六郷用水散歩 Ⅳ;北堀を辿る

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六郷用水散歩も最終回。今回は北堀ルートを巡ろうと思う。仕上げは馬込にある大田区の郷土美術館。六郷用水の資料もあるだろう。実際に歩いた道筋を思い浮かべながら六郷用水のまとめでもしてみよう、と思う。で、北堀ルートへのアプローチはどこから、と地図を眺める。東急・池上線に御嶽山(おんたけさん)駅が。名前に惹かれ、御嶽山からスタートすることにした。(日曜日, 1月 22, 2006のブログを修正)




本日のルート;
東急池上線・御岳駅>御岳神社>中原街道・環八交差>桜坂>さくら坂信号>田園調布高校>蜜蔵院>大田区図書館>台地を歩き観蔵院の裏・女塚>白山神社前交差点>白山神社>分岐地点>東急池上線・千鳥町駅>第二京浜と交差>本門寺前>養源寺橋>浄国寺橋>環七交差・春日橋>南馬込・大田区郷土博物館

東急池上線・御嶽山駅
東急池上線・御嶽山駅に。山があるわけではない。駅近くに御嶽神社がある。木曽の御嶽山ならぬ、嶺の御嶽山(おんたけさん)と呼ばれる。峰(嶺)村の代官・ 伊那半十郎忠治が17世紀中頃、木曽の御嶽山の神さまを分祀したのがはじまり、とか。伊那半十郎忠治、って確か玉川上水の指揮官では?関東郡代として何代も続く名前だけに、当の本人かどうか判別は難しいが時代から言えば、同じ人のよう。で、御嶽神社、木曽の御嶽で修行を積んだ修験者・一山が1831年に現在の本殿をつくる。江戸時代には山岳信仰がさかんとなり、富士や木曽の御岳などへの集団登山が流行った。
境内には御嶽塚跡が。散歩の折々、例えば狭山湖畔などで見かけた富士塚の御嶽バージョン、か。実際に山にお参りできない人のために、人造で塚というか山をつくり、その塚に登れば本物の木曽御岳にのぼったと同じご利益がある、ということで神社は大変な賑わいだったよう。

桜坂
御嶽神社を離れ、次はどこへ、と少々考える。そういえば、この近くにあの桜坂、福山雅治の『桜坂』で一躍脚光を浴びた坂がある。その坂は旧中原街道にあり、沼部の大坂と呼ばれていた、はず。であれば、中原街道から沼部の駅方面に下る坂であろう、とあたりをつけ進むことに。
環 八を交差。中原街道方面に向って環八から一筋中の道を、なりゆきで進む。左方向をチェックしながら、昔ながら、っぽい道筋を探す。左手の道筋はどれも下り坂。どれも皆桜坂に思える。ゆるゆる進む。中原街道と環八の交差する田園調布警察前交差点から南西にまっすぐ進み、沼部の駅に下る道筋がある。現在の中原街道は丸子橋方面へと西方向へ進んでいるが、昔は橋があったわけでもなし、この道が旧中原街道であろう、と左折。
いかにも、といった桜並木が見えてきた。桜の季節ならまだしも、今は真冬、何があるわけでもない。切り通しの坂道は結構な勾配。さぞや工事は大変だったろう、と思ったのだが、この切り通しができたのは大正12年。道路拡張の際に、切り通しを掘り進めた、と。中原街道最大の難所・沼部の大坂の急勾配もゆるやかになった。
桜坂と名づけられたのは昭和5年。御大典を記念して地元民が桜の苗50本を植えたのが始まり。御大典とは天皇の即位儀礼の3点セット;「践祚(せんそ);前天皇のなくなった後直ちに即位すること」、「即位式;国の内外に宣言すること」、「大嘗祭(だいじょうさい);新米を神と共食すること」のうち、即位式と大嘗祭をセットにした国家的大イベント。

旧中原街道

坂の中ほどに赤い橋。切り通しの両端をつないでいる。昭和38年につくられた「桜橋」。橋から桜、というよりも沼部方面に下る坂の勾配をゆっくり眺める。旧中原街道の案内があった;「中原街道は、江戸から相州の平塚中原に通じる道で、中原往還、相州街道とも呼ばれた。また中原産の食酢を江戸に運ぶ運送路として利用されたため、御酢街道とも呼ばれた。すでに近世以来存在し、徳川家康が江戸に入国した際に利用され、その後、部分改修されて造成された街道である。江戸初期には参勤交代の道としても利用されたが、公用交通のための東海道が整備されると、脇往還として江戸への物資の流通や将軍の鷹狩などにもしばしば利用された。 また、平塚からは東海道よりも近道だったため、急ぎの旅人には近道として好まれたという。中原街道の旧道の様子を残しているのは、区内ではこの付近だけである(大田区教育委員会)」

新幹線と交差
で、桜坂を離れはてさて次はどちらへ、と少々悩む。真っ直ぐ下れば先回歩いた六郷用水・東光寺脇。同じ道筋を歩くのも芸がない。それ以上に今回はできるだけ台地上を歩き、地形のうねりを少々感じるべし、ということで桜橋を左に折れ、住宅街に入る。道なりに進み稲荷坂から新幹線を跨ぐ橋を渡る。散歩と全然関係ないことだが、新幹線はもっともっと南を通っていると思った。また、多摩川を渡ると不自然なほど南にカーブしている。何でだろう?時間ができたら、その理由でもチェックしてみよう。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)


