箱根用水散歩;深良水門から湖尻峠を越えて岩波へ

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箱根の外輪山を穿ち、芦ノ湖の水を裾野市、昔の駿河国駿東郡深良村へと流す用水がある。という。箱根用水がそれ。地名故に深良用水とも称される。江戸の昔、乏水台地である富士の裾野の地を潤すために造られた。芦ノ湖を囲む外輪山を1キロ以上に渡って、トンネルを堀り抜き、芦ノ湖の豊かな水を通すという、希有壮大な事業である。
工期4年、80万人もの人が携わったと言われるこの稀代の事業、その割には工事に関わる資料がほとんど残っていない。深良村の名主である大庭源之丞と江戸の商人・友野輿(与)衛門が中心となって工事を推進した、と伝わるが、その友野輿衛門などにしても、工事終了後の消息は不明である。たまたま古本屋で見つけた『箱根用水;タカクラテル』によればゆえ無き罪により獄死したと言うし、人によっては横領故に罪に問われた、とも言う。
そう言えばこの箱根用水に限らず、箱根湯本から荻窪川に早川の水を通す荻窪用水についても詳しい資料が残っていない。工事の主導者が町人(町人請負)であり、その実績・成果はお武家さまとっては心穏やかならず、ということで、稀代の事跡を故意に記録に残さなかったのだろう、か。
幕閣、小田原藩、天領沼津の代官などの民業に対する思惑はさておき、箱根周辺の用水を辿ることにする。最初は箱根用水・深良用水。その後、機会をみつけて、箱根湯本の用水、その後は足柄地方・山北の用水を歩こうと思う。



本日のコース;桃源台>湖尻水門>芦ノ湖西岸>深良水門>湖尻峠>県道337号線>箱根用水・深良口>東京発電・深良川第一発電所>東京発電・深良川第三発電所>御殿場線・岩波駅

桃源台
箱根湯本から桃源台行きバスで45分、桃源台バス停に着く。大涌谷へと上るロープウェイ乗り場を離れ成り行きで進む。ほどなく芦ノ湖キャンプ村。コテージなどを見やりながら木立の中を進み芦ノ湖畔に。芦ノ湖は太古の昔、富士山をも凌駕する巨大な火山が爆発し、その火砕流により山が崩壊・堰止められて造られたカルデラ湖。いくつかの沢からの水が湖に流れ込むとはいうものの、水源の大部分は湖底からの湧水とされる。

湖尻水門
芦ノ湖を水源とする早川の流れがはじまるところに湖尻水門。芦ノ湖の水は水門で遮られ緊急時以外には、早川へ流れ込むことはほとんどない。これは大いに水利権と関係がある、と言う。現在芦ノ湖の水利権は静岡県にある。その昔、芦ノ湖を所有していた箱根権現を巻き込み、多年の年月と労力をかけてつくった箱根用水・深良用水の「実績」故のことだろう。箱根用水が流れるのは静岡側であり、箱根用水ができた時、この早川口には甲羅伏せといった土嚢の積み上げで堰を造り、早川側・神奈川側に水が流れないようにしていた、と言う。こういった歴史の重みが静岡県への水利権となっているのだろう、か。
水利権は静岡県にある、とはいうものの、この水利権を巡る問題は一筋縄ではいかないようだ。当然のことながら、「必要な水は使えない,(洪水時などの)不要な水は入ってくる」といった神奈川県に不満が大きかった、よう。
明治の頃、神奈川の住民が湖尻水門(逆川水門)の甲羅伏せを破壊する、といった事件も起きている。「逆川事件」と呼ばれるこの事件の裁判で、逆に「水利権は静岡にあり」と定まってしまった、とも。江戸の頃は、箱根も静岡の深良も共に小田原藩の領地であったわけで、こんな問題が起きるなどと、誰も想像しなかったのではなかろうか。ちなみに、早川はこの水門から仙石原あたりまでは逆川と呼ばれていた。仙石原でほとんど「逆さ」方向へと流路を変えることが、その名の由来と言われる。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

