千葉 印旛沼散歩 そのⅡ;西印旛沼から新川を経て勝田台に

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西印旛沼から新川に歩き、勝田台に

印旛沼散歩の2回目。今回は佐倉からスタートし、印旛沼疎水の新川を歩き、成行きで勝田台まで下ろう、と。

何がある、というわけではない。ただひたすら、印旛沼の水を東京湾に流すために開削された水路、新川ってどういうものだろう、といった好奇心、故。






本日のルート:京成線・佐倉>台地上の城下町>佐倉城跡>鹿島川>西印旛沼>歴史民俗資料館>再び新川筋に>阿宗橋>京成線・勝田台駅


京成線・佐倉
都営新宿線で元八幡に。そこで京成線に乗り換え、一路佐倉へと。例によって駅前で観光案内をチェック。駅の直ぐ前に観光協会がある。
南口を進み少し大きい道路との交差点の角にある観光協会に入る。佐倉や臼井(うすい)の資料を入手。佐倉はともあれ、臼井って何処だ?そういえば、その昔この地に覇を唱えた千葉氏の関連で、どこかで聞いたような、そうでないような、といった程度の事前知識。が、あれこれ見どころもあるよう。途中時間があれば、寄り道でもしてみよう、ということに。
台地上の城下町 観光協会を出る。南に小高い丘。丘とか台地を見ればとりあえず上りたい、ということで、あてもなく台地に上る。住宅が建ち並ぶだけで、これといって見どころがあるわけでなないのだが、のんびり台地上を散策。住所は鏑木町。メモをするため地名をチェックしていると、台地下にも鏑木町が飛地のように残っている。中世期に鏑木村であったところが、台地上に佐倉の城下町ができたため、分断されてしまった、とか。 そうえいば、駅に下りても、どこに城下町の面影があるのかはっきりしなかった。この台地上にあったわけだ。(「この地図の作成にあたっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平21業使、第275号)」)

地図をチェックすると、東から延びる舌状台地上に神社・仏閣、そして公的機関が集まっている。そして台地の西の端に佐倉城址・現在の国立歴史博物館がある。台地上にお城がある、ってことはよくあるが、城下町が台地上にあるって、あまり聞いたことがない。佐倉の城下町の特徴、ということであろう、か。

佐倉城・城下町のメモ;本佐倉城に移封されていた老中・土井利勝が家康の命により慶長16年から元和3年の7年をかけて、築城半ばで廃城となっていた戦国期の鹿島城跡に佐倉城を築城。その周辺に城下町をつくった。以来西の小田原、北の川越などとともに江戸防衛の要衝として徳川譜代の有力大名が封ぜられる。老中も多く輩出したため『老中の城』と呼ばれた。築城から明治維新までの258年のうち141年に渡ってこの地を治めたのが堀田氏。幕末に筆頭老中として日米修好通商条約を締結した堀田正睦(まさよし)が有名。(「ブラリ佐倉へ;佐倉市観光協会」より)。
ちなみに本佐倉城とは、佐倉から東に3キロにある下総の有力氏族・千葉氏の本拠地。千葉氏とは言うものの、もともとの下総守護でもあった千葉宗家を滅ぼし、この地に居を構え「千葉氏」を称した千葉氏の重臣・馬加氏ではある。千葉宗家と区別するため後期千葉氏とも呼ばれる。ともあれ、その千葉氏が文明年間(1469~1486)に築城、天正十八年(1590)に豊臣秀吉により滅ぼされるまで9代に渡り居城した。千葉氏滅亡後は徳川一門が陣屋を構えていたわけだ。

佐倉城跡
鏑木町の台地を下りる。前もって台地上が城下町、と知っていたなら、もう少々台地を歩き、西の端のお城跡まで進んだろうが、今となっては後の祭り。駅前の通りを西に進む。
市役所下交差点で国道296号線・成田街道に合流。西に進むと歴史博物館交差点。道路脇にはお堀がある。城下町をすっぽりと囲んだ総構え(堀)の名残であろう。台地に上れば歴史博物館がある。またその裏手には佐倉城跡。歴史博物館には一度来たことがある。今回はパスし、城のお堀あたりをぐるっと歩く。
歩きながら少々気になったことがある。そもそも、歴史博物館が何故佐倉にあるのか、ということである。チェックする。いくつか候補地はあったようだが、10万坪といった広大な国有地があり、歴史的にもそれなりの納得感があるところ、ということで佐倉になった、とか。国有地はともかく、掘田氏の居城があったとか、近くに本佐倉城といった千葉氏歴代の居城があった、というのが「歴史的」納得感ということであろうが、我々歴史の門外漢にとっては、少々強引な紐付け、かも。

鹿島川
歴史博前交差点を過ぎ、少し歩くと鹿島川にあたる。地図を辿ると、外房線土気駅近くの土気調整池あたりが源流のようである。全長29キロの一級河川。地形図でチェックすると、結構変化に富んだ地形を縫うように走る。そのうちに源流から佐倉まで歩いてみよう、と思う。 鹿島橋を渡り、西詰を折れ川に沿って印旛沼に向かう。工業用水道佐倉浄水所脇を過ぎると直ぐ先に京成線。踏み切りがあるのかどうか分からない。が、とりあえず進む。と、踏み切りが。一安心。踏み切りを渡り、川筋を下る。少し進むと堤防工事中。ということで、迂回。田圃の畦道を西に歩き、京成線に沿って走る道に進む。線路に沿って1キロほど進むと「佐倉ふるさと広場」に。印旛沼、正確には西印旛沼に到着。

