狭山丘陵散歩 Ⅲ:狭山湖を歩く

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狭山丘陵散歩のサードラウンド。今回は狭山湖をぐるりと廻ってみようと思う。とはいうものの、どこからスタートしようかと結構迷った。地図を眺めていると、立川から狭山湖のほうに続く線路がある。多摩モノレールである。これは、いい、ということでアプローチ決定。

ところで、今日歩く狭山湖、正式には山口貯水池と呼ばれる。狭山丘陵の柳瀬川の浸食谷を利用し昭和9年に竣工。既に工事のはじまっていた多摩湖(村山貯水池)だけでは、関東大震災後の東京の復興と人口増加による水需要をまかなえなかった、ようだ。
多摩湖もそうだが、狭山湖への水は多摩川から導かれる。小作で取水され、山口線という地下導管で狭山湖まで送られる。一方、多摩湖への導水は羽村で取水され、羽村・村山線という地下導管によって多摩湖に送られる。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

狭山湖(山口貯水池)に貯められた水は、ふたつの取水塔をとおして浄水場と多摩湖に送られることになる。第一取水塔からは村山・境線という送水管で東村山浄水場と境浄水場(武蔵境)に送られ、第二取水塔で取られた原水は多摩湖に供給される。また、多摩湖(村山貯水池)からは第一村山線と第二村山線をとおして東村山浄水場と境浄水場に送られ、バックアップ用として東村山浄水場経由で朝霞浄水場と三園浄水場(板橋区)にも送水されることもある、と言う。
狭山丘陵は多摩川の扇状地にぽつんと残る丘陵地である。狭山って、「小池が、流れる上流の水をため、丘陵が取りまくところ」の意。古代には狭い谷あいの水を ため農業用水や上水へと活用したこの狭山丘陵ではあるが、現代ではその狭い谷あいに多摩川の水を導き水源とし、都下に上水を供給している。さてと、そろそろ散歩にでかけることに。( 2月 , 2009年にブログを修正)



本日のルート:多摩モノレール上北台>県道55号線・所沢武蔵村山立 川線>武蔵村山歴史民俗資料館>野山北公園自転車道>尾根道を六地蔵に>宮野入谷戸>六道山>須賀神社>箱根ケ崎>狭山湖外周道路・北廻りコース>西久保湿地>出雲祝神社>西久保観音>大谷戸湿地>狭山湖堰堤>狭山不動・山口観音>

多摩モノレール上北台
立川でモノレールに乗り換え、上北台で下りる。前方に盛り上がる狭山丘陵が見える。山が群がったその山容が「ムレヤマ」>村山の名前の由来ともなった、とか。「群山」に向かい一路北に。青梅街道の芋窪交差点に。自動車道路道を湖に向かって登る。この道を進めば、多摩湖を左右に分けるの堰堤を経て西武ドーム方面へと続く。
尾根辺りに進むと、あれ、これって、どこかで見た景色。ここって狭山丘陵散歩ファーストラウンドで来た鹿島台。先回はここから北に、貯水池を上・下に分ける堰堤を渡ったが、今回はここから西に向かうことに。

県道55号線・所沢武蔵村山立川線
多摩湖自転車道を進む。水源保護のためか、柵があり湖は見えない。2キロ程度歩くと自転車道は県道55号線・所沢武蔵村山立川線に合流。合流といっても自転車道は自動車道脇を北に並走し、多摩湖と狭山湖の間を西武ドーム方面へと進む。
尾根道を西に進む道は一旦、この合流点で終わる。地図をチェックすると六道山方面への尾根道は丘陵を下った野山北公園からアプローチがあるようだ。自動車道を左折し、坂を下る。
坂を下り切ったあたり、学校給食センター脇に尾根道へ上る入口がある。野山北公園の入口ではないようだが、道は上に続いている。そこから上ろうとも思ったのだが、脇に案内図。この場所からすぐ下にカタクリの湯と武蔵村山歴史民俗資料館と、その脇に野山北公園がある。温泉はいいとして、どうせのことなら郷土資料館に立ち寄り、その後、野山北公園から尾根道に上ることにする。

武蔵村山歴史民俗資料館

しばらく武蔵村山歴史民俗資料館で時間を過す。狭山丘陵の成り立ちなどをちょっとお勉強。平地にポッカリ浮かぶ島といった狭山丘陵って、多摩川がつくった扇状地の真ん中に中州のように残された丘陵。西は青梅の草花丘陵、東は加治丘陵(金子丘陵)によって挟まれた扇状地。地形区分で言えば、、多摩川流域の沖積面(低地)、沖積面より一段高い立川面(立川、拝島、箱根ケ崎)、さらにその一段高い武蔵野面(東村山、小手指、所沢)の上に乗っかかる多摩面という丘陵地。ちなみに青梅の草花丘陵も加治丘陵も同じく多摩面である。常設展示はそれなりに面白かったが、手頃な郷土資料は揃っていなかった。購入書籍なし。残念。

