霞丘陵散歩;東青梅から霞丘陵・金子丘陵を経て飯能へ

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青梅・二俣尾の辛垣城跡への散歩のあと、勝沼城を歩いてみたくなった。なんといっても青梅市周辺、昔の呼び名で言えば「杣保(とまのほ)」に覇をとなえた三田一族の居城の地。戦に破れ追い詰められた辛垣城だけでは少々寂しすぎる。三田一族の本拠地を歩きたかった。青梅観光センターで手に入れた地図をチェック。勝沼城の近く、塩船観音のあたりから岩蔵温泉まで続く霞丘陵ハイキングコースの案内がある。

霞丘陵といえば、加治丘陵・金子丘陵の東京側の呼び名。この丘陵は以前から至極気になっていた。金子十郎を筆頭とする金子一族の本拠となった丘陵地も歩けるし、青梅というか東京と、飯能というか埼玉を遮る丘陵地帯ってどんなものか歩ける。ということで、勝沼城から霞丘陵ハイキングコース・岩蔵温泉までを本日の散歩コースとしてルーティングした。



本日のルート;JR東青梅>光明寺>妙光院>勝沼城>宗泉寺>塩船観音寺>霞丘陵ハイキングコース>笹仁田峠>岩蔵温泉・七国峠ハイキングコース>飯能・落合方面>阿須交差点・駿河台大学>加治橋・入間川>218号線>西武飯能駅

JR東青梅駅

最寄りの駅はJR東青梅駅。北口で下り、成り行きで北に向う。道の途中で酒饅頭を買う。秩父で買った酒饅頭というか田舎饅頭が、こどもの頃食べた柴餅に似ており、其の味を今一度、といった思い。ともあれ、お饅頭屋さんで光明寺への道を確認。

師岡神社
城前橋を渡り少し光明寺に。勝沼城跡への登り口を探す。目印はない。お寺左手に石段。師岡神社。師岡神社 の師岡って、三田氏滅亡後、勝沼城に入った北条方武将・師岡山城守将景からきたのだろう。境内にはシイの巨木が。神社に登ったが、行き止まり。
石段を下り、神社脇を登る小道に入る。結構丘に登る。が、どうも様子が違う。金網で入れない保護林の方面がどうも城跡といった雰囲気。尾根道からは入れ込めるかと思ったのだが、金網が延々と続く。あきらめて登り口まで戻る。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

妙光院
道に沿って東に向う。少し進むと、妙光院。このお寺の裏山であれかし、と進む。赤い帽子と前掛けの6体のお地蔵さん。「おん かかかび さんまえい そわか」ってご真言を3回お唱して、お参りいたしましょう、ってガイド。「おん かかかび さんまえい そわか」「おん かかかび さんまえい そわか」「おん かかかび さんまえい そわか」。

勝沼城跡

境内右手に裏山への道筋。登り口に勝沼城跡歴史環境保全地域の案内。ゆったりとした道を上る。丘の上は比較的平坦面が広い。辛垣城跡の狭隘な砦を見た後だけに立派な造作・遺構と思える。なんとなく石神井城跡といった雰囲気。それより広いかも。

城跡から青梅市街を見渡す。三田氏は往時、この青梅、秩父、そして入間にかけての一帯を支配していた。ちょっと目にはそれほどの要害の地とも思えないが、昔は多摩川を外堀とし、あたりは低湿地で囲まれた要害の地であったのだろう。

三田氏
三田氏についてまとめておく;鎌倉末期、青梅一帯、「杣保(とまのほ)」に覇を唱えた一族。勝沼城はその居城。室町期、三田氏は関東管領・山内上杉氏の陣営に。一時期、北条早雲からはじまる小田原北条氏、つまりは後北条の臣下となる。が、上杉謙信の関東攻めに呼応して、後北条を離れ謙信とともに小田原城攻めに参陣。謙信が越後に戻った後、ほとんどの武蔵の豪族は後北条氏に帰陣。しかし、三田氏は謙信陣営に留まる。ために、滝山城の北条氏照の攻撃を受け、この1563年、勝沼城を放棄。辛垣城に逃れ抵抗するも翌年落城。三田綱秀は太田資政をたより岩槻城に落ちのびる。が、そこで自刃し三田氏は滅びる。

吹上げしょうぶ園
城跡を下り、東青梅6東交差点を左折。城山通りと言うのだろうか、ともあれ山裾を進む道。「吹上げしょうぶ園」前を進む。美しい里山の景観。この景色を楽し めただけでも十分。少し進むと宗泉寺。立派な鐘楼が印象的。境内のカヤの大木も雄大。車道脇、歩道もない道を進む。「塩船観音寺 この先700m」の案内。左折しこの道、観音通りを進む。途中、ゆるやかな峠道。また美しい里山の景観が拡がる。

塩船観音寺

道なりに進むと塩船観音寺に。美しい。茅葺屋根の落ち着いた雰囲気の堂宇。キンキラキンのお寺を想像していたので、望外のよろこび。重要文化財の仁王門、本堂も渋い味わいを出している。
塩船観音寺は真言宗醍醐派の別格本山。大化年間、若狭の八百比丘尼が千手観音をおまつりしたことに始まる。天平年間、僧行基が、周囲の地形が船の形に似ていることから、塩船と名づけた、とか。

