南多摩 大丸用水散歩 そのⅢの①;大丸用水の幹線水路のひとつ、「菅掘」から分かれる「新堀」・「中野島用水」を辿る

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1回目の大丸用水散歩では、南武線・南多摩駅北の取水口(頭首工)から「菅堀」を京王線・稲田堤の南まで下った。水路を辿りながら、その水路からの分流、また水路への合流夥しく、結果メモの序として大丸用水の概要をまとめることになったのだが、それはそれとして、今回から二回に分けて「菅掘」から分流する主な用水路を辿ることにする。 今回は「菅掘」の準幹線用水路である「新掘」と「中野島用水」散歩を基本に据え、途中、出来る限り枝線、と言うか二次幹線水路もカバーしようと思う。「菅掘」の準幹線用水路にはもうひとる「押立用水」があるのだが、段取り上、この用水散歩は直に廻すことにして、再び最寄の駅である南武線・南多摩駅に向かう。



本日のルート;
Ⅰ(吉田新田堀)>分流点付近>菅掘を水路橋で越える>押立用水堀の分流点に接近>宅地の中で水路が拡がる>再び田圃の中に>大丸自治会館近くで「菅掘」に合流。

Ⅱ (末新田堀)>分流点>押立用水堀と立体交差>菅掘に沿って下る>大丸自治会館付近で流路を直角に変える>雁追橋跡で「菅掘」に注ぐ

Ⅲ (新堀)>分流点>「宿堀」合流・「玉川前小堀」が「新堀」を渡る>南武線の下を潜る>新堀緑道>久保堀分流点>柳田堀が分流>石橋供養塔>都道9号バイパス先で「下新田堀」が分流>「大和堀」が分流>「新堀」が「菅堀」に合流

Ⅳ (中野島用水堀)>;喧嘩口>都道9号バイバスを渡ると自然護岸に>向田堀が合流>川間掘が合流>本田堀が合流>「中堀」が合流>「中野島堀」から支流が分かれる>南武線の高架手前で暗渠に>南武線・矢野口駅の南を暗渠で進む>白山神社脇に「中野島用水堀」の支流が現れる>馬頭観世音塔>多摩川堤に沿って東流する>京王線の高架下を進む>稲田公園を暗渠で進む>菅堀が合流する>三沢川に注ぐ。



Ⅰ 吉田新田堀を辿る

「菅堀」散歩で最初に気になった水路は、分量樋から「菅堀」を下るとすぐに出合ったささやかな水路橋。これは「吉田新田堀」が「菅堀」を立体交差する箇所であった。で、今回の散歩の最初は、「吉田新田堀」。まずは用水分流点を確認すべく、南武線・南多摩駅に下りる。
◎吉田新田掘
吉田新田掘;大丸堰で取水され分量樋で「菅掘」と「大堀」に分流されるまでを「うち掘」と称されるが、吉田新田掘はこの「うち掘」か、南多摩駅の西を多摩川に下る「谷戸川(駅付近は暗渠)からの分流用水。流路は「菅掘」の北を東流し、ほどなく「菅掘」をちいさな水路橋で渡り、「菅掘」の南を平行に流れ、大丸自治会館辺りで「菅掘」に合流する。

分流点付近
駅を降り、南多摩駅近くで「菅掘」と立体交差した「吉田新田掘」の始点に向かう。上に挙げたように、始点は大丸堰で取水した多摩川の水が、南多摩駅北の「分量樋」で分かれる迄の用水路を指す「うち掘」からとも、南多摩駅の東を多摩川に向かって下る「谷戸川」とも言う。
なにか水路の痕跡をと駅の北を辿るも、駅前は先回の散歩でもメモした「JR南武線立体交差事業(高架切替え)」の工事なのか、谷戸川も地下に潜り、「いちょう並木」の北で姿を現す。結局始点は確認できなかった。
で、なにか分流点付近に痕跡がないかと「いちょう並木」を進むと、斜めに入る道があり、そこに格子の水路フタがあり、その先を折れるとささやかではあるが水路が現れた。「吉田新田掘」の水路である。