西印旛沼
休憩所で一息。オランダ風車やチユーリップ畑を眺めながら、沼脇のサイクリングロードを進む。印旛沼取水場近くの道脇に歌碑。遠辺落雁;「手を折りて ひとつふたつとかぞふれば 満ちて遠べに落つる雁がね」。臼井八景のひとつ。臼井八景とは、元禄の頃、隠士 臼井信斎と臼井にある円応寺の住職宗的が北宋の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)にならって選定した景勝の地。またこのふたりによって歌がつくられた、と。

桜並木を先に進む。印旛沼浄水場を過ぎると再び臼井八景の碑。瀬戸秋月の地:「もろこしの 西の湖 かくやあらん には(注;水面)照る浪の瀬戸の月影(水面に瀬戸村の空に輝く月がうつっている。唐の名勝の地・洞庭湖の秋を思わす美しい景観である)」。すぐそばに「防人の碑」。印旛郡出身の人の歌碑とのこと。携帯での写真の写りが良くなく、なんとかいてあったのか不明。が、この地から防人として出かけた人がいた、というだけで、歴史上のことである「防人」に少々のリアリティが感じられるようになった。
水路脇の道を進む。臼井駅、臼井城址への案内。臼井城って、千葉一族臼井氏の居城。方向としては進行方向左手に見える丘が城跡であろう。行きたし、と思えども、どうしたところで本日は時間がない。次回のお楽しみとして、先を急ぐ。

歴史民俗資料館
橋を渡ると直ぐ左に道を折れる。田圃の中を道が続く。岩戸地区。台地の裾を進み、成行きで台地上への細道を上る。のぼりきったところに車道。舟戸大橋から続く道路に出る。台地上の道を少し進むと宗像小学校とか歴史民俗資料館への案内。それにしても久しぶりに家並を見た感じ、ではある。人家のない沼の畔を延々と歩いてきたわけで、少し人心地。 案内に従い道を左に折れる。小学校の中に進む。奥まったところに歴史民俗資料館。が、閉館。時間は未だ四時過ぎ。少々早い。案内を見ると、最近では事前予約があるときだけ明けている、とか。それならそうと、どこかでアナウンスして欲しいものだ。とは思うが、村の歴史資料館を訪れる人はそれほど多いとも思わないので、まあ、仕方なし。階段に座り一息つく、のみ。

再び新川筋に

休みながら先のルートを考える。地図を見ると、新川を少し上った、というか下ったところにある阿宗橋のまで橋は無い。とりあえずその橋まで進み、それからは台地上を勝田台まで進むことに。休憩終了。小学校前の道を西に進む。道は下り。ゆったりとした坂を下る。西部地区公園を過ぎると道は再び台地に上る。台地手前に水路。水路に架かる名護屋橋を越えたところで道を離れ、田圃の畦道に入る。 先に車が走っているのが見える。そこまで行けばちゃんとした道があるだろう、と、成行きで進み道に出る。が、どうせのことなら新川脇を歩こう、と先に進む。新川の手前に水路。もう先には進めない。雑草の生い茂る踏み分け道を水路に沿って進む。本当にちゃんと道が続くのか、少々不安。が、なんとか先に進み少々力任せではあるが、阿宗橋の手前に出た。

阿宗橋
阿宗橋。延々と続いたサイクリングロードもこのあたりで一区切り。なんとなく管轄が変わるのか道の整備状態も変化する。今までが国で、これから先が市といったとことだろう、か。ところで、この阿宗橋って、名前が少々ありがたそう。由来などあるのかとチェック。昔は阿蘇橋と呼ばれていた、とか。新川を渡った台地上が阿蘇地区とよばれていたのだろう。現在でも阿蘇中学とか阿蘇小学校という名前が残っている。で、この阿蘇地区と先ほどの資料館のあった宗像小学校ではないが、宗像地区を結ぶので阿(蘇)+宗(像)=阿宗、と。足して2で割る、よくある地名命名パターンであった。

京成線・勝田台駅
橋を渡り台地へと上る。新川に沿って台地の廻りをぐるっと、とは行きたいのだが、なにせ時間切れ。日の暮れないうちに勝田台まで進まなければ、ということで川筋から離れ台地上を歩くことに。おおよそ4キロ弱といったところ、か。 坂を上りきったあたりから道を離れ脇道に入る。左手の森は少年自然の家。周りは未だ畑地が続く。成行きで南へと道を進む。予想とは異なり台地上は平坦。幅3キロ強といった幅広い舌状台地となっている。新川がぐるっと廻りを囲む。あまりアクセントのない道を進む。下高野を過ぎ上高野まで歩くと道の周囲は工業団地となる。上高野工業団地。工業団地を抜け、道の右手に黒沢池市民の森の緑を見れば、勝田台の駅は直ぐ近く。ゆるやかに上り、そしてゆるやかに坂を下ると京成線勝田台駅に着く。本日の散歩はこれで終了。家路へと急ぐ。


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