西多摩散歩 ; 八王子城跡から滝山城跡散歩へ

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歴史小説などを読んでいると、八王子あたりで折に触れて登場する城跡がある。先日古本屋で買った『武蔵野 古寺と古城と泉(桜井正信;有峰書店)』にも登場する。八王子城跡と滝山城跡だ。片方はほとんど高尾、もう一方はほとんど拝島。結構離れている。直線距離でも8キロ弱ありそうだ。ちょっときついかな、などとは思いながらも、12月のはじめ、このふたつの城を歩いてみようと思った。案の定というか、予想通りというか、いやはや大変な1日となった。



本日のルート;京王高尾>(霊園前バス停)>真照寺>宗関寺>八王子城跡>高尾街道を北上>八王子四谷町で陣場街道と交差>楢原町で秋川街道交差>工学院大学>滝山街道>丹木町3丁目手前>滝山城跡>丹木町3丁目>加住市民センター前>(高月浄水場前ひとつ手前のバス停>東秋川橋・秋川橋>二宮本宿>多摩橋・多摩川>五日市街道>清岩院・清岩院橋>)福生駅

京王高尾駅
京王高尾駅に。先回京王高尾駅南口からJR高尾駅北口へと結構大廻りさせられた。で、今回はひょっとして、と改札口をチェック。南口から北口へと通り抜けできた。
駅前のバス停で八王子霊園方面行きバスに乗る。多摩御陵と多摩森林科学園の間を上り、城山大橋、新宮前橋、宮の前、中央高速を越え霊園前で下車。

八王子城跡

八王子城跡入口の案内を確認。真照寺、宗関寺といったお寺を眺めながら進む。しばし歩くと入口広場・管理事務所。案内図を確認。山頂に土塁を補強し設置した本丸、山を削り谷を埋め盛り土をした麓の居館など結構大きな縄張り。国の史跡として指定されている。麓の居館地区は平成2年に発掘・整備がなされている。

八王子城は、天正元年(1573~92年)、小田原・北条氏三代氏康の次男氏照が築城。天正18(1590)年6月23日、豊臣秀吉の小田原攻めの別働隊:前田利家(まえだとしいえ)、上杉景勝(うえすぎかげかつ)、真田昌幸ら1万5千の軍勢の予想外の来攻。城主氏照は精鋭を集めて小田原城に参陣中。残された徴集領民からなる城兵約千人の八王子城は一日で落城。埼玉・寄居の鉢形城攻防戦での「緩慢」なる攻城戦を秀吉に咎められ、面目を失った前田、上杉がこの時とばかり攻めかかった、とか。小田原攻めで唯一とも言われる大殺戮戦が行われた、とある。囚われた子女を小田原包囲陣に連れて行き、城内の士気を削いだ、とも。落城後の八王子城は、関東に入部した徳川家康により廃城され、城跡を徳川幕府の管轄地「御林山」として、立入を厳しく禁止されていた。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)


城山に
ともあれ、城跡を目指し本丸・金子丸方面への登山道を山頂に向う。450m程度の山。鳥居をくぐり山道に。しばらく歩くと新道と古道に分かれる。古道を上る。あまり整地されていない。ブッシュというか草茫々。結構きつい。息が切れる。

2合目あたりで新道と合流。少し緩やかに。10分ほど歩き9合目。ゆるやかな尾根道となる。素晴らしい展望の見晴台・松木曲輪跡。絶景。筑波から丹沢までが見渡せる、とか。

山頂に八王子神社
見晴台から数分で頂上。麓から30分程度で上れただろうか。休憩所が整備されている。結構古びた神社・八王子神社が。落城時、この地で切腹した城代・横地監物をまつっている、と。
頂上からの見晴らしはそれほどよくない。しばし休憩。
下りは新道を。麓近くに梅林が。結構古びた神社。神社脇から石仏巡りの案内。道なりに進むと居館地区に下りる。

御主殿跡

城山川に沿って少し歩く。大手道、御主殿跡への橋。整備された古道(?)を進む。曳橋が。発掘によりこの地に橋のあったことがわかり、それを復元。石畳・石垣からなる虎口を通り氏照の住居・御主殿跡に。結構広い。建物は残っていない。虎口は「こぐち」と読む。城の出入り口のこと。虎口の由来は「武家名目抄」にある。「城郭陣営の尤(もっとも)要(かなめ)会(あい)なる処(ところ)を、猛虎の歯牙にたとへて虎口といふなり」、と。




後は一路、滝山城跡に、というわけだが、時間は3時近い。もう少々早く家をでれば、とはいうものの、詮無し。ひたすら急ぐ。八王子城跡入口まで戻り、中央高速をくぐり、城山大橋で左折。高尾街道に入る。

陣場街道と交差
元八王子3丁目、鍛冶屋敷を過ぎ、中央高速をくぐり、元八王子2丁目、元八王子1丁目、元八王子小と歩く。日が暮れてゆく。更に早足。大沢川を渡り元八王子中から八王子四谷町で陣場街道と交差。まっすぐ進む。

秋川街道と交差
四谷中入口、並木橋、松枝橋南を過ぎ、松枝橋で北淺川を渡る。松枝橋北を過ぎ、楢原町で秋川街道と交差。楢原町の交差点を越え、適当に右折し、なりゆきで北東に向って歩く。運良く川口川にかかる橋、というほどの橋があったとも思えないのだが、ともあれ川を越え、八王子犬目地区から工学院大学角の交差点に。ほとんど日が落ちた。どうなることやら。ともあれ急ぐ。