ともあれ、平安末期には加治丘陵、というかその名も金子丘陵と呼ばれるこの丘陵に覇を唱え高麗・入間・多摩に勢力をふるった金子一族が深く帰依。金子十郎家忠源平合戦出陣のみぎり、戦勝を祈願して山門、仏像を奉献。また、鎌倉末期には三田氏の帰依を受け堂宇・仏像の修復が行われている。
ちなみに、八百比丘尼は「やおびくに」。決して800人の尼さんが来たわけではない。また、なんで「塩」の船なのかよくわからない。が、法華経に説く千手観音の広大な慈悲によって、人々を苦海から救って、彼岸に渡す弘誓(ぐぜい)の船、ということで、ありがたいもの、なくてはならないもの=塩が頭についたのか、と自己流解釈でとりあえず納得。

尾根道に
霞丘陵ハイキングコースに進む。境内から続く尾根道を上ればコースに続くとのこと。本堂左手の道を進むと鐘楼が。鐘楼脇に7社権現。脇を抜け尾根道に。
尾根道からの眺めは壮観。まるで円形劇場、というかコロセアムといった景観が広がる。基底部の舞台部分には堂宇、そして境内。舞台を囲む周囲の丘は全山つつじ。開花時期は4月頃で今はなにもない。が、花見時期には10万人もの人がつつじ見物に集まる、という。さぞ見事だろう。あまりあれこれに感激しない性格ではあるが、ここのつつじは結構すごいだろう、と少々心躍る。

霞丘陵ハイキングコース

尾根道をあがりきると霞丘陵ハイキングコースへの案内。素晴らしい散歩道。洗練された景観。左手はゴルフ場ということもあり、広がり観が心地よい。尾根道を進む。車止め。直進し植林帯に。要所要所に「七国峠、岩蔵温泉」という案内があり迷うことはない。

熊笹の茂る横木の階段を下り、ブッシュを進むと金網。右方向に「七国峠、岩蔵温泉」。舗装道路を進む。再び車止め。間を抜け進む。大学のキャンパスといった道が続く。立正佼成会の敷地内だった。しばし進むと再び車止め。間をすり抜け、正面の茶畑を回りこむように坂道をおりると笹仁田峠に。ここまでの散歩道は明るい高原地といった雰囲気であった。

笹仁田峠の交差点
車の往来の激しい笹仁田峠の交差点を渡り、七国峠に向う。再び森に入るとあたりの雰囲気は一変。スギ、ヒノキの森となる。少々の登り。しばらく歩き七国峠に。笹仁田峠から10数分といったところか。

七国峠

峠とはいうものの、ちょっとした広場になっている。七国峠と言うからには、相模・駿河・甲斐・武蔵・上野・下野・常陸の七つの国が見渡せるはず、と期待していたのだが展望などなにも無し。それにしても七国峠って、いろんなところで出会ったよな。狭山丘陵の七国山、多摩丘陵・町田市野津田の七国山などなど。散歩の日々をあらためて想い起こす。

岩蔵温泉か、金子丘陵か

七国峠を過ぎ少しあるくと、左「岩蔵温泉」、右「飯能 落合」の道標。 予定通り「岩蔵温泉」に進もうか、それとも、と結構迷った。迷った理由はただひとつ。加治丘陵というか金子丘陵に歩を進めたかっただけ。金子一族の本拠地でもあった金子丘陵ってどんなところだろう、と気にはなっていた。で、結局は金子丘陵に。

ちょっと前、飯能からの帰り道、丘陵の北の元加治、仏子あたりを車で走った。また駿河台大学脇の峠道を走り、金子丘陵を越え金子十郎の墓のある木蓮寺・瑞泉院に訪れたことがある。
金子一族のまとめ;金子氏は武蔵七党の名族村山党からわかれこの金子の地で金子氏を興す。平氏とのつながり深い金子氏は保元の乱では後白河帝に味方し祟徳院・藤原頼長・源為義・為朝と戦う。平治の乱では戦に破れ金子の地に戻る。その後、頼朝挙兵に際しては、陣に加わり一の谷では義経を助け功をたてる。
頼朝上洛の折は、重臣として随員に加わり都大路を堂々の行進。金子十郎の後も一族は、和田義盛の乱には鎌倉北条に味方し幕府の難を救った。戦国時代が終わるころ、八王子城の武将に金子家重の名。北条と結び秀吉と戦い力尽きた、とのこと。ともあれ、当初の予定を変え金子丘陵に歩を進める。

金子丘陵

気持ちのよい散歩道。品のいい森。一面の落ち葉の上を歩く。ところどころで分岐。道標などなにもない。感で進む。北東に向っているような気がする。狭山丘陵もそうだが、このあたりの丘陵地帯は本当に気持ちいい。どんどん進む。と、すごい下り坂。坂と言うよりも壁、といったほうが正確。下りでよかった。なんとかかんとか降りる。右手に沢道。川筋にそって下る。あれだけの急な坂を下りたのだから、てっきり里についた、と思っていたが、どうもそうではないらしい。ゆったりとした道を歩く。

で、突然迷彩服にマシンガンの一団に包囲される。結構ビビル。マジ緊張。で、よくみればモデルガン。コンバットゲームの一団であった。こんな山の中でマシンガンに囲まれたら、いやはや、ゲームでよかった。

飯能に

で、歩をすすめる。やっと民家が見えてきた。さらに進むとお寺。長沢寺。これって前車で峠越えした駿河台大学の脇の阿須の交差点。ともあれ、里に下り、後は一路飯能まで歩き本日の予定終了。

塩船観音、霞丘陵ハイキングコースすべて満足。又、予想外の展開で金子一族の拠点となった丘陵地帯を歩けたのが本日最大の喜びでありました。また今回行けなかった岩蔵温泉には、後日会社の同僚と訪れた。七国峠から、左「岩蔵温泉」の道標に迷う事無く従ったことは、言うまでもない。

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