白山神社

散歩に戻る。田園調布高校脇を通り、坂道を下りきらないように進む。西嶺町の台地をゆっくりと下り、先回訪ねた観蔵院の裏手・女堀跡に出る。女堀跡からは水路跡を離れ、再び台地に向って少々登り、少々アップダウンを感じながら道なりに進み環八に出る。道の向こうに白山神社。御嶽神社から始めたわけで、白山を素通りするのもなんだかな、ということでおまいり。至極あっさりした神社。白山神社とはいうものの、もともとは女体権現社と呼ばれていた、とか。女体権現、ってまた大胆な名前、とは思ったが、よくよく考えれば、日光には男体山もあるわけだし、逆もあり、とは思う。
日光といえば、日光山縁起にこんな話が。都の殿上人・ 有宇中将が下野に下り土地の長者の娘・朝日の君と恋におちる。しばらくの月日がたち、都に残した母が心配で単身都に向う。途中で病死。朝日の君も後を追い旅に出てなくなる。閻魔大王が二人を蘇生させ、子をもうける。男児・馬頭御前。有宇中将は日光の男体権現、朝日の君は女体権現となる、と。山岳信仰の拠点日光でもあり、男体山には男体権現、女峰山には女体権現が宿ったとか。女体が何ゆえ白山となったのか定かではない。が、白山にしたことろで、山岳信仰のメッカであるわけで、山岳信仰繋がりゆえの、ってことにしておこう。少々立ち止まりすぎた。先を急ぐ。

北堀・南堀の分岐点

白山神社前の環八脇に立ち光明寺方面を眺める。ゆったりと下る環八に沿って南北引分と呼ばれた北堀・南堀の分岐点(千鳥3-8-2)まで歩く。藤森稲荷交差点から東に進む。北堀は環七まで池上通りとほぼ並行に進むことになる。昔、池上道とか平間(川崎中原区平間)街道とか相州鎌倉道とか呼ばれた古の東海道の道筋だ。

東急池上線・千鳥町駅

千鳥町駅を越えてすぐ遊歩道。いかにも水路跡の道筋。東急池上線の千鳥町駅の少し北で線路と交差。少し進むと遊歩道が始まる。千鳥いこい公園脇を進み千鳥1丁目あたりで第二京浜と交差。第二京浜を過ぎ、池上署の脇より遊歩道が続く。池上3丁目あたりだった ろうか、遊歩道はなくなる。が、水路跡らしき道筋、ところどころ六郷物語のマンホール、っぽい案内もある。

川・養源寺橋
本門寺前を越えたあたりで遊歩道はなくなる。呑川の養源寺橋近くに。六郷用水物語の案内が;「六郷用水北堀は南北引き分けから東進してくると呑川に突き当たります。そこで呑川を横断させ、新井宿(現在の中央一帯)方面に流すため、「八寸」という堰が設けられました。この堰で分流された流れは、北上して旧池上道の山下橋(現存しない)をくぐり、養源寺橋の上流で呑川に一旦合流しました。。。」。案内図にしばしば登場する用水のランドマーク浄国寺橋脇を通り、池上通りに沿って東進。一筋北に走るのは古の平間街道、というか池上道だろうか。なんとなく昔の街道跡といった雰囲気が感じられる。

環七と交差
水 路跡の道は普通の道路となる。水路跡は判然としないが、ところどころに六郷物語のマークがあるのでなんとなく安心。春日橋交差点で環七と交差。道を渡り交差点脇から続く、いかにも水路跡の雰囲気の道を進む。が東海道線に当たる。地図で見る限り、線路を渡った地点から南に水路跡のような道筋がある。水路は京急・大森海岸近く、岩井神社(鈴森八幡)あたりで東京湾に流れ込んだとか。もちろん支流・分流はいくらでもあるわけで、あくまでも幹線ルート、ということではある。が、北堀散歩はここまでとする。日も暮れ始めた。一路大田区郷土博物館に。

大田区郷土博物館

環七・春日橋交差点から北に向う。環七の一筋西の道を上る。結構複雑な地形をしている。臼田坂を登る。このあたり、谷地の環七部分を台地で囲んでいる、といった地形。次の機会は地形図をもって、台地と谷を上り下りしてみようと思う。
で、郷土博物館。予想通り3階に六郷用水の資料・情報が。床一面に張り込まれた地図一面に水路跡が書き込まれている。詳しい水路情報を書き込んだコピー、六郷用水ポイントガイドなど資料も結構そろっていた。これって歩いた後だからよかった気がする。歩く前であれば少々情報量が多すぎてハンドルするのが大変だったかもしれない。やはり今後も今まで通りのスタイル、とりあえず進み、あれこれ気になったことは後から調べる、というスタイルで散歩を楽しむ、べし。

散歩を終わって感じたことだが、大田区って結構おもしい地形であった。多摩川沿いの下町低地といったイメージしかなかったのだが、凸凹、地形のうねりを十分に感じられるところであった。台地部と低地部のアップダウンが楽しかった。日が暮れて十分意歩けなかったが馬込のあたりも面白そうな地形だ。大田区の台地部は多摩川に沿った国分寺崖線、山王から池上への南北崖線、久が原台地、荏原台地などがある。これらの崖線部は台地と谷筋が複雑に入り組み地形のうねりが実感できる面白い地形。当然のこととして坂も多く、大田全体で名前のついた坂だけでも50以上ある、とか。そのうちに、何か別の切り口で大田区散歩を楽し みたい。

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