奥多摩・小川谷山行 そのⅡ:棒杭尾根・三ツドッケ・カロー川谷・中段歩道行

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先回の奥多摩・小川谷遡行から日もあけず、2週間後に再び小川谷に。今回は日原の手前、倉沢谷を上り棒杭尾根に取り付く。尾根道を辿り長沢背稜に上り、縦走路を三ツドッケ(天目山)へと西行し、ハンギョウ尾根をカロー谷へと下降。その後はカロー谷を右下に見ながら、ヨコスズ尾根の中腹を巻く水源巡視路中段歩道を日原へと戻る、といったもの。先回の山行での小川谷筋の酉谷、コツ谷の渓相や流域を取りまく自然林に少々魅せられた。奥多摩山行のお師匠さんであるSTさん、友人のSさんとともに、紅葉の小川谷を楽しむことにする。<



本日のルート:07:05立川>(青梅線)>08:35奥多摩>08:55倉沢BS>09:00 〃 発>(0:50)>09:50魚留橋>10:00 〃発(休憩10分)>(0:25)>10:15棒杭尾根取付>10:25  〃発(休憩10分)>(1:40+休憩10分)>12:05長沢背稜縦走路>12:40〃発(休憩35分)>(0:40)>13:20三ツドッケ山頂>13:35 〃発(休憩15分)>(0:15)>13:50板形尾根分岐>(0:40)>14:20中段歩道交差点>14:25 〃 発(休憩5分)>(0:20)>14:45十字路>14:55 〃 発(休憩10分)>(0:10)>15:05カロー川谷小屋跡>15:20 〃発(休憩15分)>(1:20+休憩15分)>16:55森林館ゲート>(0:05)>17:00東日原BS登路03:25>帰路02:40>休憩01:55>【全歩程時間 6時間05分】>【全行程時間 8時間00分】

倉沢;9時_標高509m
立川に7時集合。青梅線の奥多摩駅でバスに乗り換え、倉沢に向かう。奥多摩を出て20分ほど、日原トンネル手前の倉沢バス停で下車。倉沢谷が日原川に合わさるところである。谷は深く切れ込む。谷に架かる倉沢橋は橋下の高さが61m。東京都内にある1200強の橋のうちで一番高い橋、と言う。
午前9時、倉沢谷に沿って林道を歩き始める。渓流の相がなかなか、いい。来夏に沢上りなど楽しむべしと、右手の谷への降り口を探すが、道らしき道は見つからない。降り口はないものかと注意しながら先に進む。宮下橋、八幡橋、鳴瀬橋と進むに連れ、渓流釣りに下る踏み分け道などもあり、また次第に林道と倉沢谷が接近し、谷に下るもの容易になってくる。誠に美しい渓相である。それほど難しい沢でもないので、沢遡上はお勧め、とSTさん。

倉沢鍾乳洞;9時48分_標高678m
鳴瀬橋を過ぎると谷の右手に切り立った大きな石灰岩の露頭岩壁が見えてくる。岩の中には倉沢鍾乳洞がある。倉沢の「倉」って、切り立った岩壁、もっと大雑把に言えば、倉=岩、とも言う。この壮大な露頭岩壁が倉沢の地名の由来だろうか。
倉沢鍾乳洞はその昔、霊場として知られ、江戸の頃には日原鍾乳洞とともに上野寛永寺支配の倉沢大権現として多くの信者を集めたところである。この倉沢鍾乳洞は観光洞として公開されていた時期もあったとのことだが、現在は閉鎖されている。
いつだったかヨコスズ尾根を上り、仙元峠に辿ったことがある。そのとき、ヨコスズ尾根の滝入りの峰を少し進んだところに倉沢への分岐点があった。秩父や北関東から日原の霊地を目指す人々は、その道を下り倉沢や日原の鍾乳洞を訪れたのだろう。また、倉沢への分岐点を少し進んだあたりの尾根道に堂々としたブナが聳えていた。両替場のブナと呼ばれたブナである。往古、日原の鍾乳洞の一石大権現、倉沢鍾乳洞の倉沢山大権現への信仰篤き頃、秩父や北関東からの参詣者への両替の便宜をはかったところ、と言う。大権現たる鍾乳洞では、先達の松明に導かれ、参詣者は唱名念仏をとなえお賽銭の小銭を撒きながら洞内を進んだ、と。ここはその小銭の両替場。旅に小銭は荷物となるので、金銀の粒をこの場で両替していたわけだ。

