尾瀬散歩 Ⅱ;尾瀬沼を歩く

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2日目。本日の予定は尾瀬。大江湿原と尾瀬沼に。352号線を内川まで。ここで401号線と合流。352号線と401号線が共存する道を南下し檜枝岐に向かう。



檜枝岐
檜枝岐歌舞伎でよく聞くこの村、尾瀬への福島側から玄関口。江戸時代からの伝統を誇る歌舞伎、しかも、村人、といっても先回のメモのあるように、平家であり、藤原であり、橘である、といった貴種の末裔の誇り高い人たちだろうと思うが、その村人が自ら江戸からもちこんだ手作りの歌舞伎で有名である。であるからして、結構鄙びた村かと想像していた。が、村の造作は少々情緒に欠ける。ガイドの星さんの言によれば、この村、福島で個人所得の最も高いところである、と。観光・民宿で潤っておる。また、ダムの補償もあるとのこと。

沼山峠駐車場
ともあれ、檜枝岐を越え、御池に向かう。途中七入に大きな駐車場。水芭蕉の咲くハイシーズンには、マイカーはここで乗り入れ規制。シャトルバスで沼山峠に向かうことになる。今、8月のお盆はハイシーズンを越えており、御池まで乗り入れできる。ここの駐車場でシャトルバスに乗り換え20分くらいで沼山峠駐車場に。
バスを降り森を歩く。森の中のえも言われぬ「森の香り・フィトンチッド」、この香りは何ものにも変え難い。実は、森の香り感動した体験がある。何ヶ月か前、狭山丘陵の森を歩いていたとき、本当に心身とも癒される、少々叙情感に乏しい私でも本心感動した森の香りに出会ったことがある。ここの森の香りはそれほど「しびれる」香りではなかった。が、身体一杯に香りを吸い込む。木道として整備されたゆるやかな登り道を15分程度登り、沼山峠の展望台・休憩所に。標高1781メートル。燧ヶ岳(標高2,356メートル。東北地方の最高峰。ひうちがたけ)や日光連山、尾瀬沼が見えてきた。

大江湿原

展望台から下ること20分程度、大江湿原に下りる。湿原の道をゆるやかに歩く。ニッコウキスゲ、水芭蕉、ツリガネニンジン、コハギボウシなど私にとっては宝のもちぐされといった感無きにしも非ず。が、湿原の中をただ歩く、というだけで、それだけで十分である。本当に素敵であります。草花で唯一アテンションが懸かった、というか、これ か!といった按配でガイドの星さんの説明に聞き入ったのは、トリカブト。先日の石神井川散歩の折、推理小説家内田康夫さんの隠れファンであることをメモしたが、彼の小説にはトリカブトがよく出てくる。が、どんなものか実物をみたことがなかった。いや、まさに兜をかぶっている。しかも、西洋風の兜を。トリカブト殺人事件というくらいであるので、毒草ではある。ともあれ実物を見て結構満足。

尾瀬沼東端

湿原のなかをゆっくり歩き沼山峠の休憩所から3.3キロ、ほぼ1時間弱。尾瀬沼東端に着いた。休憩所・尾瀬沼ビジターセンターがある。長蔵小屋がある。この山小屋は、尾瀬の自然を林道開発の「乱暴」から守った平野さんの経営する小屋。ちなみに大江湿原から尾瀬沼に歩く途中に平野家3代のお墓のある小さな「丘」があった。国立公園の中に個人・私人のお墓がある。平野さんの功績は国レベルのことであったということだろう。ちなみに平野さんは檜枝岐の出身。

尾瀬沼
尾瀬沼 は標高1,665m。燧ヶ岳の噴火によりせき止められてできた沼。これまたお恥ずかしい話であるが、尾瀬に尾瀬沼と尾瀬ヶ原があるってことも知らなかった。尾瀬は所詮尾瀬であり、そこが端から端まで、尾瀬沼から尾瀬ヶ原まで何キロもあるような広大な地域であることなど想像もしていなかった。沼を半周、というか四分の一周し三平下の休憩所まで歩く。途中、燧ケ岳のすばらしい眺めが。燧=ひうち=火打ち、といかにも火山のイメージが強い名前の由来もあれば、雪渓が「火ばさみ」に見えるから、といった説など燧ケ岳の由来はこれも例によっていくつか。ちなみに私の田舎愛媛県の瀬戸内に広がる海のことを燧灘と呼ぶ。この燧の由来も「日映ち=夕日に映えていかにも美しい海」だから、とか、星にまつわる伝説とかこれも、いくつかの説がある。

