秩父観音霊場散歩 Ⅶ:江戸巡礼古道を辿る

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秩父札所巡りもほぼ歩き終え。あとは、皆野町の33番札所、吉田の里の34番札所、そして長尾根丘陵上の24番札所、25番札所を残すのみ。なんとか今回で終わりにしよう、と同僚と作戦会議。今回のメーンエベントは長尾根丘陵の江戸巡礼古道を歩くこと。少々不便な33番、34番をカバーし、残り時間で丘陵地帯を歩くにはバスでは少々心もとない。如何せん便数が少なすぎる。ということで今回は車を使い、東京を離れ秩父に向かった。
秩父市街に入り、国道140号線を北上。皆野町役場のあたりから国道を離れ、荒川方面に左折。栗谷瀬橋を渡り、荒川西岸に。少し南に戻り、国神交差点で県道44号線に移る。日野沢川に沿って皆野の町を北東に進む。深沢橋、根古屋橋を越え、どんどん進む。国神交差点から5キロ弱程度だろうか、34番札所・水潜寺に着く。ちなみに根小屋って、先日津久井湖散歩のとき案内版でわかったのだが、山城の裾野の広がる武家屋敷のこと。このあたりもなにかそれらしき館でもあったのだろうか。少なくとも秩父の横瀬町の根古屋は北条氏の根古屋城があった、とか。(金曜日, 9月 14, 2007のブログを修正)



本日のルート;34番札所・水潜寺>33番札所・菊水寺>24番札所・法泉寺>25番札所・久昌寺

34番札所・水潜寺
百観音の結願寺。百観音って、西国33観音霊場、坂東33観音霊場、そしてこの秩父34観音霊場を合わせて百観音、とする。元々は秩父も33観音霊場であったわけだが、34霊場となったことをきっかけに、百観音というマーケティング戦略に転換した、ということだろう、か。
本堂の前に結願の「御砂ふみ」がある。百観音御砂と掘られた足形。「足形のうえで祈れば、百観音の功徳あり」ということ、だ。観音堂は寛政の頃、というから、18世紀末、江戸の人々の寄進により再建された。「檀家をもたない秩父の札所は江戸でもつ」と言われる所以である。観音堂の右奥に岩の絶壁。岩屋があり清水が湧く。「長命水」、と。巡礼を終えた人が水垢離をとる。水潜りの岩屋と呼ばれる。これが寺名の由来。
讃仏堂内に、オビンズルさま。十六羅漢のひとつ。オビンズル様こと、ビンズル尊者には散歩の折々に出合った。撫で仏様として坐っていることが多かったように思う。赤ら顔の飲ん兵衛がキャラクターイメージ。放蕩の末、反省し仏弟子となった、はず。十六羅漢とは、仏を護持する16人の佛弟子のこと。本堂の右手に子育て観音像。本堂下参道脇に六地蔵。六道能化のご利益。六道能化とは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)のそれぞれの衆生を救うお地蔵様。讃仏道の左には七観音。七観音って、野坂寺でメモしたのだが、六観音が真言系と天台系では少し異なる。聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、如意輪観音までは同じであるが、あとひとつが真言系では准胝観音(じゅんていかんのん)、天台系では不空羂索観音。これがいつのまにか、すべて合わさって七観音になった、とか。
ご詠歌;萬代のねがいをここに 納めおく 苔の下より いづる水かな

34番を終え33番に向かう。これが結構遠い、今回車を使うしかないだろう、となった工程である。ルートは一旦、国神まで戻る。国神交差点からは荒川西岸を大渕まで進む。大渕交差点からは荒川を離れ、赤平川の北を進む。国神交差点から5キロ程度走ったところで左折。奈良川橋を渡り、赤平川の南側に移る。奈良川橋から2キロ程度赤平川に沿って進み、番戸大橋で赤平川の支流を越える。橋を渡るとすぐに南に折れ、2キロ弱進むと33番札所・菊水寺に。時間があれば吉田の里、秩父困民党の決起した椋神社などに寄りたいのだが、何せ時間がない。またいつかの機会、この吉田の里から札立峠を越えて34番札所・水潜寺へと歩く、2・5時間の峠越えをするときにでも寄ることにしよう。