魚留橋;9時50分_標高696m
林道下に倉沢鍾乳洞への橋の跡。入渓ポイントとしてはよさげであるなあ、などと来夏のことを想いながら先に進む。倉沢のバス停からおおよそ50分。高度を200mほどあげて、林道の車止めとなる魚留橋に到着した。
魚留橋のすぐ先、石灰岩のゴルジュには滝が見える。魚留滝と言う。なるほど、この滝を魚が上れるとは思えない。魚留とは言い得て妙である。倉沢谷は魚留滝の上でふたつに別れ、左俣は塩地谷、右俣は長尾谷となる。塩地谷は三ッドッケ山麓に端を発し、ヨコスズ尾根と棒杭尾根を別ける。一方、長尾谷は蕎麦粒山麓に源頭部をもち、棒杭尾根と鳥屋戸尾根を別ける。

棒杭尾根取付;10時15分_標高786m
魚留橋を渡り倉沢谷右俣・長尾谷の谷筋に移る。魚留滝を高巻き・迂回するように山道を進む。谷の紅葉が美しい。左に別れる塩地谷方面を見やり、地蔵橋を渡り長尾谷筋に入る。
長尾谷を10分ほど歩き林道が切れるあたりが棒杭尾根取付となる。棒杭とは切り株とか杭のこと。少々艶あるフレーズである「焼け木杭(ぼっくい)に火が付く」の木杭(ぼっくい)は棒杭が変化したもの、と言う。

棒杭尾根
林道が無くなり踏み跡を辿るように植林帯に入る。しばらくジグザグに高度を上げていき尾根筋に。取付部の標高800m地から1200m地点あたりまでの1時間近くは結構急な上りであったが、1200mを越えた辺りから尾根にもフラットなところが時に現れ、塩地谷方面に自然林が現れてくる。どのあたりだったか地点確認はしていないのだが、巡視路の道標があった。塩地谷への水源巡視路が続くのだろう。
高度を上げるに連れ自然林は増え、尾根道にも大きいブナが並ぶ。梢越しに塩地谷方面も遠望が開け、谷を隔てたヨコスズ尾根の美しい紅葉が目に入る。
この尾根ルートは仙元峠に近く、秩父へのアクセスの最短ルートである。倉沢鍾乳洞が信仰の霊地として栄えた頃、修験者や信者は、滝入りの峰からの倉沢への分岐道と同じく、この棒杭尾根を辿ったとのこと。そう思えば自然に歴史が重なり、それなりに昔の人達の気分となり、時空散歩が楽しめる。

長沢背稜縦走路;12時5分_標高1410m
取付から上り始めおおよそ2時間、標高を600m上げて長沢背稜縦走路に上りつめる。奥多摩ではこういった尾根の上端部を「頭」と呼ぶようだ。上り切った棒杭の頭に指導標があり、「蕎麦麦山・日向沢の峰<>一杯水・酉谷山」とある。棒杭尾根への案内は正式にはないようで、標柱に誰かが手書きで「棒杭尾根」と書いていた。あまりポピュラーなハイキングコースではないのだろうが、これでは普通のハイカーにはわからない。実際、指導標のあたりで休憩していると、ハイカーが棒杭尾根への下降点を我々に聞いてきた。

三ッドッケ;13時20分_標高1576m
30分ほど休憩をとり、12時40分頃、腰を上げ三ッドッケに向かって縦走路を進む。15分程度のところで一杯水・一杯水避難小屋との分岐を別け、ひとつ目のドッケ(突起)のピークを過ぎ、上り返した二つ目のドッケのピークが三ッドッケ山頂(標高1576m) である。棒杭の頭からおおよそ40分で到着した。
山頂は大きく開け眺めがいい。南に向かえば、雲取山から石尾根へと流れる山容の向こうにはうっすら富士山が見える。その左手は丹沢方面の山だろう。北は奥武蔵の山稜が見える。東に向かえば、長沢背稜の稜線の先には蕎麦粒山、そしてその手前の高まりが仙元峠が見える。初めて仙元峠を越えて秩父の浦山に下ったときは、なんたる奥地を歩いたものよ、などと少々の高揚感を感じてはいたのだが、二度に渡って仙元峠の近くを彷徨うに至っては、「奥地」は既に「日常」と変わっていた。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」) 