芦ノ湖西岸
湖尻水門を渡ると広場がある。芦ノ湖が一望のもと。ゆったりと景色を楽しむ。開けた道を進むとほどなく木々に覆われた道となる。所々に切り出した木材が置かれていたので、木材搬出用の林道だろう。『箱根用水;タカクラテル』によれば、箱根用水・深良用水をつくるとき、工事用に道を開いたと、あった。
ハコネダケなどの茂る道を進む。竹の回廊が終わり、国有林の看板があるあたりを過ぎると道は湖水に近づく。対岸は観光開発で道も整備されているが、芦ノ湖の西岸は自然が残されている。雑木林が途切れるところからの湖水を眺めながら、のんびりゆったり先に進むと湖尻峠や三国山への分岐点。後ほどここから湖尻峠へと上ることにはなるが、とりあえず先に進み、ほどなく林道を離れ深良水門に。湖尻水門から1.3キロ、20分程度で着いた。

深良水門
フェンスに沿って水門へ進む。フェンスの向こうには水門から勢いよく流れる水路がトンネルへと続く。残念ながらトンネル入り口はよく見えなかった。水門には石造りの水門跡も残されている。本来は木造であったのだろうが、明治43年、石造り鉄扉としたものだ。
水門脇に石碑があり箱根用水の概略が案内されていた。概要をメモする;「徳川四代将軍家綱の時代,小田原藩深良村(現在の静岡県裾野市深良)の名主大庭源之丞は,芦ノ湖の水を引き旱害に苦しむ村民を救いたいと、土木事業に実績のある江戸浅草の商人友野与右衛門に工事を懇願。与右衛門は源之丞のふるさとを思う心に感動し、工事の元締めを引き受けた。計画は湖尻峠にトンネルを掘り抜き、深良村以南の30ヶ村に湖水を引く、というもの。箱根権現の絶大な支援と庇護に支えられつつ,苦労を重ね寛文6年(1666)、ようやく幕府の許可を得,その年8月トンネル工事に着手した。この難工事は驚くべき正確さで成し遂げられ、寛文10年春,3年半の歳月と7300余両の費用をかけ、当時としては未曾有の長さ1280メートル余りのトンネルが貫通した。爾来300有余年灌漑,飲水,防火用水に,また明治末期からは発電にも使用されるなどその恩恵は知れず,深良用水は地域一帯の発展の基となった。」、と。
補足;芦ノ湖の所有権は当時、箱根権現にあったため、与衛門は箱根権現別当の快長に「二百石之所」(伊豆国沢地村=年貢米90石)を永代寄進することを約束。社殿改修の資金と衆生済度を計る快長の協力を得た、ようだ。その所有権は明治20年、箱根権現から宮内省(御料局)に移った。そして所有権をもつ御料局は、その水利権を巡る静岡県と神奈川県の争いの真っただ中に立たされることになる。上に静岡有利の根拠として深良用水の「歴史の重み」とメモしたが、それにしても、国は圧倒的に静岡贔屓、となっている。これって、深良水門の水が発電に使用されたことと大いに関係があるのではなかろう、か。明治になり、深良用水の水を使い日本で初めての水利発電所がつくられている。富国強兵の基盤としての源力資源の確保が、国家としての重要施策であるとすれば、この我が「妄想」も結構いい線をいっているか、とも。
この辺りの地名は「四つ留」と呼ばれた、と。先日石見銀山をあるいたのだが、その間歩(坑道)の入口にある丸太の四本柱は四つ留」と呼ばれていた。この地の「四つ留」も深良用水の工事の時につくられた構造物故の地名だろう、か。工事といえば、この難工事に参加した人数は延べ83万人にも及んだと上でメモしたが、その根拠は工事費用を日当で割ったものである。

湖尻(うみじり)峠
水門脇でしばし休息の後、湖尻峠へと向かう。少し林道を引き返し、湖尻峠への分岐から山道へと入る。所々に石畳が敷いてある。理由がよくわからない。山道を20分ほど歩き湖尻峠に。
湖尻峠はその昔、駿河への峠道であり、駿河津峠と呼ばれた。旅人の通行は禁止されていたようだ。現在は箱根スカイライン・芦ノ湖スカイラインがクロスする。箱根スカイラインは長尾峠を経て乙女峠へと北に向かう。芦ノ湖スカイラインは湖尻・桃源台から湖尻峠をへて三国山、山伏峠、そして箱根峠へと南に下る。