野山北公園自転車道
資料館を離れる。ところで、資料館を少し南に下ったところに野山北公園自転車道がある。これって、羽村で取水され、地下導管によって多摩湖に送られる羽村・村山線の送水ルート。かつてここには羽村村山軽便鉄道と呼ばれる鉄道が走っていた。村山貯水場への導水管をつくるときの仮設のトロッコ道を再利用したもの。鉄道は、山口貯水場の建設工事の時に多摩川の砂利運搬のために使われた。現在は羽村から神明緑道としてはじまり、途中横田基地で途切れた後、この地まで野山北公園自転車道として続いている。
この自転車道は、この先丘陵地に潜り込み、1号隧道(横田トンネル)、2号隧道(赤堀トンネル)、3号隧道(御岳トンネル)、4号隧道(赤坂トンネル)として続き、その先の5号隧道は行き止まり。トンネルは多摩湖畔西岸まで続いている、ようだ。自転車道への寄り道は、今回は時間がないのでパス。そのうちに歩いてみよう。

尾根道を六地蔵に
資料館を離れ野山北公園に。野球などに興じる親子連れの姿を眺めながら尾根道へ上る。アスレチック広場もあるイントロ部分から次第にいい感じの雑木林。尾根道を進むとほどなく六地蔵へ。明治時代赤痢が大流行し、付近の村で51人が死亡したのを供養するために建立されたもの。

宮野入谷戸
さらに進むと、宮野入谷戸への分岐。里山や田圃などが残る、ということであり、再び尾根を下る。比高差もそれほどなく里山民家のあるエリアに。江戸時代の母屋を再現した茅葺き屋根の民家など里山の生活様式に触れる環境がつくられているようだ。田舎生まれ故に、古い民家はそれほど珍しくもなく、ちらりと眺め先に進む。
里山民家の西に岸たんぼ。水田体験を楽しむ水田のよう。田圃を見ながら先にすすむと宮野入谷戸。谷戸に沿って尾根にのぼるルートがある。谷戸の最奥部あたりは湿地。崖下から滲みだす地下水は如何にも、いい。武蔵村山歴史民俗資料館の展示コーナーの「丘陵と台地に生きた人々」で、往古丘陵地に住んでいた人々は、次第に丘陵地を下り谷戸で生活するようになった、とあったが、こういった湧水のある谷戸で生活したのであろう、か。

六道山
湧水、そして里山の風景を楽しみながら、里山ふれあいコースを進み尾根に戻る。尾根道に上り先に進むと六道山公園に。標高192m地点にある展望台は高さ13m。晴れたときには富士山、秩父連山、新宿のビルなども見渡せる、とか。
展望台を少し西に進んだところに出会いの辻。昔、狭山丘陵山麓の村に通じる六つの道がここで「出会って」いた。六道山の名前の由来でもある、とか。現在、尾引山遊歩道、石畑新道遊歩道、台坂遊歩道、天王山遊歩道、大日山遊歩道、高嶺山遊歩道といったハイキングコースがこの出会いの辻に向かって里から続いているが、こういった遊歩道が昔の里を繋ぐ道の名残であろう、か。

須賀神社

出会いの辻から台坂遊歩道、天王山遊歩道、大日山遊歩道といった遊歩道が尾根で合流するあたりに進む。なんとなく遊歩道の雰囲気を見たかった、ため。と、合流点近くに須賀神社。ちょっとお参り。やまたのおろちを平らげて、「我、この地に着たりて心須賀、須賀し、」といったかどうだか、素盞嗚命(スサノオノミコト)をおまつりする。ここ以外にも尾根道脇に同じく須賀神社がある。
須賀神社は島根と高知に多い、とか。元は「牛頭天王社」と呼ばれていたことろが多いようだ。牛頭天王って、インドで仏様のお住まいである祇園精舎の守り神。その猛々しさがスサノオのイメージとはなはだ近く、スサノオ(神)=牛頭天王(仏)と神仏習合された、と言われる。スサノオ、と言えば出雲の暴れん坊。先日の氷川神社と同様、この地を開拓した出雲族の名残であろう、か。