山頂で休憩しながら山頂北の斜面を見ると、ラベルがついた樹木(カラマツだった、か?)の切り株がある。ピークからの見晴らしを良くするため樹木を切り倒し、国有林の無断伐採の罪で裁判沙汰になった人がいるようで、ラベルはその証拠写真を撮った名残である、とSTさん。
三ッドッケのドッケであるが、これにはとは「突起」とか「尖る」といった意味がある。朝鮮古語との説もある。このあたりには芋ノ木ドッケとか黒ドッケ(クロトッケン、とも)など「ドッケ」の付く山も多い。ちょっと離れるが、昨年上った山梨の三つ峠も、もともとは「三ッドッケ」から、との説もある。また、この三ツドッケは天目山とも呼ばれる。中国浙江省の禅宗の名刹のある山を天目山と呼ぶが、この三ツドッケはいくつかの峰をもっており、そのアナロジー故に天目山と呼ばれるようになったのだろう、か。それとも、単に天目茶碗を伏せた形に似ていたためだろうか、はたまた、日原や倉沢鍾乳洞といった霊地を囲む一帯故に名付けられた仏跡地名であろうか。はてさて。 (
天目山と言えば、同じ長沢背稜上の酉谷山も天目山とも呼ばれる。と言うか、秩父の山岳連盟より、山名は天目山に統一すべし、との申し入れがあった、と新聞にある。江戸の頃は天目山と呼ばれており、酉谷山と呼ばれたのは戦後のことである、というのがその論拠。名称統一の議論は別として、新聞記事の中に、天目山(注;酉谷山のこと)を起点に東側に延びる尾根を天目尾根と呼んでいた、と。酉谷山も三ツドッケも天目山と呼ばれるのは、こういった事情も影響していたの、だろうか。

ハンギョウの頭_標高1,543m;13時53分
少し休憩をとった後、ハンギョウ尾根に向かう。緩やかに少し下り、三ツドッケの突起なのか、峰を少し上り直した後、再び緩やかに上りかえし15分ほどでハンギョウの頭に。標高1548mといったところ。ハンギョウ尾根の下降点は指導標あたりから、尾根を下る水源巡視路がある、とSTさん。植林の樹木の中を尾根道の端に進むと、尾根を巻いた水源巡視路が下に続いている。何故道案内が無いのか、との問いに、水源巡視路は作業用のものであり、ハイカーのためのものではないから、とSTさん。納得。ちなみに、「ハンギョウ」は「板形」と書く。

ハンギョウ尾根
よく整備された巡視路を下る。ほどなく作業用モノレールと交差。モノレールはハンギョウの頭付近から小川谷林道あたりまで続いている。先に下ると整備された巡視路は消える。ひたすら下る、のみ。先日下った喜右ヱ門尾根の下りほどは急な斜面ではないのだが、一面の落ち葉で足元が覚束ない。
下るにつれて紅葉が美しい樹林となる。道はあるような、ないようなものであり、先導に続く、のみ。途中尾根上近くで乗り越えたモノレールに再び接近。しばらくモノレールに沿って下る。20分程度で高度を260mほど下げ、14時17分、標高1,280 地点で尾根筋から離れ山腹をトラバース気味に東に進む。後でわかったのだが、水源巡視路中段歩道と見誤ったようだ(と、思うのだが)。途中で気付き、軌道修正し、30分かけて高度を230mほど下げ、本来の水源巡視路中段歩道の十字路についた。14時43分。標高1043m。

十字路を北に向かえばカロー大滝、南に下れば小川林道・カロー橋。西に向かえば滝上谷・犬麦谷、我々は東へ向かいカロー谷を越えて日原へと向かう。十字路の辺りだったと思うのだが、辺りは水道局の参考林となっている。ブナの大木も多く、もちろんカエデや、ミズナラやいろんな木が 、ある。木の名前は未だによくわからない。数年前会社の仲間とブナの原生林・白神山地を辿ったことがある。山を彷徨い、二日目になって、「ところで、ブナ、ってどれだ?」などと尋ねるレベルではあるので、先は長い。


カロー谷川小屋跡;15時19分_標高952m
10分ほど休憩をとり、十字路から東にトラバース気味にカロー谷に下る。10分ほどで高度を100mほど下げるとカロー谷に到着。木橋を渡りカロー谷川小屋跡に。標高952m,3時19分。渓相は誠に美しい。沢上りもお勧め、とSTさん。小川林道賀廊橋辺りから入渓できる、とか。沢に沿って作業道がこのカロー谷川小屋跡まで続いているので、難所はエスケープもできそう。来年の夏が楽しみである。