星伝説というのは、愛媛県伊予三島市のとある神社で大山祇(おおやまづみ)の神を迎えるに際し、海が荒れた。荒ぶる海を鎮めるべくお祈り。山に赤い星のような火が現れて海を照らす。と、海の荒れがおさまった。以来その山は赤星山、海を日映灘(燧灘)と呼ぶようになったとか。燧ケ岳の名前の由来も、星さん、星の里、といった展開で新たな由来の解釈もあるかもしれない、か?

三平下
三平下で休憩。ここの休憩所に立体地形図、立体地形模型図といったほうが正確だが、東京電力がつくった立体モデルがあった。尾瀬沼と尾瀬ヶ原を取り巻く地形を、標高差を実感しながら「鳥瞰」できる。尾瀬沼から尾瀬ヶ原にゆったりと傾斜し、尾瀬沼・尾瀬ヶ原からの流れが只見川となって三条ガ滝へと落ち込んでゆく。いやはや、百聞は一見にしかず、であるよなあ。

尾瀬へのアプローチはいくつかある。そのひとつが、群馬からこの三平下に出るコース。群馬県の大清水から一之瀬(登り60分)、三平峠を越えて三平下(登り150分)に至る、これは結構のぼりがきついとのこと。

沼田街道

このルート、地図を見てはじめて分かったのだが、国道401号線の一部?国道が「尾瀬を横切っている」?会津から桧枝岐・御池まで続きていた401号線が突然「切れ」、群馬の大清水あたりから突然「現れる」?調べてみると、この国道、昔は沼田街道と呼ばれ、会津若松から群馬県の沼田市、昔風にいえば、会津と上州を結ぶ交易路。徳川時代に沼田城主真田氏の命で道が整備され、会津側からは米や酒、上州側からは油や塩・日用雑貨などが、尾瀬沼のほとりの三平下のあたりで盛んに交易されていた。
また幕末の戊辰戦争(1868年)の際に会津軍は、沼田街道を通って官軍が侵攻してくることに備え、大江湿原に防塁を築いたとのこと。会津軍は尾瀬を越え、戸倉で交戦したためこの地で戦いは行われなかったが、まかりまちがえば尾瀬に戊辰戦争戦跡地の碑が立ったかもしれない。ともあれ、尾瀬も今では観光地、癒しの地であろうが、ちょっと昔までは生活道路であったわけだ。尾瀬の評価が定まったのはいつの頃からなのだろう。 いつの頃から皆が「有難く」思うようになったのであろう。後日調べてみたい。

三平下で休憩後、今来た道を逆に戻り、大江湿原・沼山峠を越え、沼山峠駐車場に。あとはホテルに戻り、本日の予定は終了。片道一時間半強といった尾瀬の散歩ではあった。
昨日の駒止湿原のところでメモしたが、一般的に言えば、湖沼というものは、湖から沼で、沼から湿原へ、湿原から草原へと変わってゆく。今回歩いたこのルート大江湿原、尾瀬沼ではこの沼と湿原が同時にみることができた。10万年前、燧ケ岳の噴火でせき止められた川(大江川であり沼尻川)は湖となり沼となって窪地に満々と水をたたえる。湖は悠久の時間の中で周りから土砂が流入したり、植物が進入したり、川の解析作用が進み、徐々に浅くなってゆく。浅くなった湖に はヨシとかスゲとかミズゴケといった水生植物が堆積し泥炭化し湿原がつくられる。それは7000年前かはじまった。そして、悠久の時間の流れの中で、尾瀬沼は湿原となり、大江湿原は草原となっていくのであろう。

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