甲州街道を歩く そのⅣ:笹子峠越え

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笹子峠越え
1月の三連休の初日、思い立って笹子峠を越える事にした。折から北日本を中心に寒波襲来。雪が心配。誰に頼まれた訳でもないのだがら、酔狂に雪の中を歩くこともないのだが、何処と行って散歩するコースも思い浮かばなかったこともあり、家を出る。甲州道中の最大の難所という笹子峠、はたしていかなるものか。



本日のルート;JR笹子駅>追分>甲州道中への分岐>笹子峠自然遊歩道>矢立の杉>笹子隧道>笹子峠>甲州街道峠道分岐>清水橋>天狗橋>駒飼宿>中央高速と交差>JR甲斐大和駅

JR笹子駅
京王線で高尾駅。そこでJR中央線に乗り換えて笹子駅に。杉並の家を出てからおよそ2時間。家を出たのが午前10時過ぎであり、雪の残る駅舎を出たのは12時半前になっていた。本日のコースはほぼ15キロ強。標準時間は5時間半程度と言われる。日暮れが怖いので、ちょっと急がなければならない。
駅前 に甲州街道・国道20号線が走る。側道には雪が残り、滑ったり、足が埋まったり、と結構大変。道なりに進み、黒野田橋で笹子川を渡る。笹子川は笹子峠あたりに源流点をもち、大月あたりで桂川に合流する相模川水系の川。橋を渡ると普明禅院。門前に「黒野田の一里塚」の碑。塚はない。境内には芭蕉の句碑;「行くたびに いどころ変わる かたつむり」。

追分
道はゆるやかではあるが次第にコンスタントな上りとなる。再び笹子川を渡り、「笹子鉱泉」といった看板を眺めながら先に進むと追分の集落。昔はこの追分から小田原・沼津道に出る往還があった、とか。ウィキペディアによれば、追分のもともとの意味は、「牛を追い、分ける」から。そこから派生し街道の分岐点として使われるようになった、と。
道は次第次第に上りとなる。地形も山が両サイドから狭まり、谷戸の奥といった景観となってくる。笹子川の上流である黒野川の流れに導かれるその先が峠へのアプローチ地点となるにだろう。

甲州道中への分岐
狩屋野川が黒野川に合流するあたりで甲州街道は右に大きくカーブする。甲州道中はここで甲州街道・国道20号線と分かれ県道212号日影笹子線となる。ここまで笹子駅から2キロ強。時間は午後1時近くになっていた。
分岐点には「矢立の杉」の幟。ここから4キロ程度といった案内がある。笹子峠への案内もあるのだが、道がふた筋あり、ちょっとわかりにくい。後から分かったのだが、どちらで進んでも、少し上の新田集落で合流する。
車道をどんどん進む。道に雪が残り、スピードがあがらない。計画では標準コースの倍くらいのスピードで、2時間かかるコースを1時間で上る予定。今回は見逃したのだが、甲州道中は集落のあるあたりから分岐し進むようだ。

笹子峠自然遊歩道

新田沢を渡り、道は大きく曲がる。ほどなく笹子峠自然遊歩道の案内。甲州道中はここで車道から離れ、山道に入る。遊歩道には雪が積もっており、はてさて、どうしたものかと少々悩む。が、結局雪道を進むことに。思ったほどは積雪が増えない。一安心。足元
を気にしながら沢にかかる木の橋渡り、山道を進むと、 ちょっと開けた場所に出る。三軒茶屋跡。明治天皇が山梨行幸の折り、休憩をとったところでもある。明治13年のことである。