箱根ケ崎
遊歩道を下ったところが箱根ケ崎。国道16号線、青梅街道、新青梅街道、岩蔵街道(成木街道)、羽村街道と多くの道筋が交差する交通の要衝。昔も、鎌倉街道、旧日光街道、青梅街道などが通り、箱根ケ崎宿があったところ。9軒の宿があった,と言う。狭山神社、浅間神社といった神社も多く、また円福寺といった堂々としたお寺様も残る町である。旧日光街道は、八王子から日光勤番に出かける八王子千人同心が往還した道筋である。
ところで、箱根ケ崎という名前が気になった。由来を調べると、源義家が奥州征伐のとき、この地で箱根権現の夢を見、この地に箱根(筥根)大神を勧請した。それが現在の狭山神社である、という説、がある。また、瑞穂市教育委員会編「瑞穂の地名」によれば、この地の地形が箱根に似ていたの箱根神社を勧請。で、この地が箱根より先(都より遠くはなれた)ところであるので、「はこねがさき」となったとの説もある。例によってあれこれ。
町中に狭山池という残堀川の水源にもなっている池がある。これって鎌倉時代に「冬深み 筥の池辺を朝行けば 氷の鏡 見ぬ人ぞなき」と歌われているように、昔は「筥の池」と呼ばれていた。この地が古くから伊豆の箱根(筥 根)となんらかの関係があったことは間違いない、かと。この箱根ケ崎の町は、数回来た事があるのだが、通り過ぎるか、六道山への遊歩道に向かう出発点といったところ。そのうち、狭山池、残堀川など、のんびり歩いてみたいもので、ある。

狭山湖外周道路・北廻りコース

さて、出会いの辻から尾根道、というか狭山湖外周道路・北廻りコースを先に進む。フェンスで中には入れないが、道の南の谷筋は金堀沢。現在は狭山湖で断ち切られて入るが、元々は柳瀬川の源流といったことろ。また、この金堀沢には引入隧道口と呼ばれる導水路がある、と。これって小作から取水され、地下の導水管を通り狭山湖に送られる多摩川の水の出口。実物を見てみたいのだが、現在金堀沢への立ち入りは禁止されているようだ。少々残念。導水管は狭山池の少し北の地下を一直線に狭山丘陵に伸びている、とか。

西久保湿地
しばらく歩くと西久保湿地への分岐。谷戸の湧水、というだけで心躍る我が身としては、一も二もなく尾根を下りる。谷戸田では古代米なども栽培されている。谷戸の奥に進む。じわり、と湧く水を飽きもせず眺める。木橋の道を離れて、湿地にはいってみたいのだが、要所要所に「マムシに注意」の警告。マムシの写真に睨まれると足がすくみ先に進むのを断念。

出雲祝神社
湿地を眺めながらしばし休息。 地図をチェックするとすぐ下の里に出雲祝神社と西久保観音。特に、出雲祝神社と言う、いかにも有難そうな名前に惹かれる。お隣にある大谷戸湿地に廻る前にちょっと寄り道。西久保湿地を離れ、民家の間を少し下ると神社入口。落ち着いた雰囲気。参道を進みお参りを。
出雲祝神社は文字通り、出雲族が祭った神様。氷川神社、須賀神社とは異なり、ストレートに出雲を示す名前である。そもそも出雲族そのものがはっきりしてはいないようだが、単に現在の島根県・出雲にいた豪族のみを指すものではないようだ。
大雑把に言って、大陸・朝鮮半島からの渡来系王朝・崇神天皇からはじまるいわゆる征服系王朝に対して、それ以前に日本国内で有力であった勢力すべてを総称したキーワードっぽい名称。古事記や日本書紀にある、渡来系王朝の神・アマテラス系天津神に対する、オオクニヌシ系国津神の神々をまつる勢力の総称、とか。梅原猛さんの『神々の流竄』によれば、新しい神さまとして仏教をいれてはみたものの、仏教のもつ四海皆平等って発想では、律令制度のもと中央集権国家を目指す王朝としては具合が悪い、ということで、神々のディレクトリーを整理し、伊勢神宮を大陸系征服王朝の「神」として置き、それ以外の神々を出雲の地に流す。出雲大社をシンボルとして「流竄されて」しまった神々をまつる、物部氏を筆頭とする旧勢力の総称が出雲族ってことのようだ。
武蔵に出雲系神社が多いのは、大陸系王朝の覇権から逃れこの地に移り住んだ氏族が多かったためか、大陸系王朝の政策により物部氏といった既存勢力を地方開拓の行政官として重用した結果なのか、実際、武蔵の国造は物部氏であり、武蔵一ノ宮の氷川神社をつくったのもこの物部氏であったわけで、専門家でもないのではっきりとはわからないけれども、こういった状況が複合的に重なった結果であろう、と納得しておく。
で、この出雲祝神社、由緒書によれば、延喜式入間五座の一に列せられ、郡第一等の社格。景行天皇の御代創立という。奈良時代に、ここの出雲伊波比(いずもいわひ)神さまが、中央政府からのお供えがない、とお怒り。ために、政府の米倉・正倉を燃やしたとかいう話が伝わっている。実際は、中央政府を快く思わない地方豪族が正倉を燃やし、それを神さまのせいにしたのだろうが、 それはともかく、この神社は、それほど昔からあった古い神社ではある、ということか。