菅掘を水路橋で越える
「いちょう並木」を南に越え、ここにも姿を現すささやかな水路を辿ると、「菅掘」に沿った北側の道に出る。水路は少し「菅掘」に沿って進み、先回の「菅掘」散歩で出合った水路橋で「菅掘」を越える。







押立用水堀の分流点に接近
「菅掘」を南に越えた「吉田新田掘」は、宅地開発された地域を下水溝といった風情で進むが、「押立用水堀」が「菅掘」から分流する辺りまで接近すると、水路は一転して田圃の中へと進む。今でも田圃を潤す用水として機能しているのだろう。







宅地の中で水路が拡がる
田圃の畦道を誠にささやかな水路に沿って進むと、再び宅地開発された地域となり人工護岸工事された流れに戻る。水路幅も広くなり、水量も増えている。宅地の雨水なども集められているのだろうか。






再び田圃の中に
とはいうものの、広くなった水路も知らずささやかな溝といったものとなり、車道とクロスする辺りでは水も知らず消え去る。車道を渡ると水路は大きく北に流れを変え田圃の中を進む。田圃の畦道を水路に沿って進む。







大丸自治会館近くで「菅掘」に合流
田圃の畦道を進むと大丸自治会館手前の公園に。公園には石碑があり、南多摩処理場建設に伴う環境整備事業として、大丸自治会館や多目的公園、大丸親水公園の整備が進められた、といったことが刻まれていた。
それはともあれ、公園に達した水路は地下に潜り、先回の散歩でメモしたように、公園東の「めがね橋」の脇から「菅掘」に合流する。また、一部は大丸自治会館南の立派な掘から「菅掘」に合流する。


Ⅱ 末新田堀を辿る

これで「吉田新田掘」散歩を終える。この直ぐ先に「新掘」が分流するのだが、ついでのことなので、「押立用水」が「菅掘」から分かれる少し上流で「菅掘」から分かれ、この大丸自治会館あたりへと接近する「末新田掘」を始点から終点までカバーしようと、ちょっと道を巻き戻す。
◎末新田掘
南武線・南多摩駅辺りから「いちょう並木」の南を東流した「菅掘」が流路を南東に変える辺りで分流し、しばし「いちょう並木」に沿って東流した後、大丸自治会館に向かって南東に流路を変え、大丸自治会館脇で東に向かい「菅掘」に合流する。

分流点
「末新田掘」は「菅掘」から分流する最初の用水である。分量樋で「大堀」と分かれ、東流する「菅堀」が南東へと流れを変える辺りで分流し、そのまま東流する。分流点付近は民家の間を細い溝で抜ける。







押立用水堀と立体交差
水を保った溝の風情で「いちょう並木」の南を東流する水路は南に流れを変え、民家の間を下り、「押立用水堀」をコンクリートの箱樋で渡る。








菅掘に沿って下る
「押立用水堀」を越えた水路は「菅掘」に接近。このあたりからは地中に潜り姿は見えないが、流れは「菅掘」の東を大丸自治会館手前の公園、丁度「吉田新田掘」が「菅掘」に合流する地点まで下る。







大丸自治会館付近で流路を直角に変える
大丸自治会館手前の公園、「吉田新田掘」が「菅掘」に合流する「めがね橋」のあたりで、流路を直角に変え、「めがね橋」から東に向かう道の下を東に向かう。







雁追橋跡で「菅掘」に注ぐ
東流した「末新田掘」は雁追橋跡辺りで「菅掘」に注ぐ。雁追橋跡の碑がある「菅掘」の対面に水管が見えるが、それが「末新田掘」の終点だろうか。

これで「末新田掘」散歩は終了。雁追橋まで戻り、今度は準幹線水路である「新掘」散歩へと向かう。「新掘」は自分勝手に準幹線と位置づけたように、分流・合流がいくつも続くことになる。






