六郷用水散歩 Ⅰ;丸子川を下る

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丸子川;先回の散歩で谷戸川を下り、丸子川に合流した。丸子川は次太夫堀とも六郷用水とも呼ばれる。徳川家康江戸入府早々、六郷領・35カ村というから、今の大田区の低地域の新田開発・米の増産を計画。が、当時の六郷領の水利は千束の池水溜と池上西谷水溜池に頼るだけ、という状況。ために、土木技術のエキスパート小泉次太夫を登用し用水を開削。これを六郷用水と言う。
いつだったか散歩の折、六郷用水の取水口に行ったことがある。 狛江市和泉。狛江から六郷というから東京湾まで続いている。これは行くしかないでしょう、というとこで、丸子川を下り、六郷用水を歩くことにした。とはいうものの、いまさら用水があるわけでもないし、用水「跡」を巡る・探す散歩となるのだろう。(火曜日, 1月 17, 2006のブログを修正)



本日のルート;東急田園都市線・二子玉川下車>法徳寺>上野毛自然公園>第三京浜交差>稲荷坂>覚厳寺>善養寺>六所神社>谷沢川と交差>等々力渓谷>等々力不動>八幡神社、照善寺>多摩川台公園>東急東横線交差>浅間神社>東急東横線・多摩川駅

東急田園都市線・二子玉川駅
東急田園都市線・二子玉川下車。線路に沿って少し西に戻り丸子川に。崖線下、心地よい川筋の道。坂道が魅力的。ちょっと登ってみよう、と進む。なりゆきで法徳寺に。浄土宗のお寺。由緒書に「境内にある筆塚の碑は、明治初期、寺子屋の師、大塚貞三郎のために近在の瀬田、用賀、岡本などの門弟一同がたてた記念碑である」、と。大塚貞三郎は幕末、このお寺に寺子屋・芝光塾をつくり、近辺の農村子女教育につとめる。門弟は300人を数えたという。

上野毛自然公園と稲荷坂
坂を下り、歩を進める。川筋の家々にmy bridge。雰囲気がいかにもいい。東急大井町線と交差。少し進むと野趣豊かな公園、そして急峻な坂道。上野毛自然公園と稲荷坂。いつも通る環八の風景のどのあたりだろう、と、公園に入る。国分寺崖線の斜面林を生かした自然公園。鉄製の階段を台地上に。百本近い桜。世田谷百景のひとつ、とか。
覚厳寺。真言宗智山派、京都東山の総本山智積院の末寺。おまいりを住ませ環八に出る。上野毛駅前だった。ということは、稲荷坂は上野毛通り。ちなみに、「野毛」って、崖地を意味するということをどこかで読んだことがある。ともあれ、急な坂道の途中に稲荷神社。お参り。ふたたび川筋に戻る。

第三京浜と交差
第三京浜と交差。川筋と台地の標高差20m程度だろうか。魅力的な崖。少し進むと善養寺。真言宗智山派・総本山智積院の末寺。境内にカヤの大木。都の天然記念物。寺の近くに住んでいた娘が多摩川で川遊び。沢蟹の親子が「今夜,川が氾濫し、流されてしまします。高台に逃がしてください」、と。逃がしてあげる。 その夜、多摩川が氾濫。翌日沢蟹の親子がお礼にカヤの実をもってきた。娘はその実を善養寺の境内に植える。それがこのカヤの大木になった、とか。
善養寺の北隣に六所神社。このあたりの総鎮守。境内に水神様。多摩川の安全と豊漁の神様。
川筋に戻り進む。玉堤通りと交差。しばらく進むと谷沢川と交差。等々力渓谷からの水が多摩川に流れ込む川筋だ。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