33番札所・菊水寺
正面に観音堂。本尊は聖観音。藤原時代の作。井上如水が奉納した「子がえしの絵図」。生活苦から子供をあやめることを諌めたものである。芭蕉の句碑:寒菊やこぬかのかかる臼のはた。菊水寺の名前の由来は、菊水の井戸から。山賊が雲水の法力で非を悔い改め身を清めた井戸が菊水の井であった、とか。また山賊が行基の教えに改心したといった説も。
ご詠歌;春や夏 冬もさかりの菊水寺 秋の詠めに おくる年つき

江戸巡礼古道散歩
さてさて「僻地」の札所を車でさっと廻る。歩きではないので、少々のウシロメタさもありメモもあっさりにならざるを得ない。が、これからが今回のメーンエベント・江戸巡礼古道散歩となる。
スタート地点は23番音楽寺あたりからはじめよう、と。江戸巡礼古道自体は21番札所・観音寺の少し南あたりにのぼり口はある。が、そのあたりは先回の散歩で長尾根丘陵を横切って国道299号線に降りていったとき、少々の雰囲気を感じてはいる。また、いつだったか、23番札所・音楽寺から22番童子堂に下るときに、これも少々の古道の雰囲気などを感じてはいる。で、観音寺から音楽寺までの巡礼道散歩は「まあ、いいか」となった次第。
スタート地点の23番札所・音楽寺へのアプローチはどうするか。音楽寺の駐車場に車を停めるって案もあるのだが、歩いた後にまた車を取りに戻らなければならない。少々ウザったい。西武秩父からシャトルバス・ぐるりん号が音楽寺まで出ていたような気もする。西武秩父駅に行けばなんとかなるだろう、と言ったこれまたアバウトな確信で車を置きに西武秩父に。
道を南に下り、泉田交差点で国道299号線に。先回の32番札所・法性寺からバス停のある国道299号線までは、結構きつかった、と少々の思い出に浸る。車は東に向かい、道なりに秩父ミューズパークに向かって進み、公園のある長尾根丘陵を越え、荒川を渡り西武秩父駅に。車は秩父市役所横、秩父市民会館の駐車場に停める。秩父に日参したおかげで、どこに車を停めることができるか、ってことも分かるようになっている。
市民会館に車を置き、西武秩父駅に。それほど遠くにない。駅前のバスターミナルで「ぐるりん号」の時間をチェック。残念ながら全然便はない。1日に数便といったもの。どうしたところで、利用できる便はない。あきらめて、タクシーで23番札所・音楽寺に行くことにする。

江戸巡礼古道スタート。音楽寺駐車場から長尾根道・山腹を進む江戸巡礼古道を進むことに。江戸巡礼古道、とはいうものの、江戸時代にこの名称があったわけではあるまい。秩父市観光振興課が作成している観光パンフレット「秩父札所 江戸巡礼古道」によれば、寛延3年(1750)には一番札所のある栃谷村には5万弱、30番札所のある白久村にも5万強の巡礼者が訪れている、と。元禄時代、裕福になった江戸市民の信仰を兼ねた行楽の旅が盛んになった、ということだ。こういった観光客のために、多くの道しるべがつくられた。「右++ 左**」といったもの、である。馬頭観音の石碑もつくられた。で、それをつなげ合わせ江戸の巡礼道を組み上げたのが「江戸巡礼古道」である、と前述のパンフレットにある。秩父市の観光マーケティング施策にまんまと乗せられている、といった思いも残しながら、昔ながらの面影の残る道筋であることを期待しつつ、先に進む。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

