堀」に合流する。


稲城第三小学校辺りで暗渠に
「五反田掘」分流点で直角に曲がった「大掘」はその先の車道で再び直角に曲がり、道に沿って開渠で進むが、先の稲城第三小学校辺りで暗渠となる。









青渭神社
稲城第三小学校を越えると青渭神社が水路の北に佇む。周囲を宅地に囲まれ、社殿も昭和49年(1974)造営のコンクリートの建物ではあるのだが、境内の醸し出す雰囲気は古い趣を残す。
鳥居脇の案内には「昔はこの付近に大きな青い沼があり、その神霊を祀ったことが起源とされる。そのために別に青沼大明神とも称される。祭神は出雲系の青渭神で農耕や生活に霊験あらたかな神である。本殿は昭和49年に改築されたものである。
毎年10月1日の祭礼には、市指定文化財の獅子舞が奉納される。この獅子舞の起源を明らかにするものはないが、大正4年より23年間中断していたのを、昭和12年に復活して現在にいたる。舞の形は、大獅子、女獅子、求獅子の三頭の獅子と天狗によるもので、はやし方は笛吹、貝吹、歌方によって構成される。(稲城市掲示より)」とあった。
また、拝殿脇の由緒には「当社創建の年代は詳らかでないが、光仁年中の創立との伝承がある。延喜式神名帳所載の多摩八座の一社で古社である。祭神は青渭神猿田彦命天鈿女命を祀る。昔は大沼明神又は青沼大明神と称した。大祭には青渭獅子舞奉納の神事がある。現社殿は昭和四十九年の造営であるが本殿は往昔のままで数百年を経ている。明治六年郷社に列せらる」とあった。
由緒には、延喜式神名帳所載の多摩八座の一社とある。延喜式の「武蔵國多磨郡 青渭神社」の論社には、この社の他、深大寺の北、青梅市沢井にも青渭神社がある。実際、『新編武蔵風土記稿』の東長沼村・青沼社の件(くだり)には、「村の西に在。猿田彦命を祀れり。青沼大明神と号す。相傳ふ此邊に大なる沼ありて、その沼より神体出現せり。故に昔は大沼明神とかきしと。されどこの説もかたりつたへのみなれば、いかがはあらん。「神名帳」にのせたる青渭神社は、もしくは当社ならんかとおもはるれど、郡内上澤井村(現青梅市)にも青渭神社と称する社あり。かの社傳もたしかならざれば、いささかここにも記しおくのみ、今はおしなべて水田となれり。小社にて三間半に四間半の覆屋あり。前に鳥居をたつ。村内の鎮守なり。神主福嶋左内」とあり、沢井村の青渭神社も論社として記載されている。


五反田掘が合流
暗渠を先に進むと梨畑の脇から水路が合流する。水は流れてはいないが、この「溝」は先ほど分かれた「五反田掘」であり、この地で「大掘」に戻る。








久保掘が合流
「五反田掘」が合流した地点の直ぐ先、南北に走る道路が「大掘」の道筋と交差する地点に北から水路が合わさる。「久保掘」がこれである。道の南には「切方掘」が進むと言うが、暗渠のため、流路は不明である。
◎久保掘;南武線・稲城長沼駅の南を進んできた「新掘」が、南武線・稲城長沼駅の東で高架を潜る手前で「新堀」から分かれ南に下り「大掘」に合わさる。既にメモしたが、「新掘」からの分流点は駅前再開発なのか、宅地化工事のため分流点は確認できなかった。
◎切方掘;「久保掘」が「大堀」に合流する地点で分流し、三沢川に向かって南流し、三沢川の少し北を川に沿って進み、穴沢天神の少し東で三沢川に合流する。




都道9号に接近し開渠となって姿を現す
「久保掘」が合わさる地点から都道9号に向かって進み、道が緩やかに弧を描く辺りの民家に近づくと、突然大きな水音が聞こえ、開渠となる。この音は、水路脇に住んでいる方には結構きついのでは、などといらぬお節介を抱くほどの勢いであった。





都道9号バイパスを越える
開渠となった水路は民家の間を縫って進む。水路に沿っては簡単に勧めない。行きつ戻りつを繰り返しながら先に進むと、都道9号バイパス手前で水路はコンクリートの蓋で覆われ、都道9号バイパスをコンクリートの箱形樋で渡る。