Ⅲ 新堀を辿る
■新堀;準一次幹線水路 稲城市大丸地区自治会館の少し下流で「菅掘」から分流し、南東に進み南武線を越え、南武線・稲城長沼駅の南を進む。駅の少し東で流路を北東に向け、南武線を越えた都道9号バイパスを越えた辺りで東流し、「菅掘」に合流する。なお、Wikipediaでは、「菅掘」との合流点で、「菅掘」は終え、そこから先を「新堀」としている。

分流点
大丸自治会館を少し南に下り、「菅堀」が弧を描いて曲がる辺りで、水路は大きく二つに分かれる。左に進むのが「菅堀」、右に分かれ南東へと下るのが「新堀」である。





「宿堀」合流・「玉川前小堀」が「新堀」を渡る
公園脇の美しい水路を進むと東西に通る車道に出る。車道手前に溝が見えるが、その溝は「宿堀」が「新堀」に注ぐ地点とのこと。また、その溝脇を白いパイプが「新堀」を渡るが、そのパイプは「玉川前小堀」と言う。




◎宿掘;「菅掘」と別れた「大堀」が都道9号の南に越えてほどなく「大堀」から分流し、東流し南武線を越え、「菅掘」から分流した「新堀」と南武線の北で合流する。

◎玉川前小掘:「宿掘」が「新掘」と合流する地点で、「宿掘」の水をパイプで「新堀」を渡し、東に流れ、南武線・稲城長沼駅の北東で「菅掘」に合流する。

南武線の下を潜る
「宿堀」合流・「玉川前小堀」が「新堀」を渡る車道を越え先に進むと、前方に南武線の高架が見えてくる。道なりに進むと高架工事以前の線路跡だろうか、いまだ線路が残り先に進むのを阻まれる。




新堀緑道
鉄路に阻まれた地点から「宿堀」が「新堀」に合流し「玉川前小堀」が「新堀」を渡る車道まで戻り東へと道を進む。地下には「玉川前小堀」が通っているのだろう。南武線・稲城長沼駅の西側の道を駅に向かって折れ、南武線を越えるとすぐに「新堀」が開渠となって姿を現す。少々レトロな雰囲気の店の裏手を進むと、結構美しい水路となるが、それも束の間、駅前再開発なのか宅地開発なのか、真っ最中の工事にために水路はわからなくなってしまう。



久保堀分流点
駅前の工事現場を越え、高架となった南武線を再び北に渡る手前で「新堀」から「久保堀」が分かれるとのことだが、高架工事の影響か、宅地開発の影響か、そもそもの「新堀」の 水路がさっぱりと消えさっており、結果として「久保堀」の分流点も確認できなかった。 ◎久保掘;南武線・稲城長沼駅南の踏切辺りで「新掘」から分流し、南下し大堀(清水川)に合流する




柳田堀が分流
これで「新堀」もわからなくなるか、などと南武線を北に越えると、すぐ右手に水路が改修されていない自然な流れとなって東に流れる。この水路は「柳田堀」である。水も結構勢いよく流れている。ということは、「柳田堀」を分けた「新堀」も稲城長沼駅前の工事現場の地中を流れてきたのだろうか。
◎柳田掘;「久保掘」分流点の北、南武線の踏切を渡った先で「新堀」から分流し、南東に向かい南武線を越え、川崎街道・東長沼陸橋交差点を経て稲城第一小学校北を下り「大堀(清水川)」に合流する。

石橋供養塔
「柳田堀」を越え、如何にも地下を水路が走る、といった風情の道を進むと、道脇に石塔群。「青沼大明神」などの石仏群に中央には「石橋供養塔」が建つ。水路筋であることを確認。







