尾瀬散歩 Ⅰ;駒止湿原を歩く

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夏が来れば思い出していた、尾瀬に行く事にした。行きたいのだけれども二の足を踏んでいたのは、どこからどのルートで行けばいいのか?どのルートが大変で、どのルートが簡単なのか?日帰りができるのか?車の規制とかなんとか大変そう。と、よく調べれば分かりそうなことを理由に躊躇していた。が、いかなることか、家族で行ってみようと誰かが声を上げた。私ではない。で、言い出しっぺがいろいろ段取りを組み、会津高原にホテルを探し、かつまた、ホテルが主催するガイド付きの尾瀬散策ツアー・初心者向きを予約した。我々年代はあの「夏の思い出」の歌に、そこはかとない郷愁を感じるわけで、「水芭蕉の花が咲いている」尾瀬を思い起こすわけで、しかしながら、こどもたちは「夏の思い出」といえば、ケツメイシでしょう、といった、家族内での思いの濃淡を残しながら、ともあれ家族で尾瀬への道行きと相成った。

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会津高原下車

東武浅草駅から特急SPACIAにのり、下今市まで。下今市から新藤原までは東武本線鬼怒川線。隣のホームで待っていた。新藤原から会津高原へは野岩鉄道。乗り入れをしているので、これも隣のホームで待っていた。
会津高原下車。ガイドさんに迎えられる。星さん。この地方には多い名前であると。少々先走った話となるが、尾瀬への登山口、田舎歌舞伎で結構有名な檜枝岐村、星さん、平野さん、橘さんが非常に多いとのこと。平野は平、この村平家の落人伝説があるくらいだから当然か。星さんは藤原家の一族が棲みついた星の里から、橘は楠正成の流れをくむ武将橘氏から。平家の落人、源氏の落人、都落ちした公卿、戦に破れた戦国武将などなどが隠れ棲んだといった伝説に満ち満ちた この地ならばこそのありがたい、名前が満ち満ちている。それにしても日本の公卿になり得る四大姓、源、平、藤原、橘のうち3つをもっているとは。ガイドの星さんが、檜枝岐村は嫁、婿以外の移住は認めないと聞いたとき、えらい閉鎖的な村であるなあ、などと感じたが、貴種存続の歴史的使命を果たしているのかと納得。

会津西街道

ともあれ、世が世であればの、星さんの車で駒止湿原に。のんきなことに、駒止湿原が尾瀬とはまったくの別物、場所も会津高原を隔てて北・南であることがはじめてわかった。国道121号線を会津田島方面に北上。国道121号線は会津西街道、とも南山通りとも、下野街道とも呼ばれる。会津藩が参勤交代で江戸へ向かうために整備された往時の産業・文化のメーンルート。戊辰戦争のときに、官軍が会津に攻め入った道でもある。山川浩(大蔵)、佐川官兵衛といった魅力的な会津の知将・猛将もこの街道を転戦したのだろうか。調べてみよう。

駒込湿原
会津田島の手前で289号線に合流。左折し静川あたりで右に折れ旧道に。駒込峠のあたりに駒込湿原があった。標高は1000から1100メートル。会津高原が730メートルだから結構登ってきた。湿原は大谷地、白樺谷地、水無谷地の3つの湿原群から成る。植物にはとんと興味もなく、ただ歩きたいだけの私にはもったいない、猫に小判の世界。ともあれ、1時間ほど、大谷地、白樺谷地の途中まで歩く。ブナ、とダケカンバの違い、食虫植物の毛氈ゴケはなんとか覚え た。季節外れで姿・形のない水芭蕉、ニッコウキスゲの花を「想像」しながら、駒止湿地を後に。

帰りは駒止峠方面に。峠のある1100メートルから国道289号線のある地点、標高730メートルまでつづら折れの道を一気に下る。車窓から奥会津の山々が美しい。火山活動によると思える、なんともいえない山の相・姿がある。南会津の地形は過去、地質時代に起きた大規模火砕流噴火の遺物であり、火砕流大地と陥没地形が箇所に沢山残っていると言われる。いかにも「不自然」な山の相・姿が魅力的である。

駒止峠の由来は坂があまりにも急で馬を止めて休ませなければならなかった、とか、高倉宮以仁王の馬の歩みを止めた難路とか。以仁王 (もちひとおう)って平氏追討の命令を出した後白河天皇の皇子。1180年,源頼政の勧めにしたがって平氏追討の令旨(りょうじ・命令文書)を諸国の源氏に下し,挙兵をうながしたが事前に発覚。以仁王を支持する奈良の興福寺に向かう途中,宇治(京都府)の平等院で平知盛(とももり)・重衡(しげひら)らの追撃を受けて源頼政とともに戦死した、はず。実は、落ち延びてこの地にって、よくある伝説。

しかし、この地方には以仁王伝説が多い、いたるところにある。檜枝岐にもある。山を越えた群馬の片品にもあるらしい。植物の名前にまで以仁王に由来のものがある。アカミノアブラチャン。全国の山野にふつうに見られるクスノキ科クロモジ属の落葉低木であるアブラチャンの変種。赤い実をつけるというこの変種では、全国でも、只見町大字長浜地内だけに自生しているもの。伝説では、高倉宮以仁王と平家方の大戦闘がこの地で行われ、以仁王の郎党が平家の武将の首をはねた折、この辺一帯に野生していた黄緑のアブラチャンの実へ血潮が飛び紅く染めた。その後、この地に育つアブラチャンの実が紅くなったと言われている。 

サラサドウダンという県天然記念物のツツジ科ドウダンツツジ属の大木は、伝説では、高倉宮以仁王が越後小国に逃れるとき尾瀬より持ってきたもの、と伝えられている。平家の落人だけでなく源氏の貴種の落人も包み込んだ隠れ里であったのだろう。289号線を進み、401号線・沼田街道と合流。南下。内川で352号線に左折。舘岩村の会津高原のホテルに入り、本日の予定終了。

駒止湿原がどのようにしてできたのか、地質の専門でもないので、いかにも自分が納得できるようまとめるとすれば、火山活動で川が堰どめられる。溶岩台地といったところであるので水はけが悪い。湖ができる。沼になる。湿原になるってプロセスを悠久の時間の中でへてきたのであろう。で湖沼ファイナルステージは草原。駒止湿原も悠久の時間を経て日光の戦場ヶ原のような草原になるのだろう。明日は尾瀬である。

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