稲城第一小学校南へ開渠で下る
都道9号を越えた水路は開渠となり、南へ流れを変えて都道19号を越え、時に水路脇を辿れるとは言うものの、基本民家の間を縫って稲城第一小学校南へとくだってゆく。







中掘が分かれる
小学校を越えると水路に水門が現れる。水門手前に取水口らしきものが見えるが、これは「中掘」への分流点であろう。
◎中掘;稲城第一小学校の東で「大堀」から分流し、「切方掘」の北を併走し、稲城第七小学校の南で「切方掘」に合流する。





柳田掘合流点
「中掘」合流点から開渠を辿り、水路がクランク状に曲がる地点で「柳田掘」が合わさる。水路沿いに道はなく、クランク状「大掘」の流れに注ぐ水流が見えるが、そこが合流点のように思える。
◎柳田掘;「久保掘」分流点の北、南武線の踏切を渡った先で「新堀」から分流し、南東に向かい南武線を越え、川崎街道・東長沼陸橋交差点を経て稲城第一小学校北を下り「大堀(清水川)」に合流する

都道19号を越える
柳田掘の合流点から先、水路は地中に姿を消し、都道19号・鶴川街道に向かって進む。途中、「下新田掘」、「大和掘」が「大掘」に合わさるようだが、合流する水路も本流も地中に潜るため、合流点は確認できない。都道19号に接近した水路は開渠となって進む。

◎下新田掘;「新掘」が稲城大橋から南下する都道9号バイパスとクロスした先で分流し、南東に下り、「柳田掘」と「大堀」との合流点の少し東で「大掘」に合流する、とのこと。 ◎大和掘;「新掘」が「菅掘」に合流する少し手前で「新堀」から分流し、南東に下り、「下新田掘」と「大堀」との合流点の少し東で「大掘」に合流する、とのこと。


豊堀が合流
都道19号を越えた水路は開渠で先に進む。基本、水路に沿って道があるのだが、しばらくすると宅地から耕地となり「この先行き止まり」といった案内。なんとかなるか、と先に進むと、笹薮に前を遮られ先に進むのが難しそうになる。
が、その笹薮の先には水路が見えている。「豊堀」であろうから、なんとか合流点を確認しようと、文字通り竹藪漕ぎ。結構丈夫な竹を折り敷き、なんとか藪を抜け「豊堀」の水路に。
細い水路を跨ぎ、「豊堀」が「大堀」に注ぐ箇所の写真を撮り、さてこれから先はどうしようと、少々悩む。再び反発力の大きい竹を折り敷き元の道に戻るか、「豊堀」の左手の畑を抜けて道にでるか、H鋼で補強された「大堀」のコンクリート護岸壁の上を進むかの三択。結局先に進めるかどうかの保証はないのだが、H鋼で補強された「大堀」に沿って進むことにした。幸運に成り行きで進むとっ水路は道路に辺り、道に復帰できた。

◎豊掘;南武線・矢野口駅の西、都道9号から南下し、すぐ南を流れる「大堀」に合流する短い水路


川崎市立菅中学校の敷地を潜る
水路は川崎市立菅中学校の校庭に開渠で進む。校庭を抜けると開渠なるが、再び学校の東を敷地に沿って暗渠となって進み、学校敷地南端で左に折れ学校の敷地に沿って進み、中ほどで流路を南に変え開渠となる。






京王線の高架を潜る
開渠となった水路は都市型の水路となり民家の間を南に下る。水路に沿って進むことはできないが、時に水路に延びる道があれば中に入り込み水路を確認しながら先に進むと前方に京王相模原線の高架が見えてくる。










三沢川に注ぐ
京王線を越えた水路は民家の間を南へ進む。水路に沿って進むことはできないため、水路に沿った道を進むが、水路を渡る小橋があると橋まで進み水路を確認。先に水門施設が見えてくる。成り行きで進み成り行きで右に折れると水門脇に出る。
「大堀」はここで三沢川に注ぎ、「大堀」散歩はここで終了。後は三沢川に沿って成り行きで京王線・稲田堤駅に向かい、一路家路へと。

長かった大丸用水散歩もこれで一応終了。これでやっと本来メモする予定であった「二ヶ領用水散歩」に移ることができるようになった。

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