境内奥に廻ると「茶場碑」。狭山茶の由来が書かれてある。お茶が日本で本格的にひろまったのは、臨済宗の開祖、栄西禅師が中国・宋から種子を持ち帰り、栽培するとともに、「喫茶養生記」を著したのがきっかけ。狭山地方に初めてお茶がもたらされたのは、鎌倉時代。京都の高僧明恵上人が「武蔵河越の地」に栽植したのがはじまりとのこと。そして、狭山茶として本格的にスタートしたのは、江戸時代。19世紀初頭頃、この出雲祝神社のある入間市宮寺の吉川温恭、村野盛政たちが自家用茶ではなく、商品として売るため茶園をつくってからだという。
このあたりだけでなく、入間から狭山にかけて誠に茶畑が多い。先日入間の入曽から箱根ガ崎まで、なにするともなく歩いたことがあるのだが、至る所の茶畑に、茶所狭山をあたらめて実感した次第。

西久保観音

茶場碑脇にお寺の屋根。辿ってゆくと西久保観音。8世紀前半、行基が開いた、と。行基はいたるところに現れる。縁起は縁起としておこう。安産祈願で有名なこの観音様の境内には樹齢800年と言われるカヤの木。境内とはいっても滑り台があったり、児童公園といった雰囲気ではあった。観音さまにお参りをすませ次 の目的地である大谷戸湿地に向かう。

大谷戸湿地

成り行きで里を歩き、西久保湿地に戻る。そこから道標に従い大谷戸湿地に向かう。 林の中を進み、一度狭山湖外周道路の尾根道の支尾根に上り、再び谷に向かって林の中を進むとほどなく大谷戸湿地に。深い谷戸の奥に近いあたりのようだ。名前に違わず、如何にも、大きな谷戸といった景観。西久保湿地に比べ、少々荒々しい、というか人の手が入っていない様子の谷戸の景色を楽しむ。ここでも、じわりと滲みだす湧水を飽きもせず、眺めた後、狭山湖外周道路に戻る。

狭山湖堰堤
道標に従い尾根道に向かって上る。それほどの比高差はないのですぐに尾根道に合流。あとは一路、狭山湖堰堤に。湖面側はフェンスがあり見晴らしがあるわけではない。北側はところどころ、里に下りる分岐路のことろあたりで風景が開ける。トトロの森5号地を越え、早稲田大学所沢キャンパスの南をかすめ、トトロの森4号地の脇を続く道を進み、狭山湖堰堤に到着。4キロ弱といった行程えあった。

狭山不動・山口観音
堰堤でしばし湖や、堰堤下から続く柳瀬川の谷筋、そして、その東に広がる遠景を楽しみ、狭山山不動寺に。このお不動さんは西武鉄道が建てたもの。芝プリンスホテルを増上寺徳川家霊廟のあったところに建てるに際し、そこに残る建物をこの地に移した、と。国の重要文化財なども有るお寺さまではあるが、なんとなく新しく建てられた、って印象のギャップがあるのは、そういった事情であろう、か。お隣には山口観音。こちらは新田義貞が鎌倉攻めのときに戦勝祈願をしたとも伝えられる古いお寺さま。ダムができ、遊園地が出来る前からこの地にあったのだろうが、現在はマニ車があったり、中国風東屋、ビルマ風パゴダなどが、いまひとつ、よくわからない。足早に先に進み西武球場前駅に歩き本日の予 定終了。

3回に渡った狭山丘陵散歩、思った以上に素敵であった。何度も繰り返すが、森の香りの素晴らしさはなにものにも替えがたい。丘陵地帯の森も、結構奥深そう。柳瀬川、空堀川といった川沿いの散歩もよさそう、などなど「狭山丘陵・散歩への誘い」、メモを書きながら結構強くなってきた。 


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