都道9号バイパス先で「下新田堀」が分流
その先も如何にも水路を覆うといったコンクリートの蓋を目安に先に進むと稲城大橋から下る都道9号バイパスに当たる。バイパスを渡った辺りから「下新田堀」が南に分かれるとのことだが、バイパスを渡ったところからコンクリートの水路蓋といったものが南に続いていたのが「下新田堀」だろうか。
◎下新田掘;「新掘」が稲城大橋から南下する都道9号バイパスとクロスした先で分流し、南東に下り、柳田掘と大堀との合流点の少し東で大掘に合流する。


「大和堀」が分流
バイパスを越え開渠となった水路はほどなく、細い水路で右手に分かれる。どうもその細流が「大和堀」のようである。気を付けて歩かなければ、見落としそうな水路ではあった。 ◎大和掘;「新掘」が「菅掘」に合流する少し手前で「新堀」から分流し、南東に下り、「下新田掘」と「大堀」との合流点の少し東で「大掘」に合流する。





「新堀」が「菅堀」に合流
「大和堀」との分流から、右手に梨畑、その向こうに南武線の高架を見遣りながら、道を東に少し進んだ箇所で「新堀」は「菅堀」に合流する。はじめての大丸用水散歩で知らず「菅堀」を辿ったとき、あまりに勢いよく水が吐き出るため思わず写真を撮った箇所でもあった。
◎落掘
なお、「新堀」はここで「菅堀」に落ちるが、「新堀」の一部はそのまま道を進み、北に大きく弧を描く「菅堀」が、再び南武線に当たる箇所で「菅堀」に当たる、とのことだが、高架工事に伴うものか、すべて暗渠で、落口は不明である。


Ⅳ 中野島用水堀を辿る

「菅堀」散歩で出合った分流点・合流点を辿って「新堀」が「菅堀」に注ぐ地点まで下った。一次幹線水路である「菅堀」から分流する、準一次幹線水路としては、この「菅堀」の他「押立用水掘」と「中野島用水掘」がある。まだ時間もあるので、どちらかを辿ろうと思うのだが、「押立用水掘」はほとんど南武線・南多摩駅近くまで戻らなければならない。 一方、「中野島用水掘」は少し道を戻り、都道9号バイバスを北に進めば分流点の「喧嘩口」がある。ということで、本日の残り時間は「中野島用水掘」を下ることにする。
□中野島用水掘
都道9号手前の「喧嘩口」で「菅掘」から分流し東流。南武線・矢野口駅手前で南武線を南に越え、駅の少し東で流れを北東に変え、再び南武線を北に越え多摩川堤方向に進む。多摩川堤の菅少年野球場辺りで南東に流れを変えるも、京王相模原線手前で再び北東に向かい、京王相模原線を越えた柳田公園辺りで南東へと流れを変え「菅堀」を合わせ、南武線まで下り、そこから南武線に沿って少し進み三沢川に合流する。
現在は、水路はこの三沢川で断ち切られるが、この三沢川は昭和18年(1493))に暴れ川である旧三沢川(旧三沢川は新たに開削された川筋を越え、丘陵に沿って下り、南武線・中野島駅の南西にある川崎市立中野島中学辺りで「二ヶ領用水」に合流する)の改修に際し、新たに開削された川筋であり、国土地理院の「今昔マップ首都 1896-1909」をチェックすると「中野島用水掘」の水路は先に進み、「二ヶ領用水」を越え、昔の「稲田村」辺りまで続いている。

喧嘩口
都道9号バイバスまで戻り、喧嘩口に。「菅堀」はここで二つに分かれ、右手は「菅堀」の本流、左手は「中堀」となるが、喧嘩口の分流点脇から「中野島用水掘」は「中堀」から北に分かれる。
◎中掘;稲城大橋からの都道9号バイパス手前の喧嘩口で「菅掘」から分流し、暗渠で東に進み稲城第四小学校の少し東で「中野島用水掘」に合流する。合流点の先からは「中野島用水掘」の支流が東に進む。




