新橋から新宿へ

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新橋で仲間と会う。20代半ばからの付き合い。もう30年近くもなるか。若かりし頃のやんちゃの話を懐かしむ、いい付き合い。で、お開きの後は予定通り散歩。10時過ぎ新橋を出る。



虎ノ門


西新橋から虎ノ門交差点。桜田通りを左折。虎ノ門3丁目を右折。ホテル・オークラ前の汐見坂にゆるやかなのぼり。汐見坂は文字通り、昔はここから海が見えたから。また松平大和守邸(幕末・川越藩)があったため「大和坂」とも呼ばれた。

霊南坂

アメリカ大使館前の交差点を左折し霊南坂に。霊南坂は日向の人嶺南和尚がここに庵をもったから。ちなみにホテル・オークラ本館の南の急坂を登り、本館とホテルオークラ別館・大倉集古館の間に出てくる坂は江戸見坂。江戸の町々がほとんど見渡せたから。六本木通りからアメリカ大使館前に抜ける道は榎坂。浅野幸長がつくった溜池の堤に榎が植えられていたから。

アメリカ大使館に沿って坂を登りきったあたり、ホテル・オークラの大倉集古館かどを右折。 六本木通り方面へと下っていく。このあたり、先ほどの仲間たちと一緒に働いた場所。いまはもうなくなっているが、ホテルオークラの前、住友会館の裏手にあった麻布ハイツアパートが仕事場。アパートとはいっても、結構立派な主として外国人専用高級マンションといった建物だった。当時としては画期的、見たこともない乾燥機付の大型洗濯機が、地下にずらっと揃っていた。昔のことがあれこれ思い出される。が、きりがないのでやめておく。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

六本木通りへの坂道

で、六本木通りへの坂道、夜歩いているので周りは見えないが、多くのお寺があるはず。そして、通りに下りきる手前あたりは昔、といっても、30年くらい前の話しではあるが、それはもう谷地というか、窪地というか、中沢新一さんが『アースダイバー』(講談社刊)でコメントしているような、繁栄から取り残された・湿った印象の一帯だった。
が、今はすごい建物群に変容していた。これは一体何なんだ、と思った建物はサントリーホールであり、全日空ホテルであり、テレビ朝日、つまりはアーク森ビルであった。いつも六本木通りから入っていたので、裏からのアプローチでは全くわからなかった。昔、ほんとうにブッシュみたいな枝道を下りていったあの谷地がこんなに変容していたわけだ。いやはや畏れ入りました。都市の大変容に感慨新た。

桜坂の一筋山側を左折しスペイン坂に。桜坂は昔坂下に大きな桜があったから。スペイン坂は尾根道にあるスペイン大使館と六本木通りをむずぶ坂であるため。どちらもそのまま。わかりやすい。六本木通りへ。首都高速が3号線・渋谷・東名高速方面と環状線・飯倉片町方面に分岐・谷町ジャンクションするあたり。六本木2丁目の横断歩道を渡る。
あれ?そういえば谷町ってどうなったのか?地形もそのまま谷間の町だったし、たしか麻布谷町と呼ばれていたようだが?いつかの時点で麻布谷町という地名はなくなったわけだ。調べたわけではないけれど、アークヒルズといった大規模都市開発の華々しい地名に「谷」はそぐわないと思ったのだろうか。真偽の程不明。

檜坂・檜公園
六本木通りの一筋中、アメリカ大使館の宿舎に沿って歩き、塀が切れるあたりを道なりに右折。ゆるやかな坂をのぼりきったあたりで左折、すぐに右折と進み、六本木4丁目と赤坂6丁目の境を檜坂・檜公園方面に下りていく。このあたり元防衛庁の裏手。防衛庁の敷地も含めて昔は長州藩の下屋敷、歩兵第一連隊があったところ。3万坪の大藩邸、檜が多く茂り「檜屋敷」と呼ばれた藩邸も幕末長州征伐のおり幕府により打ち壊され今は池を残すのみ。

道なりに右折、左折を繰り返し赤坂通り・赤坂小前交差点あたりに出る。左折し道なりにすすめば乃木坂・、乃木神社ではあるが、新しいルートを、ということで直進。道なりに進む。メモをまとめるまで、どこをどう歩いていたのかさっぱりわからなかった。 地形は結構複雑。右左に地形のうねりを感じながら歩く。赤坂7丁目のカナダ大使館あたりに出るのかと思ってはいたのだが、結局は赤坂8丁目、外苑東通に出る。

青山1丁目

青山ツインタワー前まで進み、青山1丁目の交差点に。交差点を渡り、東宮御所に沿って権田原交差点に。権田原といえば、陸軍大学とか練兵隊といった言葉が思い浮かぶ。なぜかはわからない。昔読んだ本の一部が記憶の奥底に残っているのだろう。この明治神宮外苑一帯は陸軍の用地。兵営や練兵場があったが、明治天皇崩御後、明治神宮および外苑ができ、陸軍は世田谷に移った。また、権田原の由来は、徳川氏江戸入府のころこのあたりに権太隼人が住んでおり、権太原、権太坂という地名ができたため。

外苑東通をそのまま進み、高速外苑出口を越え、JR信濃町に。直進すれば四谷3丁目の交差点だが、慶応大学病院前に交差点を左折。JR・慶応大学病院に沿って歩く。四谷第六小学校あたりで大きく迂回、外苑西通り・大京町交差点に。あとは四谷大木戸跡を探すだけ。夜の闇の中見つけることができるだろうか。少々心配。大京町は右京町と大番町が合併したため。

四谷大木戸跡

外苑西通りを進む。四谷大木戸跡は外苑西通りに沿ったところにあるのか、一筋中にあるのか、あたりを気にしながら四谷大木戸、四谷4丁目と進む。見つからない。一筋中に入ってみる。見つからない。結局新宿通りにでてしまう。あきらめて歩き始めると新宿通りの隅、四谷区民センターの敷地になにやら石碑っぽいものが。四谷大木戸跡の碑だ。こんなところにあった。有難かった。後は新宿通りを新宿3丁目まで歩き、都営新宿線の新宿3丁目で地下鉄にのり、一路自宅に。本日の予定終了。

前々から気になっていた、玉川上水の最終地・四谷大木戸跡をチェックでき、新橋から2時間近い散歩も気持ちよくおえることができた。めでたし、めでだし。

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