工学院大学の交差点を左折し谷野町に入る。結構な峠道。坂道の途中に派手な美術館・東京富士美術館。このあたりに創価大学がある。その系列か。午後6時頃か。完全に日が落ちる。さらに進む。もう滝山城には登れないだろう、と思いながら足は滝山城跡方面に。行くだけ行こう、といった心境。

滝山街道と交差
谷地川を渡る。東京純真女子大学前で滝山街道と交差。左折し進む。急に歩道が切れる。何気なく歩を止める。足元は川。危うく転落・大怪我するところであった。それにしても、ガードレールも何も無し。危険。まさに九死に一生、といった状況。

滝山城址下
さらに進む。丹木町3丁目のちょっと手前。何気なく右手を見る。滝山城址下、というか入口の道案内。とりあえずアプローチだけ確認し後日、また、と右折しちょっと山道に。

滝山城跡
漆黒の闇。ヘッドライトを取り出し状況確認。少し進む。結構怖い。引き返す。が、思い直し、少々ビびりながら再び山道に。やっぱり行こう。と、性根を据える。車1台がギリギリ登って行ける道を進む。途中標識を確認しながら進む。800m程歩いた。標高はそれほど高くない。160m程度か。
頂上である本丸、中の丸、だろうと思うのだが、開けた場所に到着。ライトの彼方に神社が浮かぶ。神社裏手から街の灯が。足元に注意しながら崖際に。なんとか眼下の夜景を見ようとおもった。が、木立が邪魔し見通しよくない。それでも一応拝島方面の夜景を確認。広場から抜ける道を捜すが見当たらず。これ以上進むのをあきらめ、来た道を再び下りる。いやはや、結構しびれる滝山城跡散歩でありました。


滝山城跡。この城の城下町が八王子の原点とも言われている。武蔵国の守護代大石氏(定重・定久)と小田原北条氏の一族(氏照)の居城。永正18年(1521年)、高月城から移転した関東管領山内上杉家の重臣大石定重が築城。川越夜戦により扇谷上杉を滅ぼした北条氏康は山内上杉の勢力を上野まで退ける。その際武蔵の国人領主も多くが北条に下る。滝山城主・大石定久もそのひとり。北条氏照を養子に迎え五日市の戸倉城に隠居。永禄(1558)元年頃、北条氏照が滝山城に入城。八王子城に移るまで居城とする。

城郭は多摩川と秋川の合流点にあり、戦国時代を代表する山城。川の流れにより浸食された加住丘陵に立地し、複雑な自然地形を巧みに縄張りした天然の要害。丘陵・谷地・崖端をたくみに利用し築城されている。特に北側は多摩川との高低差50~80mの断崖。北から侵入する敵に対しては鉄壁の備えとなっている。

城内は空堀と土塁によって区画された大小30ばかりの郭群が有機的に配置。現在では、本丸・二の丸・三の丸・千畳敷跡等が残されている。規模の大きさ、繩張の複雑さ、遺構の保存状態の良さなどからみて、戦国時代の城郭遺構としては日本有数の遺跡。

武蔵野の古城跡で滝山城ほど、戦の洗礼を受けた城も少ない。そのたびに大石一族は勝利を収め、落城の経験のない城でもある。
滝山城を巡る攻防戦;
天文5年(1536)、上杉・大石連合軍と北条氏康と戦う。甲斐の武田信玄の加勢を受け安泰。
天文21年(1552)、越後上杉の宇佐美定行が上杉憲政の支援で滝山城を攻撃。滝山軍は加住丘陵下の秋川・多摩川の河原で戦い勝利。
永禄12年(1569)、武田信玄・勝頼の侵攻。北から下ってきたこの本隊に呼応し、大月の岩殿城主・小山田信茂が小仏峠を越えて奇襲。高尾山下の背後から攻撃に対し北条氏照は淺川廿里(ととり)に陣を敷く。が、苦戦。二の丸まで攻め寄せられるほどの猛攻を受ける。氏照を中心に城方もよくこれに耐え、落城をまぬがれた。しかし、この戦闘の後、氏照は小仏方面からの武田勢に備えるべく、八王子城を築きその居を移すことになる。

加住丘陵を越える峠道
滝山城跡を下り、丹木町3丁目交差点に。バス停があり、八王子駅のバスも走っている。おとなしくここからバスに乗っておけばよかった。が、交差点の行き先表示に、「東秋川橋」。近くに多摩川が流れているのだろう。であれば、橋を渡れば直ぐに拝島ではないか、と思った。これが大きな勘違い。ちょっと地図を確認すればいいものを、夜目遠目、なにせ地図の小さい文字など、見えやしない。ということで加住丘陵を越える峠道を歩く。
峠道を下り切る。が、橋など見えやしない。対岸には車のヘッドライトが流れているのだが、如何せん橋がない。地図を確認。東秋川橋は、はるか北。あきらめて最寄りのバス停から最初に来たバスに乗り、結局福生駅に。
長い長い1日が終わった。しかしながら、滝山城跡、真っ暗でよく全体像がわかっていない。近々、近辺の高月城・戸倉城とまとめて滝山城を再び歩いてみよう、と思う。

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