都道9号バイバスを渡ると自然護岸に
都道9号バイバスの地下を走る下り線の上を、コンクリートの箱樋で渡ると水路は自然護岸の流れとなって現れる。水路に沿って道はないので、水路北を東に通る車道を歩きながらポイントで脇道に入り水路を確認することになる。






向田堀が合流
都道9号バイバスを越えてほどなく、北から水路が合わさる。「押立用水掘」から分かれた「向田堀」である。
◎向田掘;多摩川堤手前を進む「押立用水掘」が、多摩川堤の稲城北緑地公園を越えた辺りで分流し、南東に下り、都道9号バイパスを越えた先で「中野島用水掘」に合流する。





川間掘が合流
向田堀が合流する少し東でこれも「押立用水掘」から分かれた「川間掘」が合流する。 ◎川間掘;「向田掘」が分流するすこし先で「押立用水掘」から分流し、「向田掘」にほぼ平行に南東に下り、都道9号バイパスを越え、「向田掘」が「中野島用水掘」に注ぐ少し東で「中野島用水掘」に合流する





本田堀が合流
しばらく道を進み稲城第四小学校脇で「本田堀」は「中野島用水堀」に注ぐ。
◎本田掘;「川間掘」の分流点を東に進んだ「押立用水掘」が都道9号バイパス手前で梨花幼稚園方向へ直角に流を変える辺りで分流し、そのまま東に進み都道9号バイパスを越え、南東へ下り稲城第四小学校手前で「中野島用水掘」に合流する。




「中堀」が合流
稲城第四小学校南の開渠を進んだ「中野島用水堀」は、小学校の少し東で「中堀」が合流する。といっても、小さな橋の下の水管がその合流点のようにみえる。







「中野島堀」から支流が分かれる
「中堀」が「中野島用水堀」に注ぐすぐ先で「中野島用水堀」から支流と言うか枝流が左手に分かれる、という。が、それらしき分流点が見つからない。辺りは宅地開発され、道路なども新しく整備された「ピッカピカ」の町並みになっている。「中野島用水堀」周辺も整備されており、緑地手前に小さな取水口が見えるが、それが「中野島用水堀」からの支流の始点だろうか。昔の写真では結構大きな分水樋といった風情ではあるが、今はその面影は残っていなかった。



南武線の高架手前で暗渠に
誠に「美しく」整備された水路に沿って先に進むと南武線の高架にあたり、開渠はそこで切れる








南武線・矢野口駅の南を暗渠で進む
南武線を南に越えた水路は駅の南を暗渠で進み、先回の「菅堀」散歩で出合った、南武線・矢野口駅の南、都道9号に面した交番裏、「菅堀」が一瞬開渠となる辺りにある石仏群のところから南東に折れる道を少し先に進んだ辺りに進んでくる。駅前を進んできた水路はこの道で北に折れ、すぐ先で開渠となって姿を現す。






○弁天通り
ところで、この道は「弁天道」と呼ばれる。都道9号の南には「弁天通り商店街」もある。何故「弁天通り」?チェックすると、京王読よみうりランド駅西の道を丘陵に向かって少し上った先に「威光寺」があり、そこに弁天様を祀る弁天窟がある。この弁天窟への参拝道ということが「弁天通り」の由来である。
いつだったか、この弁天窟を訪れたことがある。その時のメモ;この洞窟、もとは横穴墓。明治に入って石仏を祀るために拡張したもの。中にはいると、二匹大蛇の彫り物や、23体の石仏が祀ってある。十五童子の石仏は、もとは穴澤天神の弁天社に安置されていたものという。
洞窟内は明かりな ど、なにもなし。拝観料300円を払って、蝋燭と蝋燭立てのセットを渡され明かりをとる。洞窟は全長65メートル・広さ660平方メートル。横浜市栄区の「田谷の洞窟」には規模で少々劣るものの、それでも関東屈指の胎内巡りの洞窟ではありましょう。
なお、先回の「菅掘」散歩の「地蔵菩薩」でメモしたように、この弁天通りは、「矢野口の渡船場」に続く渡船場道への道でもあり、川崎街道が交差するこの場所は、古くから交通の要所として栄えた。この場所から東は川崎、西は八王子、南は大山、北は多摩川を渡り江戸方面へと続いていた。
●矢野口の渡船場
矢野口の渡船場、「矢野口の渡し」は大正7年に矢野口と上石原共同で、現在の多摩川原橋の上流400mのところに新設された。それまでは「上菅の渡し」があったようだが、大正初年、矢野口村は「上菅の渡し」から撤退したとのことである(「散策こみち案内 みんなで歩こう二ヶ領用水(製作;NPO法人多摩川エコミュージアム)」)。