矢立の杉
雪の中を進む。道は勾配がつくにつれ、雪はそれほど気にならなくなる。しばし歩くと「矢立の杉」。結構大きい。樹高約28m、根回り14.8m、目通幹囲9m、とか。その昔、武田の武士がこの杉に矢を射立てて富士浅間神社を祀ったのが名前の由来。北斎や二代広重も描いているようで、街道で名高い杉であった、よう。
矢立の杉を離れ、道を上ると車道に合流。合流点あたりに、周囲の景観とそぐわない原色の派手な看板。俳優・杉良太郎プロデユースのお芝居の看板。「矢立の杉」という曲もつくっている、とか。街道の至る所に「矢立の杉」の幟がたっており、その趣旨がいまひとつ理解できなかったのだが、ひょっとすればその種明かしは杉良太郎さんにあるの、かも。

笹子隧道
車道を進むとほどなく前方にトンネルが見えてくる。古い趣のある構えである。このトンネルは笹子隧道。脇にあった案内をメモ:四方を山々に囲まれた山梨にとって昔から重要な交通ルートであった甲州街道。その甲州街道にあって一番の難所といわれたのが笹子峠。この難所に開削された笹子隧道は、昭和11年から工事をはじめ昭和13年3月に完成。抗門の左右にある洋風建築的な二本並びの柱形装飾が大変特徴的。昭和33年、新笹子トンネルが開通するまでこの隧道は、山梨から東京への幹線道路として甲州街道の交通を支えていた。南大菩薩嶺を越える大月市笹子町追分(旧笹子村)より大和村日影(旧日影村)までの笹子峠越えは、距離10数キロメートル、幅員が狭くつづら折りカーブも大変多い難所であった。この隧道は,平成11年、登録有形文化財に指定さた。

笹子峠

笹子峠はこの笹子隧道の上であろう。どうせのことなら、峠を越えようと上りの道を探す。隧道右脇に峠への案内。雪が積もっており少々不安。が、とりあえず進む。それほど深くはない。ジグザグの急な登りを数分歩くと峠に到着。時間は2時20分頃。甲州街道の分岐点からおよそ1時間ちょっとで上ってきた。標準時間の半分程度。日暮れは未だ遠い。ちょっと安心。
峠は両側が切り立ち、切通しのようになっている。標高1、096m。比高差600m弱を上ってきたようだ、峠は山梨県大月市と甲府市の境となっており、甲斐大和駅までは駅2時間30分、右へ上ると1時間10分で雁ヶ腹摺山。左へ上ると1時間30分でカヤノキビラノ頭に至る。
峠では猟銃をもった人に会う。この人は、峠道への車道を歩いていたとき、車で追い越して行った方。話をすると、車で追い越しながら、この時間から雁ヶ腹摺山へでも上るのかと心配してくれていた、そう。甲斐大和へ進むと話すと、安心してくれた。こんな雪の日に、山に上るでもなく、ひたすら峠道を歩くなど、いやはや物好きでありますなあ、といった風であった。




さてと峠を下ることに。少し急げば甲斐大和駅までは1時間程度で歩けそう。日暮れの心配もなく大いに安心。とはいうものの、甲斐大和側は雪が深い。道はまったくわからない。右手は崖になっており、滑り落ちないように慎重に下る。足元は雪に埋もれ、こわごわ下る。先に車道が見えるので、なんとなく当たりをつけて下ってゆく。大月側と比べて積雪が多いのは、こちら側が日陰なのか、風の通り道から外れてい るのか、はてさて。ほどなく車道に。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)



甲州街道峠道分岐
甲斐大和駅に向けて道を下りはじめる。ほどなくガードレールの切れたところに、甲州街道峠道の案内。甲州道中はここで県道から離れる。どういった積雪状態か、ちょっと足を踏み入れる。とてものこと、進めそうにない。諦めて県道を進むことにして、元に戻る。後からチェックしたのだが、この峠道は途中で沢を渡ったりするようで、先に進まなかったのは賢明であった、かも。

