渋谷川水系散歩 Ⅰ;渋谷川を辿る

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今日1月8日は娘の誕生日。誕生日を記念して今年はじめての散歩メモ:正月2日、親戚一同が原宿に集まる。恒例の行事。子供たちにとっては、お年玉を一挙に手に入れるお楽しみの催しではあった。その子どもたちもひとりは大学生、そしてもうひとりは来年大学生。それはともかく、
例年、自宅のある杉並・和泉から原宿まで往復を歩くことにしている。
この原宿から和泉へのルート、お正月だけでなく頻繁に歩く。年末にも原宿で忘年会をしたときも、夜中に自宅まで歩いた。ルートはいろいろ。が、大きく分ければコースはふたつ。和泉から井の頭通りを歩き、代々木公園から原宿駅そして表参道へのコース。もうひとつは和泉から甲州街道を笹塚まで進み、そこから小田急・代々木上原駅、小田急代々木八幡駅を通り代々木公園、原宿駅、表参道に至るルート。途中いろいろと、そのときの気分に応じて、あれこれ分岐はする。が、このふたつが幹線。。
井の頭ルートは比較的単調な地形。唯一変化があるのは、代々木上原駅の南に広がる上原2丁目、3丁目あたりの台地と富ヶ谷の低地。地形のうねりを感じる。一方の笹塚から代々木八幡に抜けるルートは台地と谷が複雑に入り組む変化に富んだ地形。台地末端部の谷、これを開析谷と呼ぶようだが、武蔵野台地が河川によって開析された谷・開析谷が樹枝状に、至極複雑に分布する地形となっている。
台地と開析谷のコントラストは代々木八幡から先の地形がもっとはっきりする。谷筋の山手通りを越える。そこから初台台地の先端に位置する代々木八幡に登る。そして小田急線の走る谷筋に下る。更に代々木公園の台地に登る。台地と谷のコントラスト、地形のうねりをカラダで感じることができる。
で、いったいどういう凸凹になっているのか、カシミール3Dで地形図を作ってみた。いやはや、想像通り、というか想像以上の凹凸。地形図を見ながら、それぞれの谷筋を辿ってみたい、と思った。(日曜日, 1月 08, 2006のブログを修正(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)



渋谷川水系のまとめ
ふと考えた。よくよく考えた。谷筋って、川が流れているはず。とはいうものの、川などありゃしない。が、理屈の上では川が流れていたはず。ということで、西は笹塚から東は原宿、北は幡ヶ谷、南は渋谷にかけての武蔵野台地を開析した川筋・水系跡を探し・辿る散歩をはじめることにした。

カシミール3Dでつくった地形図を見る。東から西に;
1. 新宿御苑から千駄ヶ谷にかけての台地
2. 明治通りに沿った谷筋・開析谷
3. 明治神宮から代々木公園にかけての台地
4. 参宮橋から渋谷に走る谷筋・開析谷
5. 初台から代々木八幡神社にかけての台地・初台台地
6. 山手通りの谷筋・開析谷
7. 甲州街道の幡ヶ谷・初台の中間点から山手通りに斜めに走る谷筋・開析谷
8. 笹塚・幡ヶ谷から代々木上原駅にかけての台地・幡ヶ谷台地
9. 代々木上原から代々木八幡にかけての谷筋・開析谷
10. 代々木上原から駒場にかけての台地

台地と谷が複雑に入り組みながら広がっている。そしてこの谷筋を流れる川はすべて渋谷駅前に流れ込む。正確には流れ込んでいた。東から
1. 新宿御苑、明治神宮の東の谷筋を流れる渋谷川
2. 明治神宮の西の谷筋を流れる宇田川
3. その支流の河骨川、初台川、徳川山支流、富ヶ谷支流

これらすべての川が現在の渋谷駅前に流れ込み、渋谷川に一本化される。それまで暗渠であった川筋は渋谷駅の南、246号と明治通りが交差するあたりで開渠となり、明治通りに沿って南下する。渋谷川水系、渋谷川・宇田川・その他の支流巡りをはじめる。第一回は、渋谷川。源流点から合流点まで散歩しメモする。

渋谷川の源流点・新宿御苑内の湧水
渋谷川の源流点は新宿御苑内にある湧水池。御苑は信州高遠藩・内藤家の屋敷跡。馬術の名手内藤清成が家康候が鷹狩の折、家康より「馬にて一息に駆け抜けた地を屋敷として与える」ということで手に入れたという。

多武峯内藤神社
御苑そばに多武峯内藤神社。内藤清成が乗った馬が供養されている駿馬塚(しゅんめづか)がある。この神社は内藤家の屋敷神。内藤氏の先祖があのムカデ退治・平将門討伐の藤原秀郷とか。藤原氏の氏神多武峯神社を勧請したという。ちなみに新宿の大宗寺は、内藤氏の菩提寺。