白山神社脇に「中野島用水堀」の支流が現れる
道を北に進むと左手にささやかな社。白山神社であるが、その裏手に水路が見える。この水路は先ほど、「中堀」合流点辺りで「中野島用水掘」から分かれた支流・枝流である。 この水路を少し巻き戻るに、矢野口駅東から北に上る道辺りで暗渠となり、その先の分流点まで戻ったがすべて暗渠となっていた。






馬頭観世音塔
白山神社を離れ、ゆるやかなカーブを多摩川方面へと向かうと三叉路があり、そこに幾多の石塔が立ち並んでいた。最も大きな石塔には像が刻まれる。馬頭観世音塔である。 脇にある案内によると、「地蔵菩薩とならんで庶民の信仰を集めたのが観世音菩薩であるが、江戸時代後半期から明治・大正にかけて各地に馬頭観世音の石塔が造立されるようになったのは、農村において馬の果たす役割がたいへん増大したことと深い関係があると思われる。
この馬頭観世音塔は、多摩川のもとの渡船場近くにあり、文化十三年(1816)に造立され、市内に現存する最古のものである。「馬頭観世音」と文字だけを彫るのが一般的であるから、この石塔のように馬頭観世音を浮彫にしたのは数少ない貴重な作例である。
台石には願主谷埜口邑(矢野口村)をはじめ造塔に協力した相当に広範囲な十九の村名が記されている。この渡船場の重要性をよく示しているといえよう(稲城市教育委員会)」。

多摩川堤に沿って東流する
三差路を右に折れた水路は開渠で多摩川堤下の民家の間を東に進む。水路に沿って遊歩道も整備されている。









京王線の高架下を進む
しばらく東流した水路は流路を南東に変える。流路を変えた先からは遊歩道の趣は消え、H鋼で補強した水路が続くことになる。京王線の高架手前までは水路に沿って道を進むことができる。







稲田公園を暗渠で進む
京王線を越えた水路は多摩川堤に接近し、そこから流路を南東へと変え稲田公園へと向かう。開渠であった水路は公園内を暗渠で進む。







菅堀が合流する
公園を抜けると再び開渠となり、H鋼で補強された都市型水路として南に下り、ほどなく右手から「菅堀」が合流する。これより下流を「菅堀」と称する記述と、下流を「中野島堀」と称する記述がある。







三沢川に注ぐ
「菅堀」が合わさった「中野島堀」は南東へと下り、南武線に沿って東に向きを変え、三沢川に注ぐ。


既に何度かメモしたように、この三沢川は、昭和18年(1493)に暴れ川である旧三沢川(旧三沢川は新たに開削された川筋を越え、丘陵に沿って下り、南武線・中野島駅の南西にある川崎市立中野島中学辺りで「二ヶ領用水」に合流する)の改修に際し、新たに開削された川筋であり、国土地理院の「今昔マップ首都 1896-1909」をチェックすると「中野島用水」の水路は先に進み、「二ヶ領用水」を越え、昔の「稲田村」辺りまで続いているのだが、今回の散歩はここでお終いとし、京王線・稲田堤駅まで戻り、一路家路へと。

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