清水橋

車道を進む。沢との距離がどんどん離れてくる。ガードレールから見る崖下は結構深い。曲がりくねった道を進む。しばらく下り案内板のあるところで先ほどの峠道が合流。この合流点は清水橋と呼ばれる。この合流点まで、相当距離があった。峠道を辿ったりしたら、果たしてどうなったものやら。。。
道脇にあった案内板をメモ;徳川幕府は慶長から元和年間にかけて甲州街道(江戸日本橋から信州諏訪まで約五十五里)を開通させる。笹子峠はほぼその中間で江戸から約27里(約百粁)の笹子宿と駒飼宿を結ぶ標高壱1、056米、上下三里の難所であった。峠には諏訪神社分社と天神社が祀られていて広場には常時、馬が二十頭程繋がれていた。峠を下ると清水橋までに馬頭観世音、甘酒茶屋、雑事場、自害沢、天明水等があった、と。

天狗橋
清水橋から国道まではまだ4キロほどもある。先を急ぐ。大きなカーブを二回曲がり、道の右側にある桃の木茶屋跡という標柱などを見やりながら道を進む。しばらく進み大持沢橋を渡った辺り、道の左に工場が現れる。
道の右側が大きく開けてくると、遠くに山稜が見えてくる。位置からいえば大菩薩からの峯筋でななかろう、か。山の麓には中央高速も現れる。山腹には「武田家最後の地 大和」といった看板も見える。手前には集落も。駒飼宿であろう。
大きなカーブを曲がり、坂をどんどん下ると集落の入口あたりに天狗橋。橋の手前に津島大明神の小さな祠。橋を渡ると右側から小径が合流するが、これが甲州道中。どうも桃の木茶屋のあたりから笹子沢川を渡り、その右岸を下ってくるようである。橋を渡ると駒飼宿となる。

駒飼宿
駒飼宿に入る。ここは、織田軍に敗れた武田勝頼が、韮崎の新府城を脱出し、助けを求めて岩殿山の小山田信茂を待ったところ。結局は信茂の裏切りにより、笹子峠を越えることなく、天目山に落ち延び、その地で自刃した。
ところで天目山って何処だ?どうも山ではないようだ。しいていえば峠の名前。甲州市大和町田野にある。場所はJR甲斐大和駅方面から甲州街道を東に進み、笹子峠を貫通する新笹子峠の手前を日川に沿って大菩薩方面へ北東に進んだところにある。もともとは木賊(とくさ)山と呼ばれていたが、峠近くにつくられた棲雲寺の山号が天目山と称されたので、峠も天目山と呼ばれるようになった、とか。
先ほど山腹の看板でみた、武田最後の地というのはこのことである。
駒飼宿入り口右側には、真新しく小さな芭蕉句碑;「秣負ふ 人を枝折の 夏野かな」。馬の秣(まぐさ)採りに山に入った人が、夏草で道に迷のを避けるため枝折(しおり)をつけている、といったこと。



中央高速と交差
集落を進むと脇本陣跡の標識や本陣跡、本陣跡の敷地内に明治天皇小休所などが現れる。道なりにどんどん下ってい
くと中央高速と交差。巨大な橋桁の下を進み笹子沢川に架かる橋を渡る。昔の甲州道中は集落の中にある養真寺あたりから県道と別れ、笹子沢川を越え、川の西を下り、この橋のところに下る。笹子沢川の川幅が大きくなる前に、上部で沢を渡るようにしていたのだろう。土木建築技術をもとに、自然をねじ伏せ、力任せに川を渡る現在の道筋とは違って、自然とうまくつきあった昔の道筋ではある。

JR甲斐大和駅


道を進み「大和橋西詰」で甲州街道に合流。西詰を東に折れる。ほどなく笹子沢川と日川の合流点。この川はやがて笛吹川に合流し、更に富士川となって駿河湾に注ぐ。甲州街道を東に戻り、甲斐大和駅に。駅の近くにある諏訪神社で電車の時間待ちなどをしながら本日の予定終了。午後4時過ぎとなっていた。

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