谷沢川・等々力渓谷

先日等々力渓谷を散歩した。が、改めて渓谷を逆方向から歩いてみよう、ということで丸子川を離れ谷沢川・等々力渓谷に寄り道。不動の滝に。滝もさることながら、滝の両脇の崖面からの湧き出る水も魅力的。これほど勢いよく崖の岩の切れ目から湧き出る水はまことに「いい」。「とどろき」の名前の由来は、滝の音の「とどろき」から。
脇の坂を登り等々力不動尊にお参り。正面の石段の向こうに雑木林。石段を下りる。雑木林の中を進み弁天堂明王台に。弁天様をおまつりしている。その先に等々力児童遊園。右手は崖。等々力渓谷崖上を歩く。見晴らしはそれほど良くないが、渓谷を上から眺めることができた。歩きながら、改めて等々力渓谷の成り立ちについて整理しようと思った。
等々力渓谷;現在、谷沢川は用賀付近を源流点として等々力渓谷を経て多摩川に流れ込む。しかし、一説によれば、往古、谷沢川は九品仏川の上流域であり、尾山台、自由が丘、緑ヶ丘を経て呑川に合流していた、と。根拠のひとつは、谷沢川が形成してきた谷底低地。等々力渓谷で流路を急激に南に切り込んでも、谷沢川が形成したと思われる谷底低地は東に広がり、九品仏川が形成した谷底低地にスムーズにつながっている。では何故谷沢川の川筋が変わったか、ということだが、それは河川争奪によるとの説がある。河川争奪とは、ある川が別の川の流れを取り込んでしまう、ということ。このケースで言えば、元々は等々力渓谷の湧水点を源流としていた谷沢川が、谷頭侵
蝕により次第に源流点を北に延ばす。用賀付近を源流点として流れる九品仏川の流路に到達。九品仏川の水が谷沢川に切り替わる。以降、切り離された先が九品仏川と呼ばれる。流れだけでなく、名前も取り上げたってことか。

多摩川台公園
丸子川に戻り歩を進める。多摩川と逆方向に湾曲する川筋に沿って、武蔵工業大学の前を進み、尾山台1丁目を過ぎ田園調布1丁目に入る。川沿いに八幡神社、照善寺。ちょっとおまいりし、先に進む。
丸子川が多摩川に接近。左手に台地が迫る。多摩堤通と合流地点で川筋を離れ台地に登る。多摩川台公園。多摩川台古墳群と呼ばれる多数の古墳が尾根道に続いている。1号から8号までは円墳。古墳展示室の南にある亀甲山古墳は前方後円墳。全長100m。5世紀後半につくられたよう。規模から見て、国造(クニノミヤツコ)クラスの墳墓と言われている。
多摩川と台地に挟まれた多摩堤通りの脇を水路は進む。第三京浜入口近くの野毛大塚古墳。等々力渓谷の御岳山古墳。そしてこの多摩川台古墳群。直ぐ近くに蓬莱山古墳もある、という。

多摩堤通り
台地からの多摩川の眺めは素晴らしい。台地から眺めると多摩川が直ぐ下に見える。丸子川が多摩川に流れ込んだのであろうか。少々不安になる。事前に地図を見たときは、確かにこのあたりで流路が消えていた。合流点を探さねば、と台地を下る。丸子川はあった。多摩川と台地に挟まれた多摩堤通りの脇を水路が続く。 水路跡と多摩川の水位差は5mくらいだろう。狛江あたりから水を取り込まなければ六郷の村々に水を通すことができない、ということは十分納得。六郷用水プロジェクトの最初の2年間は測量期間。夜に提灯の明かりで高さを測りながら測量を進めた、とか。

浅間神社
東急東横線と交差するあたりで暗渠となる。線路の高架下を過ぎると左手に神社。浅間神社。今から800年前の創建、と伝えられる。房総より馬を進め、北区王子の滝野川・松崎に上 陸した源頼朝を追ってこの地にやってきた妻政子。足の痛みのためこの地に逗留し傷の治療。徒然に、台地の亀甲山古墳に出向き富士を臨み、富士吉田の浅間神社に向かい頼朝の武運長久を祈る。富士吉田の浅間神社は政子の守り本尊。その際身につけていた「正観世音増」をこの地に建てる。地元の人々はこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び尊崇。これが多摩川浅間神社の由来、とか。
境内の見晴台からの多摩川の眺めはまことに素晴らしい。神社の台地を下り正面入口に戻る。川筋はここまで。はてさて、流れはどちらに?とはいうものの、日が暮れてきた。これ以降は次回の散歩といたしましょう、ということで東急多摩川線に沿って歩き、東急東横線の多摩川駅に歩き、本日の散歩は終了。

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