水源巡視路中段歩道
日原に向かって水源巡視路中段歩道に入る。少し進むと、カロー谷沿いに賀廊橋へと向かう道と分かれ高度を上げていく。イメージとしてはカロー谷川小屋跡からはヨコスズ尾根の山腹を日原に向かってひたすら下る道なのだろう、と思っていたのだが、どうもそうではないようだ。カロー谷との高度差をどんどん広げてゆく。
急斜面に付けられた道は結構危なっかしい箇所もある。これでも整備し直している、とSTさん。桟道なども新たに取り付けられている、と。シオジの自然林、そして進むにつれて見事な紅葉が現れてくる。紅葉見物だけであれば、この中段歩道だけでも十分とも思える。
高度は標高1117m あたりでピークとなる。時刻は16時。丁度滝入りの峰の下あたりである。16時12分頃には、日原鍾乳洞の裏手あたりまで進んだ。
日がだいぶ暮れてきた。少々急ぎ足となる。ピークから10分ほど割合平坦な道を進んだ後、標高1045m辺りからは急な坂を下ってゆく。植林帯の中、ただでさえ暗い道が日暮れで足元も見えにくくなってきた。日没は4時40分頃。それまでには日原へと下りたいと、いよいよ足を速め、巨樹の森を通り抜け、午後6時少し前、日原の森林館前に。標高617mであるから、400mほどを40分ほどで下ったことになる。カロー谷川小屋跡からは1時間20分ほどであった。東日原のバス停に着く頃は、日はとっぷり暮れていた。

先回と今回、2回にわたって小川谷水系の尾根、そしてその尾根を別ける谷や沢を辿った。そこは水源巡視路の走る東京都の水源林であった。その範囲は、東京都の西部、奥多摩町から、山梨県塩山市・小菅村・丹波山村にまたがり、東西約31km、南北約20km、面積は22,000ha(ヘクタール)に及ぶ広大なものである(全体の60%が山梨県に属する)。水源林で涵養された水は多摩川水系の幾多の川を流れ小河内ダムに注ぐ。
1957年(昭和32年)竣工の小河内ダムは水道専用貯水池。ここに一旦貯められた水は多摩川を下り、小作取水堰や羽村取水堰で取水され、山口貯水池・村山貯水池を経由して東村山浄水場で都民の飲料水となる。現在では都民の水源の主流は利根川水系にその地位を譲ったが、今なお渇水期の都民の水瓶として依然と重要な役割を果たしている。 水源林の広がる奥多摩のこの地域一帯は、江戸の頃は大半が徳川幕府の領地であった。幕府直轄の「お止め山」も各所にあった、とか。「お止め山」は御巣鷹山、とも呼ばれ、一般人の入山を禁じて鷹を保護し、その鷹の雛を巣引いて鷹狩り用の鷹を育てることを目的とした幕府の直轄林である(『奥多摩風土記;大館勇吉(有峰書店新社)』)。この美しい森から流れ出る豊かな水は、玉川上水によって江戸の人々の喉を潤した。承応3年(1654)に完成した玉川上水は、羽村堰で多摩川の水を取水し、延々と43キロ近く江戸の町まで運ばれた。
幕府が倒れ明治の御代になると、幕領であった奥多摩の森は皇室の御料地となる。森林政策の乱れもあったのか、厳しく規制され、美しかった「お止め山」は過度の伐採や開墾、焼畑が行われ荒廃し、降雨のたびに水源である多摩川や玉川上水の水が濁るようになる。どこかで荒廃した奥多摩の山の写真を見たことがあるのだが、それはそれは、まっことの禿げ山状態であった。
ために、1901年(明治34年)、東京市の飲料水・東京府の農業用水の安全を確保すべく、東京府が御料林を宮内省から譲り受け、多摩川上流域の森林を「水道水源林」として経営管理するようになった。また、1910年(明治43年)には、当時の東京市長の尾崎行雄氏の判断により、東京市に水源林の管理が移る。その後、東京都政の開始にともない、東京都の水道局が管理し現在に至る。当たり前のことではあるが、「自然」にも「歴史」がある、ということ、か。

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