新宿御苑
御苑内を歩く。千駄ヶ谷門近くに連なる池がある。これが水源なのだろう。池の端から御苑外に向う川筋があった。ここから始まる渋谷川の流れは、御苑角にある四谷大木戸・玉川上水からの分水、御苑内にある玉藻池からの流れも集め、新宿御苑に沿って下り、大京町の交差点付近からは外苑西通りに沿って流れる。

大京町交差点
御苑に沿っては開渠というか、川筋がはっきり認められる。もっとも水の流れはなにもない。また、大京町の交差点手前で開渠が暗渠になる地点が道路脇にある。

龍厳禅寺で外苑西通りを離れる
大京町から下る川筋は外苑西通りの観音橋交差点、仙寿院前交差点を越え、龍厳禅寺あたりで外苑西通りを離れ南西方向に斜めに流れる。観音橋って、いかにも川筋。仙寿院は徳川家康の側室お萬の方(紀伊徳川家祖徳川頼宣の生母)のゆかりのお寺。江戸名所図会をみると、広大な寺域。門前に小川と橋。渋谷川だろう。江戸切絵図にも、このお寺の前を流れる渋谷川が描かれている。ちなみに、池波正太郎の鬼平犯科帳に「近くの仙寿院という寺の門前を流れる小川に架けられた橋を渡ったのはおぼえているが。。。」といった描写があった。

玉川上水原宿村分水の川筋と合流

龍厳禅寺で外苑西通りを外れた川筋は神宮前3丁目から明治通りにつながる道筋と福祉センター入口手前で交差。このあたりで渋谷川は新宿御苑の西を流れる支流・玉川上水原宿村分水の川筋と合流する。この支流・原宿村分水は文化女子大の近くで玉川上水から分水された水。

明治通りに沿って南下
代々木小学校、小田急南新宿駅、代々木駅前、明治神宮・北参道を神宮の森に沿ってくだり、千駄ヶ谷3丁目西交差点あたりで明治通りに接近。通りに平行に合流点までくだる。少々の蛇行を繰り返しながら表参道との交差点に進むこの道筋は、いかにも「暗渠」道。川筋がはっきりわかる。道の両側には小洒落たお店が並ぶ。

表参道
表参道との交差手間で、支流がもうひとつ合流。明治神宮の湧水池から流れ出し、竹下通りの南を進み明治通りと交差しながらの川筋だ。表参道と交差。参宮橋という橋の名残が残る。とはいうものの、表参道そのものは大正9年にできたわけで、それ以前、先ほどの江戸切絵図によれば、江戸時代このあたりは百姓地・畑である。
ちなみに青山通りから表参道にかけての江戸の風景は、青山通りに沿っては百人町といって御家人の家が軒を連ね、表参道の入口あたりに善光寺。信州善光寺別院。本堂手前左には勝海舟撰文の高野長英顕彰碑。表参道のあたり一帯は松平安芸守、松平近江守、それと井上英之助の屋敷で占めている。

宮下公園あたりで明治通り

散歩に戻る。表参道を越えた川筋は再び小洒落たお店の賑わいを進み、宮下公園あたりで明治通りと合流。合流点手前の神宮前5丁目27に穏田神社。江戸切絵図では第六天社と。もとこのあたりを原宿、穏田と呼ばれていたわけでその名残。明治通りを交差した川筋は、宮下公園、東急インの裏手を流れ駅南の開渠地点へと続く。
ともあれ、渋谷川水系のひとつ、というか幹線・渋谷川。新宿御苑の西の谷、東の谷、つまりは両側の谷筋から水をあつめ、明治神宮というか代々木公園の台地の東側を渋谷に流れる川筋が渋谷川である。

水系近辺の忘備メモ;甲州街道と明治通りが交差する追分の地に天龍寺。家康の側室・西郷の局の実家・戸田家の菩提寺・法泉寺が前身。西郷の局は二代将軍秀忠の生母でもあり、10万石待遇の格式ある寺であった、とか。いかにも鉄筋の本堂はいただけないが、そばにある鐘楼は「時の鐘」として有名。江戸登城にここからでは少々時間がかかるにので、少しはやめて時刻をしらせていたとか。粋な計らい。東京近郊名所図会;『時の鐘、天竜寺の鐘楼にて、もとは昼夜鐘を撞きて時刻を報せり。此辺は所謂山の手にて登城の道遠ければ便宜を図り、時刻を少し早めて報ずることとせり。故に当時は、天竜寺の六つで出るとか、市谷の六つで出るとかいいあえり。新宿妓楼の遊客も払暁早起きして挟を分たざるを得ず。因て俗に之を追出し鐘と呼べり』、と。 


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