県道337号線
峠から深良隧道の出口へと下る県道337号線を探す。箱根・芦ノ湖スカイラインが合流するあたりから西へと下る道がある。それが県道337号線。入り口付近に幅員制限2mの標識、そして少し先に急勾配12%の標識がある。道は急勾配、急カーブが続く。高度があるため見晴らしはいいのだが、道は広くなったり狭くなったり、そして急カーブが続く。
左から道が合流するあたり、ヘアピンカーブを越えると沢を渡るように大きく曲がる。細いカーブが続く中、左手が開けるところに石碑がある。深良の石碑である。隧道の出口に到着。

箱根用水隧道・深良口
道脇に川筋がある。箱根の外輪山を穿った深良用水の隧道は深良川の沢筋に落としたと言う。水門からの水は隧道から発電所への送水路に送られており、深良川にはあまり流れておらず、川筋へ下りていける。川筋と言っても水門付近はコンクリートの堰のようになっており、足元はしっかりしている。川におり、水門の堰を上る。斜面になった堰に上ると満々と水をたたえた水路が足元に。少々怖い。隧道の出口を見やり、元に戻る。
隧道の開削は箱根側、深良川の両方から掘り進んだようだ。堅い岩盤を除けながらの開削であり、隧道は直線ではなく蛇行しているところもある、とか。双方から掘り進んだ合流点は1mほどの段差になっている、と。どのようにルートを確認したのか知るよしもないが、すごいものだ。

東京発電・深良川第一発電所
隧道出口を離れ、後は一路岩波駅へと進む。進むにつれ、ところどころにセンターラインなども現れる。道幅も広がるか、とも思ったのだが、急な坂とヘアピンカーブが続き、道幅も相変わらず広くなったり狭くなったり。山側に針葉樹が並び、土の法面(のりめん;切土や盛土によってつくられる人工斜面)の前に鉄棚の続く道を進むと15%の勾配の標識も現れる。まだまだ山の中。信号のない十字路を過ぎ深良川を渡ると見通しがよい2車線の道路になる。コンクリートブロックの法面を進むと遙か彼方に裾野の町が見えてくる。しばらく歩くと道の右手に発電所の建屋。東京発電(株)深良川第一発電所。先ほどの隧道
出口で取水された芦ノ湖の水が水圧鉄管によって山腹に上げられ、ふたたび深良川に向かって落とされ、その落差で発電する。
先に進み道の左岸の深良川第二発電所を見やりながら歩き、深良川を渡り直すと左手に研究所が見える。キャノン富士裾野リサーチパーク。少し進むと宮沢賢治の「雨にも負けず」の碑がある総在寺。ご住職が賢治の研究家である、とか。

東京発電・深良川第三発電所
総在寺から道を隔てた蘆之湖水神社方面などを眺めながら先

に進み、深良川右岸に渡り直した辺りに東京発電(株)深良川第三発電所。東京電力グループの水力発電の専門会社である東京発電の発電所は深良川に沿って3箇所あるが、どれも水は深良用水から導水されている。第三発電所の取水堰は第二発電所の近くにあり、深良川の水を取水もするが、水量が乏しく、結局は第二発電所で放水された深良用水の水を使うことになる。取水された水は取水堰の下を潜り、緩い勾配の水圧鉄管によって第三発電所に導かれる。第三発電所の近くから水は深良川に放水され、灌漑用に用いられることになる。

御殿場線・岩波駅
水田に分流される灌漑用水路などを眺めながら深良川に沿った道を進む。遊歩道のような雰囲気の道になっている。振り返ると箱根の外輪山が堂々と聳える。川の脇に建つ「箱根用水の碑」を眺めたり、川を少し離れて駒形八幡にお参りしたりしながら、川に沿って先に進む。御殿場線を越え、県道394号線を渡ると深良川は黄瀬川に合流。合流点に段差があるのがなんとなく面白い。合流点から富士の裾野の遠景を楽しみながら、御殿場線の岩波に向かい、本日の散歩を終える。


芦ノ湖のスタート地点;標高720m_11時17分>深良水門_標高;738m12時(桃源台から2.3キロ)>湖尻峠;標高850m_12時18分(桃源台から3キロ)>深良隧道出口;718m_12時45分(桃源台から4.2キロ)>第一発電所;標高448m_13時49分(桃源台から7キロ)>第二発電所;標高344m_14時5分(桃源台から8キロ)>第三発電所;標高251m_14時25分(桃源台から9.3キロ)>合流点;標高234m_14時55分(桃源台から10.6キロ)>岩波駅;標高;244m_15時11分(桃源台から11キロ)
全行程;11キロ


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