駐車場を越え梅林に沿って進む。少し下ると駐車場。駐車場を抜けると長尾根道がはじまる。杉林の中を進む。道脇に馬頭観音。杉林をしばらく進むと、「天保9年・二十二夜碑」。ついで、延暦年間・弁才天碑。このあたりからの眺めは美しい。沢を渡る。桜久保沢。念仏坂のあたりには馬頭観音が残る。南は佐久良橋あたりであろう。再び美しい眺め。永源寺跡の脇を進み丘陵を下り、県道77号線近くまで下りる。72号線の一筋東の細路を進む。「江戸時代のみちしるべ石」を越えるあたりで県道72号線に合流。少し進むと24番札所・法泉寺。

24番札所・法泉寺
長い石段。かなり急な勾配。116段。お堂は仁王門と観音堂を一宇とした造り。本尊は聖観音。室町時代の作と言われる。本堂の左手に六地蔵。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道の六道を能化する有難い佛様。寺の開基伝説によれば、毘盧遮那の仏勅によって、加賀の白山を勧請した、と。事実『長享二年秩父観音札所番付』では白山別所と記されている。白山系修験者によって奉祀されていたもの、であろう。当時の本尊は十一面観音。白山の本地仏である。本尊が聖観音に変わったのは、勢力強化のために関東を訪れた聖護院門跡道興准后の影響。それを契機に、白山系から本山派に転じて今宮坊の配下となり、さらに聖護院直末となったためであろう、と言われる。白山権現社は、明治期の神仏分離をへて白山神社として現存している。
ご詠歌;天てらす神のははその色かえて なおもふりぬる雪の白山

宝泉寺を離れ次の目的地25番札所・久昌寺に向かう。県道を少し進み、「江戸道しるべ石」のあるあたりから、案内にしたがい県道を離れる。北に進むと「酒つくりの森」。酒蔵資料館などもある。地元の酒蔵の経営のようである。すこし中を眺め先に進む。峠道へとのぼる雰囲気。眺めがいい。実にいい。
県道209号の脇の細道を峠へと進む。この県道は小鹿野町に続く。しばらくすると県道を離れ下り道に。案内に従い下ると、「寛政年間のみちしるべ」。眺望良好。東下る。馬頭尊。南に下ればミューズパーク入口あたりだろう。江戸巡礼古道はここから南西に向かう。長尾根道をはなれ「久那みち」となる。
しばらく進み舗装道から離れ脇道に。森というか林の中。沢を渡る。五百(いお)沢。県道72号線と平行に、少し西を進んでいる、よう。久那小学校の西をとおり25番札所・久昌寺に。野面を横切り、沢を渡るといった巡礼道であった。五百沢から25番までの雰囲気がなかなかいい。

25番札所・久昌寺
本尊は聖観音。入口に「御手判寺」の大石柱。このお寺は別名「御手判寺」とも呼ばれる。御手判って、性空上人らが冥土からもたらした石札。閻魔大王の手形石とも。閻魔大王の招きで冥府(めいふ)に赴いた性空上人は、石の手判と石の証文を授かる。その石の証文は西国十四番に、石の手判は秩父札所二十五番に納め置かれた、と。
西国十四番って、近江の三井寺というか園城寺。石柱のすぐ向こうに小さな茅葺の仁王門。観音堂には一木造りの観音さま、が。背後の土手に上ると弁天池。弁財天をまつるお堂がある。武甲山の山容も美しい。ご詠歌にある岩谷堂の由来は、鬼とよばれた母親を大切に孝行したきだてのよい娘が、なくなった母親を岩屋に祠を建てる。その心持にうたれた里人が建てたのがこのお寺のはじまりである、ということだ。
ご詠歌;みなかみは いづくなるらん 岩谷堂(いわやどう) 朝日もくなく 夕日かがやく

秩父鉄道・浦山口駅
荒川を久那橋で渡り、浦山川を常盤橋で渡り、秩父鉄道・浦山口に進み、西武秩父駅に戻り、車に乗り、一路家路を急ぐ。長かった秩父札所巡りもこれで一応結願と相成った。

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